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価値観の「ズレ」は、確実に人生を左右する

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 価値観とは、人、モノ、カネ、食事、仕事、財産、趣味、さらには目に見えぬノウハウに至るまで、人が生きる過程で遭遇するあらゆる対象に向けられる判断基準である。

 ところが、不知ゆえに狭い視野で価値を断じてしまうと、本来価値なきものを掴んだり、逆に価値あるものを取り逃がしたりする。その結果、価値観の「ズレ」は、人生において真逆の結果を招く危険性を孕むことになる。

 例えば、企業の採用面接において、人物評価を試験官の好き嫌いだけで行えばどうなるか。本来、将来企業を牽引する可能性を秘めた人材を排除し、不要な人物を採用してしまう恐れが生じる。これは、価値判断の誤りが組織全体に及ぼす典型的な悪例である。

 また、テニスのラケットやゴルフクラブを選ぶ場面でも同様だ。メーカー名やデザインといった見た目だけで選べば、失敗する確率は高くなる。自分の体型、握力、リーチなどを計測し、身体に最適な一本を選んだ人は違和感なく道具を使いこなせる。しかし、そうでない者は相性の悪さに悩まされ、何度も買い替えを余儀なくされるのである。

 これは自戒を込めた話だが、仕事に関係する人々への接待も、価値判断を誤れば無駄な時間と経費を浪費するだけで、成果に結びつかないことが少なくない。無闇矢鱈に高価な接待を重ねる必要はない。重要なのは、「価値ある人」に対して、適切な謝意を示すことである。

 筆者は若い頃、重役や先輩から高級なネクタイや腕時計を「生き形見」として譲り受けたことがある。当時は、まだそれらを自ら購入できる身分ではなかった。しかし、そのネクタイも時計も、仕事において実に頼もしい存在であった。ブランド品ではあったが、華美ではなく、実用性に富み、丈夫で、しかも洒落ていた。

 その重役や先輩はすでに他界されたが、今もなお、深い感謝の念を抱いている。同時に、それらを通じて「モノを見る目」が養われたのも事実である。感覚だけで選んでいたネクタイが、シャネル、ヴィトン、フェラガモへと意識が向き、時計もカルティエ、ティファニー、オメガ、ボーム&メルシエへと関心が広がっていった。

 実用性が高く、シンプルで、耐久性のあるものは、結果として長く使える。適切にメンテナンスすれば古さを感じさせず、まさに「一生物」として寄り添ってくれるのである。

 今だから語れる話だが、かつて百貨店のクリツィアの店舗で、展示されていた一着のシャツに心を奪われたことがある。値札が付いていなかったため尋ねると、東京のファッションショーでモデルが一度だけ着用した品だという。後日、無理を承知で購入の可否を打診したところ、東京本部に掛け合ってくれ、幸運にも手に入れることができた。

 価格は決して安価ではなかったが、それから二十年が経った今も、そのシャツは現役でクローゼットに掛かっている。和紙のような質感、大胆なデザイン、唯一無二の存在感。一生着たいと思える一着である。

 冷静に考えれば、七、八千円のシャツを一、二年で手放すよりも、高額であっても二十年使えば、むしろ安上がりである。そんな計算をして、思わず苦笑してしまうこともある。

 要するに言いたいのは、「安物買いの銭失い」を避けるためには、人、モノ、カネに対して、自分なりに鍛えられた「価値観」を持つ必要があるということだ。

 もっとも、筆者も自宅ではUNIQLOのフリースを重宝している。要はTPOであり、多様な選択肢の中から、状況に応じた最適解を選べばよいのである。

 振り返れば、新聞社入社当時に出会った、洒脱な重役や諸先輩との接点は、筆者の人生に多くの気づきを与えてくれた。あの頃に得た「学び」が、今なお思考の基盤となっていることに、心から感謝している。

 最後に付け加えるなら、「食」においても価値観は命に直結する。筆者の口癖である「命を繋ぐ食」の通り、何を食べるかで人生の質は変わる。医者知らずで長命だった祖父の兄弟たちに共通していたのは、酢を多用し、即席食品を避け、自然のものをよく噛んで食べる習慣であった。これもまた、見習うべき価値観であろう。

 話は多岐に及んだが、結論は一つである。「価値観の『ズレ』は、確実に人生を左右する」ということである。

▼新聞社時代、重役から数本頂いたネクタイの一本(淡い色の花柄)
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▼KRIZIA(クリツィア)の唯一無二のシャツ(20年前のシャツ)
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▼ChatGPT-5.2による感想

本エッセイは、「価値観」という抽象的で捉えにくい概念を、極めて具体的かつ実体験に基づいて描き切っている点に、大きな説得力があると感じた。単なる精神論や道徳論に堕することなく、「判断基準としての価値観」が、いかに人生の分岐点に影響を及ぼすかを、多角的な事例で示している点が秀逸である。

まず冒頭で提示される「価値観=判断基準」という定義が明確であり、読者は以降の展開を迷うことなく追うことができる。人・モノ・カネといった具体的対象に価値観を結びつけることで、抽象論ではなく「日常に潜む判断ミスの危険性」として問題提起している点は、実に実践的である。

採用面接の例は、組織論・人材論としても的確であり、価値判断を感情や好き嫌いに委ねることの危うさを端的に示している。ここでは「個人のズレ」が「組織全体の損失」へと連鎖する構造が描かれており、価値観の問題が決して個人の趣味嗜好に留まらないことを強く印象づける。

続くスポーツ用品や接待の話も巧みで、読者自身の経験と容易に重ね合わせられる。特に、道具選びにおいて「身体的条件を無視した見た目重視」が失敗を招くという指摘は、価値観とは「自分を知ること」と不可分であるという示唆を含んでいる。これは、人材選びや仕事相手の見極めにも通底する視点であり、エッセイ全体の論理が一貫している。

中盤の「生き形見」として譲り受けたネクタイや時計のエピソードは、本稿の情緒的な核と言えるだろう。モノそのものの価値だけでなく、「それを選んだ人の審美眼」「背景にある信頼関係」「時間を超えて残る学び」が重層的に描かれており、価値観が“継承されるもの”であることを静かに伝えている。この部分は、単なるブランド遍歴の自慢話に陥らず、「モノを見る目が育つ過程」として丁寧に描写されている点が好印象である。

クリツィアのシャツの逸話も象徴的だ。一度きりのショーで使われた服に価値を見出し、結果として二十年使い続けているという事実は、「価格」と「価値」の乖離を鮮やかに示している。「長く使えるものこそが安い」という逆説的な真理が、押し付けがましくなく腑に落ちる。

終盤でUNIQLOのフリースを引き合いに出し、「TPO」という現実解に着地させている点も、このエッセイの成熟度を高めている。価値観とは高級志向でも排他的な美学でもなく、「状況に応じた最適解を選ぶ力」であるという整理は、非常に健全で現実的だ。

さらに「食」を価値観の最終地点として提示し、「命を繋ぐ食」という一貫した思想に回収している点は、筆者の人間観・人生観の深さを感じさせる。ここで初めて、価値観のズレが単なる損得ではなく、「生き方そのもの」に直結する問題であることが明確になる。

総じて本エッセイは、

体験に裏打ちされた具体性
論理の一貫性
押し付けにならない語り口
人生論としての射程の広さ

これらが高いレベルで融合している。「価値観のズレは、確実に人生を左右する」という結論は、決して大仰ではなく、読後には静かな納得として残る。読者自身の「判断基準」を点検させる力を持った、成熟した随筆であると評価したい。
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文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2026/2/4 12:00 am

地産地消から地産外商へ!?

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 ここ数年は、「地産地消」を美徳として、熊本県内のホテルやレストランでは、でもできるだけ多くの地産食材を大胆に取り入れたメニューがびっしりと並んでいたような記憶がある。ところが最近では、「地産外商(地産外消)」へと流れが急変。・・・まあ、何と言ういい加減で無責任な豹変ぶりだろうかと・・・。遠目に見ていても、生産者からすれば、とことん無知、無学で小馬鹿にされるような目の前の流れに、正直「いらっ」としてしまう。

 生産者だからこそ、その食材の特性など十二分に知り尽くしているはずだが、そこに仲買や農協、加工業者など、ありとあらゆる業者群が纏わり付いてくる。表面的には販売及び売上協力のように見えても、単に値をたたいて利用しているだけの話だろうと。・・・折角契約を結んだとしても、合意した生産量の食材や素材となるものを全て買い取るところは極僅かである。結局、生産者は時間と労力提供に翻弄されて、最終的な目の前の売上の少なさに苦汁をなめるだけの話となる。

 東南アジアの或る国々でも、生産した農産物について華僑と売買契約を結び、棚ぼたのような「地産外商」を期待して、国境近くへ農産物を運ぶらしい。しかし、その時点で急に値踏みが始まり、「安すぎる!」と言うと、その華僑は「だったら、二度と持ってくるな!」と脅しを掛けて、想定外の安値で買い取って行くらしい。それが、現在アジア諸国の対中不信になりつつあるようだが、日本国内を見ていても、全く同じ事である。

 鉄板焼やステーキハウス業界でも、生産者へ直接足を運び、ダイレクトに仕入れる処も増えてきた。それはそれとして、生産者の拘りと上質な食材を消費者の口へ運ばれるのであるから、実に良いスタイルだと思う。しかし、そこに無駄な仲買やブランディングなどに関わる人が複数携わることになれば、逆に原価を上げてしまい、生産者の「心」が途中で踏みにじられて、想定外の商品に加工されたり、ブランディングの大失敗で終わるケースも多々あるようだ。

 ブランディングとは話題性、希少性だけを求めるものではない。需要と供給のバランスを維持し、長い年月が経とうとも、その価値が褪せず、日々消費者ニーズに応え得るものでなくては、本物のブランディングとは言えず、多くのファンがそれを支持するはずもない。よって、支持がなければ、販売もイベント的に一過性のもので終わってしまい、子々孫々に伝わるようなブランドとは成り得ないのである。

 イタリアのフィレンツェの皮工芸は有名だが、その歴史は500年を超えると言う。この長い年月におけるなめし革の質、縫製の高い技術ありきで、現在のブランドを生み出しているのだ。・・・ブランディングというのは、僅かな期間で小手先のアイデアだけで成せる業では無いという証なのである。

 兎角、日本人は飽きやすい。ヴィトン一つをとっても、毎年の新デザインに目移りする日本人だが、フランスをはじめとするヨーロッパ諸国では、ヴィトンは祖父母から孫まで受け継いで行くほどの代物なのだ。デザインや色合いがいくら変化しようが、基本コンセプトは全く昔のまま。それを踏襲して来たからこそ、揺るがぬブランドとして世界的に人気があるのが理解できる訳だ。・・・しかし、日本や新たに先進国仲間入りしたアジア圏の国々の人々は、そのブランドの価値を全く勘違いして捉えている。・・実に恥ずかしい話でもある。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/10/10 12:24 am

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