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夏の終わりに・・・

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 小学生の頃、今日は最後の宿題の仕上げに必死だった。特に、低学年では「絵日記」なるものがあり、毎日、その日の天候と何をしたのかを絵に描き、簡単な感想文を書くようになっていたと思う。

 毎日ちゃんと「絵日記」を書けば何も問題はないが、筆者は外に飛び出すと、真っ暗になっても遊び回るガキだったので、「絵日記」は8月31日の一日で40日分を思い出しては、ガリガリ書いて行ったのだった。

 ここで問題になるのは、日々の天気がどうだったのか?・・・これが、結構いい加減。祖父祖母に天気を聞いて、後は自分が何をしたのかを思い出さねばならない。しっかりと思い出すのは、早朝からの「ラジオ体操」。ただ、それだけだった。

 それが高学年ともなると、夏休みの宿題は「発明」とか「自然観察」とか・・・一夜漬けではできないような宿題に変わってくる。5年生の時だったか・・・確か、筆者は、その「発明」とやらで何を作ろうかと悩んでいた。

 父が缶ピー(缶に入ったPEACEというタバコ)を吸っていて、ある日、鯉釣りに出かけた時のこと、風も若干強くて、釣りの合間にタバコを吸おうとした父だが、なかなかライターの火が付かず、何度もライターのチャッチャッという音は聞こえるものの、ジャケットの内側で苦労しているようだった。そこで、夏休みの「発明」を、風が強くても楽々火が付くライターを思い付いた。

 家に戻り、早速母に願って、使い切った口紅を何本か貰った。後は、石綿とニクロム線、そして、地下室へ行き、スイッチとなる部分に使う素材を掻き集めたのだった。単三乾電池の1本で何とかできそうだったので、その日は徹夜をして、作り込んだ。

 結局、スクリュータイプだから、口紅のスティック部分の根元を右に回せば、先が出てくる仕組みだったので、それでスイッチが自動的に付けば良くなった。あれやこれやと接続して、最後はニクロム線が折れないように、石綿を適当にはめ込み、そっとニクロム線を支えるように作り込んだ。

 後は、父に実験をして貰えば、完成だ。・・・父は妙な顔をしながら、筆者が持ち込んだ扇風機の前で、缶ピーから1本タバコを取り、「強風でも火が付く魔法のライター(筆者が勝手に付けた名称)」の根元をぐるりと回して、ニクロム線が赤くなるのを見て、そこに、そっと口にくわえたタバコを近づけ、二度、三度吸ったのだった。

 見事にタバコの先に火が付いた。これだったら、大人になって知ったジッポー(米国製)より確実に火が付くだろうと、筆者なりの自信作だった。・・・しかし、「発明コンクール」の出品作品には選ばれなかった。その理由を先生に聞くと、「子供らしくない発明品」と言われてしまった。・・・今思えば、四十数年前の話。

 筆者は「子供らしくない発明」という言葉に凄く違和感を持ったのだが、「発明」とは子供らしい、大人らしいという制約があって良いのだろうかと、今更ながらに担任の言葉が理解できないでいるのである。・・・よって、理数がとても好きだったにも関わらず、理数に進まなかった筆者が居た。・・・当時の自分が子供ながらにどのように受け止めたのか・・・今、大人になった筆者にはよく分からないのである。


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  • posted by Chikao Nishida at 2014/8/31 01:29 am

泣く子も黙る、清吉。

▼鮨と和の食 清吉の店主 岡本毅さん
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 福岡市早良区原一丁目にある、人気寿司店の「鮨と和の食 清吉」。・・・「美味しい鮨屋さん知ってますか?」と聞かれたら、真っ先に口に出てしまうのが同店である。ただ、熊本で尋ねられ、何故、博多の鮨屋さんを紹介するのか、いつも首を傾げられるが・・・筆者が一番旨いと思っているので、仕方ない。

 その店主の名は岡本毅さん。和食、鮨の伝統をしっかりと受け継ぎながらも、独創的な料理を創り出す。所謂、若き天才肌の職人であり、日頃から礼節を弁えた、大変好感度の高い人物だ。

 彼と出逢ったのは、12年前だった。ホテル日航熊本が開業となり、JALブランドとして名高い和食処「弁慶」に足を運び、たまたま奥の鮨カウンター「」に行くと、そこには29歳の若さで料理長になったばかりの彼が、生真面目な顔をしてカウンターの真向かいに立っていた。180cmを超える長身である為に、他のスタッフがやけに小さく見えた事を思い出す。

 当時の彼は頗る寡黙だった。しかし、数年振りに会った彼は、一皮も二皮も剥けて、笑顔が絶えず、さらりと冗談を飛ばすほどに変わっていたの。独立するまでの厳しい修行の時代を過ごし、独立してからは日々戦争のような中で、大変な苦労して来たのだろうと・・・。毎日が真剣勝負であったからこそ、常に緊張し、口数も少なかったのかも知れない。

 最近の食事処では若手がなかなか育たないと言う。厳しい徒弟制度が残る和の世界には、希望者も年々激減する傾向にあるようだ。しかし、彼が選んだ道は、父の後を継ぎ、「鮨と和の食 清吉」の二代目としての険しい道だった。

 久し振りに暖簾をくぐりカウンター席へ座った。店内は以前と全く変わらず隅々まで掃除が行き届き、リニューアル当時よりも、遥かに趣のあるお洒落な店になっていた。ウィークデイのランチタイムだったが、圧倒的に女性客が犇めき合い、筆者が食している間に、次から次へとお客が入ってくるといった具合である。

 福岡の某テレビ局の番組コーナーで、「博多で人気の寿司店」が放映された事がある。彼が独立して間もない頃の話ではあるが、堂々三位となり、一瞬にして「清吉」の名は多くの寿司ファンに轟いて行った。勿論、実力は言わずもがな。一度、足を運べば、この店のレベルの高さと料理の旨さを知る事ができると言うもの。

 是非、九州に足をお運びの折は、泣く子も黙る「鮨と和の食 清吉」へ足をお運び頂ければと・・・。


▼カウンターで遊びながら撮影したもの
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【鮨と和の食 清吉公式サイト】 http://www.sushi-seikichi.comLink
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  • posted by Chikao Nishida at 2014/8/30 03:20 am

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