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自然体から発せられる言葉に勝る名言なし。

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 専門用語が炸裂する専門分野はさておいて、普段の会話やメールの遣り取りで、難解な言葉をこよなく愛してやまない人がいるが、それでは、伝えたいことは伝わらない。

 難解な言葉を遣う方が頭の構造が良さそうに見えるが、それは表面だけのことで、実際には頭の構造が悪い人が多い。そこで、相手の理解力や読解力を考慮しつつ、核心を伝えるのが、頭の構造が良い人の手法である。

 また、江戸時代のような稀有なる故事成語をドミノ倒しのように並べる人もいる。その話を聞けば論理展開は不明瞭で、何を言っているのか分からず、無駄に時間だけが過ぎて行く。

 言葉や文字は、心の伝達ツール(道具)。だから、普通に、きちんとした日本語を話したり、書いたりすれば、相手に伝わるはずだ。しかし、細部に亘り美辞麗句ばかりが並ぶと、妙に嫌らしく、理解不能になってしまう。

 要点を簡潔に表現する際には、四字熟語などを遣っても構わないが、自然体にて、無理に力を入れずに話すか文章を書く方が、更に、相手に対して透明感を持たせることで、真の心を伝えることが可能となる。

 何よりも「言霊」とか宗教的な言葉を過度に遣うべきではない。よって、意表を突くようなトーンで難解な言葉を遣うのはオススメしない。特に、自己主張に傾注する人々は、過度にそれに依存するがあまり、伝わるべき心が伝わってはいない。

 筆者が若い頃に感銘を受けた言葉の一つに「Think different.」という名言がある。それ以来、自身のモチベーションを高め、前進するために、朝から鏡を見ては、「Think different.」と呟いていたのである。

 自然体から生まれる言葉に勝る名言はない。因みに、名言とされるものは、すこぶるシンプルな言葉が多い。しかし、その中身は宇宙のように、発言者の魂がぎっしりと詰め込まれているのだろうと・・・。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、言葉の使い方についての洞察について述べており、自然体の言葉がより効果的であると主張しています。以下に評価のポイントを示します。

論理的な構成: エッセイは論理的な構成を持っており、導入、主題の説明、具体例、結論といった要素が明確に配置されています。この構成により、読者は論点を理解しやすく、主張が明確であることを把握できます。

具体例の使用: 論点を具体的な例を交えて説明することで、論理を強化しています。江戸時代の故事成語や過度の難解な言葉の使用についての具体的なエピソードを提示することで、主張がより具体的になりました。

言葉の力への言及: エッセイは言葉の力についての洞察を提供しており、「言葉や文字は、心の伝達ツール(道具)」と述べています。この視点は、言葉選びの重要性を強調し、読者に共感を呼び起こします。

自然体の重要性: 自然体での言葉の使用に関する主張は、エッセイの中心的なテーマであり、論理的に説明されています。自然な言葉は相手に透明感を持たせ、心を伝えるのに役立つという点が、具体的なアドバイスとして示されています。

経験に基づくエピソード: 著者自身の経験を共有し、読者に共感を呼び起こす要素が含まれています。著者が「Think different.」という名言を日常生活に取り入れていたエピソードは、自然体の言葉の力を実証的に示しています。

結論: エッセイは適切な結論を持っており、「自然体から生まれる言葉に勝る名言はない」という主張を強調して終了しています。結論は主題に忠実であり、読者に強い印象を残します。

全体的に、このエッセイは論理的に組み立てられ、具体的な例と経験に基づいた洞察が含まれており、言葉の使い方に関する価値ある考察を提供しています。言葉選びの重要性と自然体の言葉の力についてのメッセージは、多くの読者にとって有益であると考えられます。
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写真・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2023/9/22 12:00 am

強がっていると、人生、損をする。・・・自分の弱みを堂々と見せる方が懸命な生き方!?

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 これは筆者の半生を振り返って思うことであり、あくまでも私見である。

 親が法曹関係者であり、厳格な家に育てられた。しかし、昔ながらの家長制度も残っており、ちょうど真ん中にいる筆者は、上からは潰され、下からは突き上げられの幼少期であった。

 幼友達も歳上ばかりで、体格が劣っていても、相撲や喧嘩は負ける訳には行かない。その幼少期に、異常なまでの負けず嫌いの性格を焼印されたように思えてならない。

 負けず嫌いの性格だから、外面は強気の姿勢にて、絶対に脆弱なところを見せずに大人になってしまった。

 周囲の人の中では、現在でもそうだが、「あの人は大丈夫。パワーもあり、メンタル強いし、頑丈にできている!」という人が圧倒的に多い。

 以前、サテライトオフィスがメゾネットになっており、ビルの6階、7階、その間に中6階があった。

 その中6階の6段ほどの階段から6階フロアへ落ちたのである。ワックスがピカピカなのは良いが、ツルツルとなっており、それが原因で滑り転けた。

 その時、番組の手伝いをしていた男女が二人立っていたのに、誰一人として、手を引っ張り起こしてくれる人はいなかった。「大丈夫ですか?」の声は確かに聞こえたようだ。

 二人とも社外の人間だが、私だったら、転けた人を見たら、直ぐに近づき、頭を打っていないか、その他怪我はないかをチェックする。

 しかし、二人とも掛け声だけだったので、少々腹が立った。落ちる瞬間はスローモーションに感じ、一瞬で丸まって受け身をしていた。

 頭や腹を打たぬように、瞬間的に防御姿勢になっていたのである。そこで男性に一言、「何故、手を伸ばして助けようとしないのか!?」と聞いてみた。

 そこで返ってきた言葉が、「いや、体は筋肉質だし、大丈夫だと思っていたので。」と、大したことがないと感じたらしい。

 普段の負けず嫌いの性格である筆者が、肉体的にもメンタルも全て頑丈にできているというオーラを放っていると言うのである。

 この場合、筆者が普段から非力で痩せ細っている人間であれば、「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」と手を差し伸べてくれたのだろうと。

 その時の防御体勢が良かったのか、無傷のまま立ち上がった。しかし、立ち上がる前に、後頭部や側頭部、肩や腕、足腰などの無傷を確認し、さっと立ち上がった。

 些細なことだが、これが全てを物語っている。

 皆同じ人間なのだから、強靭なところも脆弱なところもある訳だ。ただ、それを日頃から表に出せる出せないで、周囲の人たちの受け止め方、考え方が異なることに気付かされた。

 昔を思い出せば、小中高と2つずつ学校を渡り歩いた転校生(父の転勤)だったが、虐めに遭おうとする瞬間に、相手を全て瞬殺していた。よって、虐められて凹んだことなど一切ない。

 幼い頃の先輩たちの激しい相撲や喧嘩で鍛えられたからこそ、絶対に凹まない人間になったんだろうと。しかし、自分で頭の中を覗けば、結構、繊細で傷付きやすい性格も持ち合わせている。

 それを人前では絶対に出せないサイボーグ人間になってしまった。だから、ここ一番の時に、同情されることは皆無、心配されることも皆無、何でもかんでも無傷大丈夫な男である。

 大声で、「私はそんなに強くはない!」と言いたいけれども、生まれてこの方、人前で涙を流すことはないけれども、映画を観ていて、感動シーンの最中に、熱いものが頬を伝ってくる。

 畢竟、「私はそんなに強くはない!」を幼少期から披露しておけば、もっと楽チンな半生になったのかも知れないと思ってしまう。

 何事も強がらず、迷いが生じたり、困ったり、辛い時には、心から信頼のおける人へ吐露することが一番なのかと。我慢することも大事であるけれども、我慢も度が過ぎれば、脳内に傷が残ることも頭に入れておいた方が良い。

 逆に、「私は肉体的にも精神的にも弱い人間なんです!」と大声で言える人の方が、よっぽど精神的にも強い人間なのかも知れない。


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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2023/1/8 12:00 am

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