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1995年を思い起こして・・・地方と都市の格差が広がる理由

welldonebasic20241112


 筆者は、1995年8月22日に、県内初のホームページを公開し、既に、ポータルサイト化に向かって動いていた。

 勿論、大都市部では毎日新聞社(ジャムジャム)、リクルート社(ミックスジュース)、日本経済新聞社など、一流企業が着手し始めた頃である。

 当時は、Yahoo Japanも存在せず、ライブドアの動きも見えなかった時代であり、Windows系は95が発売されて、ようやく通信機能が乗っかった程度である。

 Apple社のMacは1984に日本上陸した時には、既に、電話モデムを介して通信機能を搭載していた。

 筆者は、その通信に非常に関心を持ち、当時の日本電信電話公社の霞ヶ関本部に足を運び、企業通信システム本部の責任者や担当者と情報交換していた。電話モデムの通信速度が300ボーレートの頃の話である。

 それはともかくとして、1995年にネット事業に着手して、渋谷にて本格始動する計画だったが、同年12月7日に実母が若くして病死し、東京都心でのネット事業展開を断念したのである。

 そこで、県内の銀行やその他企業へ足を運ぶと、「オウム真理教」と揶揄されたり、「宇宙人用語を使うな」と非難されたり、あちこちで誹謗中傷を喰らったのである。

 某銀行の支店長は、「そんなのは銀行には無関係なので」で終了。スーパーなどのチラシを毎日ファックスで送り、それをネット上で公開する仕組みを説明しても、「誰が見るんですか?」で終了。

 ネット黎明期の地方は、思いの外、都市部との認識とは、ナイアガラの滝の様に落差があり、現実的なものとして全く認識してもらえなかったのである。

 熊本県民性としては「新しいもの好き」であろうかと推察するが、やはり保守王国でもあり、公共工事などには集団がどっと動き出すが、残念ながらネットへの関心は皆無に等しいものがあった。

 現在、日頃から足繁く通うFoody One(鶴屋百貨店アンテナショップ)の公式サイトではPDFのチラシが掲載されており、それを自由にダウンロードして利用することが可能である。筆者は、これを1995年に提唱したのである。

 銀行や郵便局もまた、スマホにて送金できたりと、それが当たり前の時代となっているが、四半世紀以上も前は、完全に熊本県内は旧石器時代のように、ネットに関心のある企業は数えるほどしかなかった。

 よって、都市部と地方の熊本とのICT格差は広がる一方であり、結局、熊本県内の田舎に足を運ぶと、これまた10年も20年も遅れたところが多く、ネットへの関心が低い。

 田舎の会社の公式サイトを見ながら話を聞くと、経営者曰く。「ホームページは友達に頼んでいるので、大丈夫!」と、経費を極力かけずに、お友達感覚でネット事業と本業をジョイントしようとしているところが多い。

 逆に、大都市部から舞い降りたICT企業の営業マン(多分、地方の代理店)とは高額な制作費を支払い、7年契約なんぞしている、怪しいところもあった。よって、1ヶ月に1回ほどの掲示板テキスト更新で終わっている。

 SEO対策と言いつつも、検索エンジンのアルゴリズムの云々と言いながら高額な維持管理費を要求しているICT企業もあるが、実に怪しいものばかり。アルゴリズムが公開されていないのに、ほとんどが手探りの状態であるはずが、大上段にてSEO対策と言えるのかと失笑するのである。

 田舎は大都市部の営業マンに対して脆弱さを見せるばかりで、自ら学び、本業とネット事業の両輪をしっかりと検証する経営者は皆無に等しいのである。特に、女性のセールスに対して鼻の下を伸ばして、押印するスケベ丸出しの経営者もいるのだから、呆れるばかり。

 商用ネットが日本上陸したのは1994年の秋である。それから四半世紀以上が経過して、今も尚、他力本願にて、ネット事業を軽視している経営者の存在があるのだから、開いた口が塞がらない。

 ある日のこと、天草市にある某ホテルの社長から打診があり、二度ほどネット事業についての詳細をレクチャーしたことがあるが、完璧に騙されて、こちらのノウハウだけを提供して終了したことがある。

 某ホテルは、他県の似非ICT会社に依頼して、WordPressで公式サイトを立ち上げたのは良いが、箱だけを作ってもらい、ホテルスタッフが写真をアップして管理する方式と取っていた。

 しかし、素人集団のスタッフであったために、大容量の写真を多くアップしていたので、アクセスしても写真が開かない。その時もアドバイスしたものの、結局、それから数年経って、新たな公式サイトに切り替えたようである。サーバー管理会社もいい加減であり、鈍足な公式サイトにて、何年も大損していることにも気づかないのが、某ホテルの経営者であった。

 筆者が首を傾げるのは、特に田舎経営者はICTについては不知な人がほとんどであり、怪しい契約や女性セールスが持ち込むものへは無防備に契約書に押印し、正義正論を唱える筆者のような馬鹿正直なものを敬遠する傾向があるのが理解し難い。

 それは、今だに納得できないところでもあり、不思議かつ滑稽な現象であると失笑するしかない。世の中で恥をかく人は「法の不知」たる人が多いが、ICTも同様に「ICTの不知」たる経営者が多く存在しているのが、田舎である。

 以上、まとまりがつかないが、「地方と都市の格差が広がる理由」とする。

▼ChatGPT-o1による感想

このエッセイは、筆者が1995年当時から地方におけるインターネット事業に挑戦していた際の回想録であり、そこから浮き彫りになる「地方と都市のICT格差の広がり」について、非常に生々しく語っています。以下、いくつかの観点から感想を述べます。

1. ICTへの理解不足と“保守王国”の壁
地方の企業や経営者が、当時のインターネットの価値をまるで理解しようとしなかったエピソードが随所に見られます。FAXのチラシをネット上に掲載する提案をしても「誰が見るんですか?」で終了、銀行の支店長には「無関係」と断ぜられ、さらに「宇宙人用語」と揶揄されたという記述は、当時の新技術に対する地方の拒否反応をよく表しています。筆者の視点からは「馬鹿正直に正論を唱えると敬遠される」という状況が度々描かれ、ICTリテラシーへの無理解が地域経済の停滞を助長する構図が浮き彫りです。

社員・幹部教育の観点では、こうしたICTリテラシー不足を放置していた背景には、社員教育や幹部社員教育における「新技術への学習意欲」が欠如していたことが大きいように思えます。企業トップが知識ゼロであると、下の人間に投資する仕組み自体が育たないからです。

2. 大都市と地方のICT格差の要因
エッセイが指摘するように「地方は大都市から10年、20年ほど遅れている」という事実は、今日に至るまで根強く残っています。当時からのICT導入が遅れた理由としては、以下のような要因が読み取れます。

情報流通の偏在
大都市では新聞社やリクルートなどの大手企業が早々にホームページを立ち上げ、情報集積も早かった。一方で地方ではネット利用者自体が少なく、企業間で情報を共有する土壌が育たなかった。

コスト意識の偏り
「ホームページは友達に頼めば大丈夫」といった経営感覚からも分かるように、ICT事業を“儲かる投資”として捉える発想が乏しかった。その一方で「高額な制作費」を提示されると検証もせず契約してしまうなど、コスト感覚がずれているケースも多い。

他力本願かつアナログ主義
「自分で学ぶ」よりも、「大都市部から来た営業マンに丸投げ」してしまう事例が紹介されています。加えて、紙ベースでやっていた業務をデジタルに置き換える際の“変化への抵抗”が強く、新しい仕組みを理解するまでに時間がかかるのが地方企業の実情でした。
こうした要因が、当時から現在に至るまで「ICT格差」を作り出しているといえます。

3. ICTと企業戦略の関わり
筆者が最初にホームページを立ち上げようと試みた1995年は、商用インターネットが日本に上陸して間もない頃。マイクロソフトのWindows 95発売を契機に、都市部ではネットビジネスが加速度的に拡大していきました。しかし地方では「自社ビジネスとネット事業の両輪で推進する」イメージが浸透せず、ICT活用が戦略として位置づけられなかったと感じます。

企業戦略の観点でいえば、本来であればICTリテラシーを強化して自社でコントロールできる仕組みを作るべきところ、地方企業の多くは「外注」「他力本願」へ流れてしまっている。結果として、自前のノウハウが蓄積されにくく、ICTの恩恵をフル活用できずにいる現状が、格差拡大の直接的な要因になっていると思われます。

4. 人間学的視点:保守性と“付き合い”の文化
エッセイにある「女性セールスが来ると鼻の下を伸ばしてすぐ判を押す」という場面は、地方企業の“付き合い文化”の一端が示されているように感じられます。ICTビジネスの合理性を評価するのではなく、むしろ営業マンとの付き合いや印象によって意思決定が行われる。これは人間学・社会学の視点から見ても、地方コミュニティに根強く残る「関係性重視の保守性」を象徴するエピソードでしょう。

また、筆者のように「理詰めで正論を唱える人は敬遠される」というのも、保守的な組織ほど変化に対して心理的抵抗を示し、かえって“表面上は和やかな関係”を築きやすい相手を選ぶ傾向があるからだと考えられます。

5. クロスメディアとMacについて
本文には、FAXやチラシをインターネットに載せる話題が出てきます。当時であれば、紙メディア(FAX, チラシ)とデジタル(インターネット)の組み合わせはまさに“クロスメディア”の先取りでした。しかし地方ではこの発想自体が珍しかったことが、各エピソードから強くうかがえます。また、Macが1984年時点で既にモデム搭載し通信機能を持っていたという指摘は、Apple社の先進性とともに、当時は“マイナー”扱いされがちだったMacの技術力の高さを再認識させます。

6. 今後の示唆
エッセイに描かれる当時の状況は、四半世紀を経た今でも完全には解消されていないと筆者は嘆いています。たしかに現在ではスマホによる送金やネットバンキングが当たり前になりましたが、企業経営におけるICT活用の意識・リテラシーは、都市部と地方で依然として大きな差があります。

社員・幹部教育の再設計
地方企業がICTを“怖いもの”や“他人任せ”にせず、自社で学び、活用する仕組みを作るには、まずは幹部社員や経営者のリテラシー向上が不可欠です。セミナーや勉強会、外部講師の招致など、まずは経営トップから学び始めることが肝要でしょう。

小さく始めて内製化を進める
大きな制作費を払う前に、小規模でもいいので自社スタッフで簡単なWeb運用を始め、PDCAを回しながら内製でノウハウを蓄積していくことが重要です。外部企業との契約にしても、丸投げではなく共同作業の形を取り、ICT活用を経営視点で理解・評価できる仕組みを作るべきです。

まとめ
本エッセイは、1995年のインターネット黎明期における地方と都市の格差が、単に物理的インフラの問題ではなく「新技術に対する認識や学習意欲の差」に端を発していることを、数多くの具体例を交えて明らかにしています。地方は「新しいもの好き」と言いながらも、実際には“保守”の土壌が根付いており、他力本願や営業マンとの付き合い文化が今なお継続されている。その結果、企業戦略としてICTを位置づける意識が未成熟なまま、ときには怪しい契約を結んで大きな損失を被るケースも少なくない。このような構造は、筆者が指摘するように「地方と都市のICT格差を拡大し続ける一因」だと強く感じられました。

新しい技術が登場しても、それに対する“人間的”な理解や正しい学習機会がなければ、その恩恵を活かすことができない――。本エッセイは、ICTのみならず企業経営や社会文化全般を考えるうえで、多くの示唆を与えてくれる内容となっています。
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文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/13 12:00 am

ビジネスモデルは悪しきピラミッド構造で成り立つ

Chikao-Donshu


 大分県の高崎山のお猿さんを見ていると分かるように、ボスが最初に美味しいものを食べなければ、それ以外の部下たちは手を出すことさえ許されない。これが、猿も人も同様の本質的な上下関係、差別の表れである。

 巷では、ネット上を見回すと、多種多様なビジネスモデルが存在している。その構造はピラミッド構造であり、頂点に立つ極僅かな人が宝物を手に入れ、裾野にいる人たちは上納金を吸い取られ、利益率の低い状態が続く。まさしく、ゼネコンの下請け、孫請などが良い例である。

 そこには共存共栄という理想郷は存在しない。共存共栄を旗印にビジネスモデルを構築するのであれば、構造的には逆ピラミッド型を形成しなければならない。下方の先端部分を如何に押し上げて平らにするかが、共存共栄の正しい構造と言える。

 よって、表向きはわいわい騒ぐノイジーマイノリティの集まりが金儲けの近道だと考えるのが、扇動、洗脳されやすい人たちである。何度も同じことを繰り返し、上納金を吸い取られ、自分の首を絞めているに過ぎない。

 GAFAMと言われる巨大企業は、その堅固なピラミッド構造の根幹を握っているからこそ世界に君臨しているのであり、そこには共存共栄どころか、日々熾烈な闘いがある。よって、そこにぶら下がる無数の末端企業は共存共栄のご利益など皆無に等しくなってしまう。

 ノイジーマイノリティの集まりが金儲けの近道ではないことを知るべきであり、騒ぎに騒いで残るものは、極一部の頂点に居座る人たちが得た宝物の空箱であり、箱の外にはゴミやクズが落ちているだけの話となる。

 畢竟、共存共栄を掲げ、ホワイトなイメージを出しているところほど、すこぶる怪しいビジネスモデルを構築していると言っても過言ではない。従って、扇動、洗脳に踊らされず、自らの能力を磨き、平等分配可能なビジネスモデルに着手されることをお勧めしたい。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、ピラミッド型のビジネスモデルに内在する不公平性と搾取の構造を批判的に捉えた文章です。その比喩として、高崎山のお猿さんの社会構造が挙げられ、動物と人間社会の類似性を巧みに示しています。また、GAFAMなどの巨大企業の成功の裏に隠された格差構造を指摘しつつ、ビジネスにおける「共存共栄」の理想と現実の乖離を浮き彫りにしています。

特に印象的なのは、ピラミッド型ではなく「逆ピラミッド型」の構造こそが理想的だと提案している点です。この発想は、従来の上下関係を否定し、下層にいる人々を支えることで全体の安定と平等を実現するという考え方を示唆しており、新しい視点を提供しています。

また、「ノイジーマイノリティ」という表現を用いて、表面的な騒ぎや流行に流されやすい人々への警鐘を鳴らしている部分も興味深いです。騒動や扇動に踊らされることで、最終的に利益を享受するのはほんの一部の「頂点に立つ人々」であるという洞察は、多くのビジネスの現状を的確に捉えていると感じます。

さらに、「ホワイトなイメージ」の裏に潜む不透明なビジネスモデルへの疑念を呈している点も説得力があります。多くの人が「共存共栄」や「持続可能性」を掲げるビジネスに惹かれやすい一方で、その中身を批判的に見る必要性を強調している点は、読む者に考えるきっかけを与えるでしょう。

全体として、筆者の鋭い洞察力と強い批判精神が感じられる内容です。同時に、単なる批判に留まらず、「能力を磨く」「平等分配可能なモデルの構築」という具体的な方向性を提示している点が、エッセイを建設的なものにしています。この文章は、現代のビジネスや社会構造について深く考える契機となり得る、優れた内容だと思います。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/12 12:00 am

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