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夢は、「慣れの怖さ」の警鐘か!?

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 昨夜は、夜食後にさっさと寝ることにした。食後1時間以上は時間を取って寝たいところだが、一昨日の炎天下の撮影会でエネルギーが相当消耗したらしい。かなりの爆睡であった。

 夢の中で、これまで書き綴ってきたエッセイやコラムをマガジン別に閲覧し、閲覧数の多いものをランダムに選び、検証中に気になった箇所をスクリーンショットに残し、その反省内容を書き記した。自分自身の執筆内容の悪癖や構造上の問題、表現のマンネリ化、更にはそのエッセイやコラムの必要性の判断である。

 慣れとは恐ろしいもので、時間に追われて執筆をしていると、キーボードの上の指が自然に動き、1000文字以上の記事を10本ほどサラッと書いてしまう。言葉があやふやだったり、結びの表現が同じだったり、切り口は良いが深掘りができていなかったりと、自己反省している夢であった。

 更に、現在筆者の事業展開において、一次代理店を設置し、新たな事業の模索(スタートから3年)をしている中で、代理店の動きが鈍すぎる点が問題となっている。一部の代理店のレベルの低さは、これまで体験したことがないほど歪である。よって、このような夢を見てしまうのだろうと。

 筆者主催の勉強会「Well Done Basic」や「Well Done Cross-media」においても、20代の若き参加者の吸収力や行動力と比較すれば、50代の熟年層代理店は異常なほどに鈍足であり、同じ過ちを何度も繰り返す。

 本来ならば、50代ともなれば若き世代を牽引し、立派なお手本を示さなければならないが、筆者のイメージとは真逆のベクトルにて愚策の繰り返しとなれば、堪忍袋の緒が切れそうになってしまう。

 20代の参加者は、同じ質問や感想など一切しない。向学心が高いので、吸収する勢いが凄まじく、次から次へと新たな知識を試していくのである。ところが、50代の問題児は毎週同じ報告で終了し、従来から指摘されていることが理解できていないのか、新たな展開にはならず頓挫している。

 若い人たちができるのに、経験豊富な世代が何故できないのかの大きな原因は、「素直さ」と「改善への意思」の欠落にある。長年慣れ親しんだ「鈍足と安全牌」がライフスタイルであり、変化を求めず、進化ができない状況が何十年も続いているのである。

 夢に出てきた人物を、夢から醒めて一人一人を検証すると、上記のような状況となっており、「慣れの怖さ」を再認識したのであった。慣れは決して人をブラッシュアップすることを阻止するばかりで、良い結果をもたらす事もなく、好循環とはならぬは周知の事実。

 勿論、自戒を込めての話だが、毎日の執筆活動もまた、慣れにより手抜きや逃げを選ばぬよう、厳しく自分に言い聞かせ、これまでの問題点を早期改善解決するために、「腐ったみかん箱」にならぬよう鋭いメスを入れたいと考える次第。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、「慣れの怖さ」に対する警鐘を鳴らすものであり、非常に自己反省的かつ洞察に富んだ内容です。以下に、いくつかの感想を述べます。

夢の象徴性: 夢の中で自身の執筆活動を検証し、反省点を見つけるというプロセスは、筆者の深層心理が「現状に満足せず、常に改善を目指す」という強い意志を持っていることを示しています。夢はしばしば潜在意識の表れであり、このエッセイでは夢が「慣れの怖さ」を教えてくれるツールとして巧みに使われています。

自己批評の重要性: 自分の過去の執筆を振り返り、悪癖や表現のマンネリ化を自覚することは、どんなクリエイティブな作業においても非常に重要です。筆者がそのプロセスを夢の中で行い、さらに現実の行動に反映させようとしている姿勢は非常に立派です。

世代間の比較: 若い世代と熟年層の比較は、筆者の事業展開における具体的な問題点を浮き彫りにしています。20代の若者の吸収力と行動力に対する賞賛と、50代の代理店の鈍足さに対する批判が対照的に描かれており、世代間のギャップを強調しています。特に、「素直さ」と「改善への意思」が欠如している点を指摘する部分は、経験豊富な世代が陥りやすい落とし穴を鋭く捉えています。

慣れの怖さ: 「慣れ」が進化を阻むというテーマは、非常に普遍的で多くの人に共感を呼ぶものです。日常のルーチンや安全な選択に慣れてしまうと、創造性や成長の機会を失う可能性があるという警告は、多くの人にとって耳が痛い話です。

自戒の念: 筆者が自らに対して厳しい姿勢を貫こうとしている点は、読者にとっても大きな教訓となります。自己批評を通じて自分を高めようとする姿勢は、他者への批評にも説得力を持たせています。

このエッセイは、単なる夢の話にとどまらず、筆者自身の反省と今後の決意を強く表現しており、非常にインスピレーショナルな内容となっています。日常の中での慣れに対する警鐘として、多くの人にとって考えさせられる内容でした。
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写真・文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/15 12:00 am

シミュレートできないのは頭が悪いのではなく、人や事象に無関心だから。

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 人が困っている時に、無意識に手を差し伸ばす人は、瞬間的にその人の立場になって考え、その人が困っていることを何とか解決しようとする意識が働くからこそ、瞬時に動けるのである。

 また、危機管理能力が長けていると言われる人は、これまでの経験の学習をしており、目の前の事象がどのような状況であり、それがどうなるのかの予測がつくから、危機管理が万全となり、回避できるのである。

 過ちを二度、三度繰り返すと、学習能力のなさを指摘される。更に、毎度のように鈍感さを露呈していると、人や事象に無関心であり、自分の足元さえ見えていないと叱責される。

 これは頭が良い悪いの問題ではなく、人や事象にどれだけ関心を持っているか否かの問題である。よって、考え方、受け止め方は人それぞれにて、どれが良い悪いの判断はつけられない。しかし、社会人として世の中で共存したいのであれば、人や事象に関心を持ち、世のため人のために考え行動することが、人として必要ではなかろうか。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、「シミュレートできないのは頭が悪いのではなく、人や事象に無関心だから」というテーマを通じて、人の関心と行動について考察しています。以下に感想を述べます。

感想

強調される関心の重要性

エッセイは、人が他人や事象に対して関心を持つことの重要性を強調しています。この視点は非常に共感できます。人が困っているときに手を差し伸べる行為は、単に思いやりの表れではなく、相手の立場に立って考える能力を示しています。これは、社会生活において重要なスキルであり、他者と良好な関係を築くための基盤とも言えます。

危機管理能力と学習

危機管理能力に優れた人々は、過去の経験から学び、現在の状況を正確に把握し、予測する力を持っていると述べています。この点も納得できます。経験から学び、それを次の行動に生かす能力は、個人の成長と成功に不可欠です。過ちを繰り返さないためには、常に自己反省と改善を心がける必要があります。

無関心の弊害

無関心であることの弊害についても触れられています。人や事象に無関心であると、社会人としての適応力が低下し、自分自身の成長機会を逃すことになります。無関心は、他人との関係だけでなく、自己の成長にも悪影響を及ぼすため、積極的に関心を持つ姿勢が求められます。

社会との共存

最後に、社会人として共存するためには、人や事象に関心を持ち、世のため人のために考え行動することが必要だと強調しています。この視点は非常に重要です。社会は一人一人が関心を持ち、協力し合うことで成り立っています。無関心であることは、個人の問題にとどまらず、社会全体に悪影響を及ぼす可能性があります。

結論
このエッセイは、人や事象に対する関心の重要性を説くものであり、社会で共存するための基本的な態度を示しています。頭の良し悪しではなく、関心を持ち、他者を思いやることが、社会人としての成長と成功に繋がるというメッセージは非常に共感できるものです。エッセイ全体を通して、人としての基本的な姿勢を見直す良い機会を与えてくれました。
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  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/13 12:00 am

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