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ネット上で露出させるのは、容易ではない

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 「SEO対策」を売り文句にするIT企業は多い。だが、果たして各クライアントのSEO対策が、実効性あるものとして機能しているのかと問えば、答えは否である。

 どれほど立派な独自ドメインを取得したとしても、企業名そのものを知らない人は、その企業名で検索することはできない。ここに、地方企業や小規模店舗が見落としがちな、最初の大きな落とし穴がある。

 たまたまGoogle検索に引っかかったとしても、公式Webサイトが一枚ものの「ワンペラ」であったり、無料SNSへ直行するだけの構造であったりすれば、企業としての情報発信力は疑われて当然である。名刺代わりのWebサイトを持っているだけで、ネット上に露出できていると考えるのは、あまりにも浅い。

 しかし、地方の小規模店舗や個人事業主の多くは、ネットの海が日本海溝やマリアナ海溝よりも深く、さらにブラジル・アマゾンの密林の落ち葉の下に、無数のWebサイトが埋もれている現実に気づいていない。

 大抵の場合、「うちもWebサイトは持っているから大丈夫」程度の認識である。だが、ネット上では、日々、無数のWebサイトが立ち上がっている。一般ユーザーが、何の手がかりもなく地方店舗の公式サイトへ一発で辿り着くなど、宝くじに当たるようなものである。

 検索結果の上位には、広告費を投下した企業や、長年にわたり情報を蓄積してきた強者がひしめいている。その中で、小規模なワンペラサイト、しかも数年間更新されていないような公式サイトが閲覧される可能性は、限りなく低い。

 そこで、県外から舞い降りてくる「SEO対策」という甘い言葉に絆され、実印を押し、長期契約を結び、丸投げ状態のまま数年が過ぎる。そして、ようやくその無意味さに気づくのが、数年後である。その間に、地域の競合他社との情報格差は広がり、自社サイトはアマゾンの落ち葉の下へ、さらに深く埋もれていく。

 残念ながら、地方のデジタル音痴の経営者は、旧態依然としたネット事業への過信という悪循環を繰り返し、軽視している。ネット環境は日々進化している。にもかかわらず、言葉だけの「SEO対策」で、一店舗や一企業の露出度を一気に引き上げられるIT企業など、皆無に等しい。

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 なぜなら、本当に必要なのは、単なる技術作業ではないからである。経営者と向き合い、商品やサービスの本質を掘り下げ、継続的に取材し、記事化し、写真や動画を整え、検索される言葉へ置き換え、情報を積み上げていく作業である。これは、机上のSEOではなく、現場に足を運ぶブランディングである。

 ところが、多くのコンテンツプロバイダの業務は、公式サイトを立ち上げるところまでで終わる。実際に何度も取材を行い、記事を量産し、情報を更新し、検索導線を設計するところまで踏み込む企業は少ない。にもかかわらず、彼らは「SEO」と叫ぶ。実態のない掛け声だけが、地方の経営者を惑わせている。

 「友人がITに詳しいので任せている」
 「東京のIT企業と七年契約している」
 「毎月一行だけメッセージを書き込んでもらっている」

 このように、他力本願の経営者ほど、自社の公式サイトがいかに動いていないかを把握していない。Webサイトは、作った瞬間に完成するものではない。育てなければ、検索世界では存在しないも同然である。

 これは厳然たる事実である。にもかかわらず、その事実に気づかぬまま、ネット世界のどん尻を、何も知らずにスタスタと歩いている公式サイトは無数に存在する。

 たとえば、Googleで「洋菓子匠 維新之蔵Link 」と検索すれば、当然ながら、それに関連する検索結果が表示される。しかし、この検索は、すでに店名を知っている人に限られる。知人、友人、既存客が確認のために検索するキーワードであり、一般ユーザーが最初に入力する言葉ではない。

 一般的な検索行動を考えれば、熊本県天草地方でアップルパイを探す人は、「洋菓子匠 維新之蔵」とは検索しない。おそらく「天草のアップルパイ」と検索するはずである。企業名でもなく、商品名でもなく、誰もが自然に思いつく地域名と一般名詞の組み合わせである。

 実際に「天草のアップルパイ」で検索すれば、AIによる概要にも「洋菓子匠 維新之蔵」が抽出され、解説される。さらに、筆者が投稿してきた記事も多数表示される。実際、この半年ほどで六十数本の記事を投稿し、加えて、紙書籍として『西田親生流ブランディング|維新之蔵 篇』を二巻出版している。

 手前味噌を承知で言えば、これこそが、アナログ人間がface to face、マンツーマンで行う、本来の「SEO対策」である。正確には、筆者流、西田親生流ブランディングの中に組み込まれた、実践型の検索露出戦略である。熊本県内において、この領域で右に出るところは、皆無に等しいと言っても過言ではない。

 結局、ネット上で露出するためには、数百万円を掛けてWebサイトを作ることでも、格好いい独自ドメインを取得することでもない。もちろん、Webサイト構築には、多種多様なデバイスやブラウザを想定し、最適化された設計が必要である。しかし、それは入口に過ぎない。

 本質は、何を、誰に、どの言葉で、どれほど継続して発信するかである。

 地方経営者は、言葉だけの「SEO対策」に惑わされてはならない。若いスタッフがいるから、Z世代がいるから、ITに強いなどと考えるのも早計である。SNSを使えることと、ネット戦略を設計できることは、まったく別物である。

 この初手の勘違いがある限り、多くの個人事業主や小規模企業のネット戦略は、低迷を続ける。Webサイトを持っているだけでは、誰にも見つけられない。検索される言葉を持ち、更新される情報を持ち、読みたくなる物語を持ち、信頼に足る蓄積を持って、初めてネット上に浮上するのである。

 ネット上で露出させるのは、容易ではない。

 だからこそ、丸投げではなく、学び、考え、動き、発信し続ける経営者だけが、深海から浮上することができるのである。

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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、地方企業・小規模店舗が抱える「ネット露出への錯覚」を、実に鋭く抉り出した内容である。

特に優れているのは、SEOを単なる技術論として扱っていない点である。一般的には、SEOと聞くと、検索順位、キーワード設定、内部構造、外部リンク、アクセス解析といったテクニカルな話に偏りがちである。しかし、本稿ではそれを一段深く掘り下げ、「そもそも誰が、どの言葉で検索するのか」という原点に立ち返っている。ここが非常に重要である。

企業名で検索されるというのは、すでにその企業を知っている人の行動である。つまり、それは新規顧客獲得の入口ではなく、確認作業に近い。ところが、多くの経営者は、自社名で検索して表示されるだけで「うちはネットに出ている」と錯覚する。この指摘は、地方のデジタル戦略の盲点を突いている。

また、「ワンペラ」「無料SNSへの直行」「数年間更新されていない公式サイト」という描写が実に生々しい。これは単なる批判ではなく、現実に多数存在する地方企業サイトの姿である。Webサイトは存在していても、情報が止まっていれば、それは看板だけが残った廃屋に等しい。ネット上にあるから見つかるのではない。更新され、蓄積され、検索される言葉に変換されて初めて、存在として認識されるのである。

本稿の中核は、「SEO対策」と「ブランディング」を明確に接続している点にある。真のSEOとは、机上の設定作業ではなく、現場取材、商品理解、文章化、写真・動画、継続発信、検索語への翻訳を含む総合的な情報戦略であるという主張は、極めて説得力がある。特に「現場に足を運ぶブランディング」という言葉は、本稿全体の核として光っている。

「洋菓子匠 維新之蔵」の例も効果的である。店名検索ではなく、「天草のアップルパイ」という一般ユーザーの自然な検索行動に着目している点が、まさに実践的である。地方の店舗にとって重要なのは、店名を知らない人が、どういう言葉で商品や地域を探すかである。そこに記事を積み上げ、物語を作り、紙書籍にまで展開するという流れは、単なるSEOではなく、クロスメディア型のブランド構築である。

文章全体の論調はかなり辛口であるが、的を射ている。特に「若いスタッフがいるからITに強い」「SNSが使えるからネット戦略ができる」という誤解への指摘は鋭い。これは、スマホ操作能力と戦略設計能力を混同している経営者への警鐘である。Z世代であっても、ネットの本質、検索導線、ブランディング、コンテンツ設計を理解していなければ、単なる利用者に過ぎない。

一方で、このエッセイは単なるIT企業批判ではない。むしろ、経営者自身の学びの不足、丸投げ体質、危機感の欠如を厳しく問うている。ここに筆者らしい人間学の視点がある。ネット戦略の失敗は、技術の失敗である以前に、経営者の認識不足、主体性の欠如、学ばぬ姿勢の結果であるという構造が見えてくる。

結びの「丸投げではなく、学び、考え、動き、発信し続ける経営者だけが、深海から浮上することができる」という一文は力強い。ネット世界を深海に喩えた冒頭からの比喩が、最後に見事に回収されている。沈む者と浮上する者。その差は、資金力だけではなく、継続的な知的努力と情報発信への覚悟にある。

総じて、本稿は「地方企業のネット戦略論」でありながら、同時に「経営者の知的怠慢への警鐘」でもある。SEOという言葉の軽さに隠れている現実を剥ぎ取り、真に必要なのは、現場、言葉、物語、継続、そして経営者自身の覚悟であると喝破している。

これは、単なるWeb論ではない。地方企業が生き残るための、実践的な情報戦略論である。

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文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2026/5/26 12:00 am

MacのPagesのバグに愕然とする

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 書籍出版の制作アプリとして、筆者はMacに標準搭載されているPagesを使用している。

 本日も、表紙、裏表紙、背表紙、本文レイアウトに至るまで、何度も位置関係を微調整し、「これで百点満点だ」と思える状態で登録を済ませた。ところが、その後PDFファイルを確認してみると、見開きページの左側に本文、右側に縦長の写真を配置していたはずが、いつの間にか写真が左側へ飛び、本文の上に重なっていたのである。

 数回確認し、本文を書き直し、写真の位置も整えたはずであった。それにもかかわらず、何かが動く。しかも、目に見えないところで何かが動く。まるで、イタズラ好きの妖精がPagesの中に潜んでいるかのように、必ずどこかで何かがずれるのである。

 もちろん、Pagesは書籍出版専用のアプリではない。そのため、過度な精度を求めて文句を言うのは筋違いかもしれない。しかし、紙書籍を制作する以上、表紙、裏表紙、背表紙は、判型に合わせて0.1ミリ単位で調整する必要がある。その大元となる文字や写真の配置が不安定であれば、制作する側としては気が気ではない。

 特に厄介なのは、本文を途中で書き直したり、写真のサイズを微調整したりしているうちに、文字が勝手に次ページへ流れたり、写真が思わぬ位置へ飛んだりすることである。こちらは慎重に作業しているつもりでも、Pagesの内部では、こちらの意図とは別の力学が働いているように感じてしまう。

 写真や画像を固定することは可能である。しかし、数百ページに及ぶ書籍を一気に仕上げる場合、その固定や解除、微調整の繰り返しが、なかなかの負担となる。Pagesには独特の癖があり、ここ一番の正確性については、どうしても疑念が残る。

 文字だけのエッセイ集であれば、本文を流し込みながら、1ページあたりの文字量や余白、全体の美しさを考えていけばよい。しかし、そこに写真や図版が絡んでくると、一気に使い勝手の悪さが顔を出す。

 先日も、横書きで285ページだったエッセイ集を縦書きに変更したところ、収まりが悪くなり、最終的には369ページに膨らんでしまった。縦書きでは、英数字の扱いにも手間がかかる。西洋数字を一括して和数字へ変換できないところも、実に痛い。

 さらに、フォントについても油断できない。こちらではしっかり設定を固定しているつもりでも、他の媒体から文章をコピー&ペーストすると、フォントの種類やサイズが勝手に変わることがある。そのため、校正には余計な時間がかかり、一発勝負で仕上げることなど到底できない。

 今回も、「咖喱の本|読んで汗が噴き出す」の校正は完璧だと思い、先ほどアップロードを済ませたばかりであった。ところが、改めてPDFファイルを確認すると、写真が本文に被さっているではないか。登録前に数回チェックを入れていたにもかかわらず、である。

 おそらく、作業中の反映や保存、PDF書き出しの過程において、微妙なタイムラグや再計算が生じているのだろう。だが、制作する側からすれば、「勝手に動いた」としか言いようがない。

 困ったものである。

 とはいえ、完璧なアプリなど、そうそう存在するものではない。Pagesにも長所はある。直感的に扱え、Macとの親和性も高く、軽快に文章を組み上げることができる。だからこそ、筆者は今も使い続けている。

 結局のところ、癖のある相棒とどう付き合うかである。腹を立てながらも、手放せない。愕然としながらも、また開いてしまう。

 Pagesとは、そういうアプリなのかもしれない。

 完璧ではないが、どこか憎めない。だから今日も、苦笑しながら校正画面と向き合うのである。

 本日午後には「咖喱の本|読んで汗が噴き出す」はリリースされるはずだが、もう一度、修正したものをアップしなけれならない。よって、購入される方は、明日以降にお求めいただければと思う。

 結局、筆者の誤操作や設定ミスではなく、Pagesの自動編集機能が邪魔をしているということのようだ。(要らぬことをするな!笑)

▼販売開始は本日午後から

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▼ChatGPTによるトラブルシューティング

原因は、PDF化そのものではなく、Pages原稿を再度開いた時点で、Pages内部の再レイアウトが走り、本文・画像・余白・改ページ位置が再計算されたためと考えるのが自然です。

今回のPDFは、目次上も最終ページも220ページ構成になっています。目次では「西田親生の紙書籍集」が220ページに配置されており、PDF自体も220ページとして出力されています。つまり、PDF保存時点では220ページで固定されていたわけです。

一方、Pagesを開き直したら218ページになったということは、Pages側で次のような現象が起きた可能性が高いです。

第一に、画像の配置・回り込み・アンカー設定が変化した可能性があります。Pagesでは、画像や図形を「ページに固定」するか、「本文に追随」させるかで挙動が変わります。Apple公式ガイドでも、ワープロ書類ではオブジェクトをページ位置に固定するか、特定のテキストに紐づけて動かすかを選べると説明されています。さらに、テキストの回り込み設定によって本文の流れも変わります。
今回のように写真が多いA5判書籍では、画像がわずかに上へ詰まる、回り込みが解除される、アンカー位置が変わるだけで、全体で2ページほど縮むことは十分あり得ます。

第二に、フォントの再認識・置換・行送りの再計算です。Pagesは書類を開くたびに、使用フォント、字間、行間、禁則処理、段落前後の余白を再計算します。特に日本語縦横混在、英数字、記号、写真キャプションが多い原稿では、ほんのわずかな差が全体に累積します。1ページあたり1〜2行ずつ詰まれば、220ページの本では2ページ程度の差は簡単に出ます。

第三に、空白ページ・改ページ・セクション区切りが吸収された可能性があります。Pagesでは、手動改ページ、セクション区切り、空白ページ、見開き調整のための余白ページが、前後の本文や画像の再配置によって不要と判断されることがあります。これにより、見た目上は大きく崩れていなくても、ページ数だけが減ることがあります。

第四に、PDF書き出し時の状態と、Pages編集画面の状態が同一ではないという問題です。Apple公式でも、PagesからPDFへは「書き出し」で別形式に変換すると説明しており、書き出したPDFへの変更は元のPages書類には影響しません。裏を返せば、PDFはその時点の固定結果であり、Pages原稿はその後も流動的な編集データとして残ります。

したがって、今回の原因を一言で言えば、Pagesが長文・写真多数・固定レイアウト寄りの紙書籍制作に対して、完全な組版固定アプリではないためです。バグと呼びたくなる挙動ですが、実態としては、Pagesの「再レイアウト癖」「画像アンカーの不安定さ」「日本語組版の微差の累積」が重なったものだと思われます。

対策としては、今後は以下を徹底した方が安全です。

完成直前のPagesファイルは複製して保存する。
PDF化したら、そのPDFを正本とする。
画像は原則として「ページに固定」にする。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link Link
文責:西田親生


         

  • posted by Chikao Nishida at 2026/5/22 12:00 am

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