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自ら動くと他人に頼むとは大違い。

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 何年経っても、ある地域のプロジェクトが進む気配がない。原因は何かを考えていたところ、その人たちの考え方に問題があることに気づいたのである。

 プロジェクト進捗状況を聞けば、毎回同じ回答が返ってくる。「まだ、何も動きはありません。色々と頼んではいるのですが。」と。

 具体的にどのようなアプローチをして、どのように動いているのかを聞けば、「〇〇さんや〇〇君に話はしていますが、何とも動きがありません。」と。その〇〇さんや〇〇君の話は、随分前から聞かされている。

 結局、自らが動かず、その知り合いに丸投げし、その反応をずっと待ち続けているのである。それは、「棚から牡丹餅」を期待しているに過ぎず、自らは責任放棄をしていることになる。

 〇〇さんや〇〇君にとってみれば契約をしている訳でもなく、単なる世間話の中で、プロジェクトについて齧る程度のものであり、自らが責任を持って対応していることにはならない。単なる、「他力本願」である。

 時間がない、人が不足して疲労困憊の日が続く、第三者に頼んでいるが吉報が届かないなどが理由となれば、どこに、その人の「責任感」や「戦略」があるのか、首を傾げてしまう。

 元々人嫌いであれば、人との接点を引き出すには苦労があるかも知れないが、地域活性化のためのプロジェクトに着手することに、人嫌いや営業下手などは言い訳にもならない。

 苦手克服への特効薬は、自分の趣味を生かすことにある。もし、目の前に不得手なものが立ちはだかった場合には、特技である趣味に傾注するモチベーションにて、その不得手なものに立ち向かうことが必要だ。

 理屈は抜きにして、自分のモチベーションが最高潮に達する時は、至福の時であるに違いない。その心地良さを知っているのであれば、その気持ちをポジティブな方向へ切り替えて、責任を果たすのが一端の大人と言えるのではないか。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、自己責任と他力本願についての重要なテーマを取り上げており、論点が明確である点で評価できます。筆者は、プロジェクトの進行について不満を抱きつつも、他人に頼りっきりで自己責任を果たさない態度に疑問を投げかけています。以下に評価ポイントをいくつか示します。

問題意識の明確化: エッセイの冒頭で、地域のプロジェクトが進まない原因を明確にし、それが他人に頼ることに関連していることを指摘しています。この問題意識の明確化は、読者に対して議論の焦点を提示し、興味を引く役割を果たしています。

具体的な例の使用: 筆者は具体的なエピソードやダイアログを使用して、他力本願の態度を説明しています。これにより、読者は状況を容易に理解し、共感しやすくなります。

解決策の提案: エッセイの後半で、自己責任を果たすための解決策として、趣味を活用し、モチベーションを高める方法を提案しています。これにより、問題を克服する方法が示唆され、建設的なアプローチが提示されています。

論理的な展開: エッセイは論理的な流れで構築されており、問題の根本原因から解決策への道筋が明確です。読者にとって理解しやすい構造になっています。

強調されたメッセージ: エッセイの最後で、自己責任を果たすことが大人としての責任であるというメッセージが強調されています。これにより、エッセイの主題がまとめられ、印象に残りやすくなっています。

全体的に、このエッセイは他力本願と自己責任の問題を深く考えさせるものであり、読者に対して自己啓発や行動へのインスピレーションを提供する効果的な文章です。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
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写真・文責:西田親生


             

  • posted by Chikao Nishida at 2023/10/9 12:00 am

他人は見ているようで大して見ていない、見ていないようで良く見ている。

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 ヒューマンコミュニケーションにおいて、自分と他人間の距離感と目線を考察してみた。

 ちょくちょく連絡を取り合うような近しい関係の人は、自分のことを見ているし、こちらも相手のことを見ている。見ているということは、双方に日頃の思考範疇内の存在である訳だ。

 ところが、ビジネスライクなお付き合いやちょっとした知り合いであれば、こちらを見ているようで見ていない。見ていないということは、日頃から眼中にはないという程度の距離感の存在であることが分かる。

 よって、見てくれている人は、何か変化があれば気遣いをしてくれる。変化に気付かぬ人は、それなりの距離感であり、直接間接的に存在感もなく影響もなく、言葉は悪いが、どうでも良い程度である。

 面白いもので、近所の人たちと日頃から接点は極少ないとしても、その人たちは見ていないようで見ている。こちらが驚くほど観察している。眼中にはないが、何となく気になる程度に見ている。

 「お仕事柄、公道は暗いのですが、電気がオフィスに24時間煌々とついているので安心します」、「昨日タクシーが朝から停まっていたので、お出掛けかと思いまして」、「隣の家は空き家だから、安く借りることはできませんかね?」とか。

 何とも鋭い観察力である。多分に、奥様方の井戸端会議で日々繰り広げられている話題の一つになっているのかと思えば、心地よくはない。失礼ながら、要らぬ世話に感じてしまう。

 しかし、監視カメラがないところでは、このような井戸端会議情報は事件事故早期解決の糸口ともなり得るので、痛し痒しのところでもあるが、度がすぎると、プライバシーの侵害になるのでご注意頂きたい。

 全てに人と人との距離感が起点となっているが、他人とは適切な距離感にて、諍いのない静かなる関係性が一番である。

 「どこの誰々の子供がどこの大学に通った」、「最近、あそこの娘は離婚して出戻った」など、人様のプライバシーへの戯言は禁句として、生産性のない井戸端会議を楽しんでいただければと思うばかり。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、他人とのコミュニケーションにおける距離感や観察力について洞察的な視点を提供しています。以下にいくつかの評価ポイントを挙げてみましょう。

洞察力と観察力: エッセイは、他人とのコミュニケーションにおいて、距離感が人々の観察力にどのように影響を与えるかに焦点を当てています。特に、近しい関係とビジネス的な関係の違いを示し、見ているようで見ていないというアスペクトについて考察しています。この洞察力は読者に興味深い視点を提供しています。

具体例の使用: エッセイは具体的な例を使用して、著者の主張を支持しています。例えば、近所の人々がどのように観察しているかについてのストーリーや引用があり、読者が状況を想像しやすくなっています。

プライバシーの重要性への言及: エッセイは、観察力がプライバシーに対する侵害となり得ることについて警告しています。この点を強調することで、他人との距離感を適切に保つことの重要性について読者に考えさせています。

論理的構成: エッセイは論理的な構造を持っており、段落ごとにトピックが整理されています。これにより、読者は著者の思考を追いやすくなっています。

考え込ませる要素: このエッセイは、他人とのコミュニケーションにおける微妙な要素について考え込ませる要素を持っています。読者は自身の日常生活や人間関係において、距離感と観察力がどのように影響するかについて考えるきっかけを得るでしょう。

総じて、このエッセイは興味深い視点を提供し、具体的な例と警告を通じて読者に考えさせる力があります。距離感と観察力の関係について深く考えたい人にとって、価値のある一文です。
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写真・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2023/10/8 12:00 am

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