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企業における若者の「覚醒」は、その企業の「宝」である。

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 近場の人間で、仕事現場で「覚醒」する瞬間を見れる時ほど嬉しいものはない。「覚醒」した若者は、眼光が鋭く輝き、次のステップへ走り出しており、ターボエンジン音のように加速度が心地良く伝わってくる。

 それを経営者自身と比較し、若者の仕事に対する「覚醒」の価値を認めず、一つ一つ「難癖」を付けたがる経営者もいる。いくら自分の技術力が高く、経歴が輝かしいと自己満足していても、目の前の若者の「覚醒」を見過ごすものではない。

 何事も、過去よりも今、そして近未来が重要だ。過去の栄光に固執して、それを若者に強要しても、何の意味もなさない。時代は変わり、世界も日々変化日々進化しているのだから、当然の流れとなる。

 中でも、「自己愛」を好む経営者は、己が一番で、己の言うことが全てであり、己が「法典」のように勘違いしている経営者も存在する。「自己愛」は結構だが、度が過ぎると、専制国家が「国際法」を無視するようなものとなる。

 それでは、伸び代大の若者も育たず、気づけば、他の世界へと流出して行く。しかし、日頃から若者を認めたがらぬ「老害」は、立ち去るものを悪人に仕立て愚弄し、追い払ってしまう。

 独裁企業に共通する特徴は、「離職率」の高さにある。それが、十年、二十年、三十年と長年続くと、心に傷を負った多くの人が外界へ逃げ出す。よって、周囲には企業を支える人が激減し、結局、経営者自身は「裸の王様」となり、「企業力」は思いの外減衰する。

 若者の「覚醒」は金銭に変え難く、企業の「宝」である。その「宝」を、何の根拠もなく、経営者の胸先三寸で叱責してしまうと、今の世であれば、「パワハラ」という犯罪に繋がる可能性がある。

 筆者は、コンサルティング業務を行っている時に、「老害」なるものを数多く見てきたが、若者の仕事への取り組み方に「非」がないことが大半であった。それに「難癖」つけて若者の「覚醒」を否定するならば、若者のモチベーションは下がるばかり。

 「気づき」ありきで「覚醒」が生まれる訳だ。純朴な若者を、何故認めようとしないのか。更に、「依怙贔屓」により「差別待遇」が横行すると、「忖度」ばかりの歪んだ社内環境となってしまう。

 従って、「正義正論」を貫き、「ノー!」と言える、遣る気ある若者をしっかりと育てるが、クレバーな経営者としての責務ではなかろうか。
CHIE2022


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書・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2023/3/24 12:00 am

「部下の客観的査定」が、定石。

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 いろいろな企業を観察していると、大抵の場合、上司と部下の関係、同僚の関係、更には経営者と社員との関係が問題になっていることが多い。

 企業にとっては、当然のことながら、「部下の客観的査定」が定石であるが、それが主観バリバリの「依怙贔屓ありきの査定」となれば、「モラルなき企業」として「脆弱」となるばかりで、じわじわと足元から腐って行く。「コンプライアンス」などどこ吹く風である。

 では、「部下の客観的査定」とはどう言うことなのか。以下、ランダムに検証したい。

1)上司のご機嫌伺いをしながら仕事をする部下

 上司にとっては、「ご機嫌伺い」をされるのだから、決して不愉快なものではない。しかし、これを心地良く感じていると、社内に「無法地帯」が現れる可能性がある。

 上司と部下との関係で必要なことは「信頼関係」である。しかし、それが「ご機嫌伺い」となれば、「信頼関係」なんぞ存在するはずもなく、そこには「虚言」であったり「欺罔」がゴロゴロ転がっているだけだ。

 「ご機嫌伺い」の心地良い言葉を何度も聞かされ、まんまと騙される単純極まりない上司も多く、健全企業として必要不可欠なる「部下の客観的査定」を忘れ、企業全体が根腐れを起こしてしまうこともしばしば。

2)上司に気に入られて有頂天になる部下

 起業する前は、新聞社に勤務していたが、昭和の風は生ぬるく、「依怙贔屓」の大全盛の時代でもあり、僅かながら、上司への「胡麻刷り」を堂々行う、「大根役者」もいた。しかし、単純な上司は、その「胡麻刷り部下」を可愛がり、「依怙贔屓の泥沼」に嵌って行くのである。

 また、社内で力を持つ上司に気に入られた「胡麻刷り部下」は、その権限が自らも同等であるかのように勘違いすることで、横暴なる言動が目立ち豹変する者もいる。実に厄介な現象であるが、これまた「依怙贔屓」の負の遺産として企業を根っこから腐らせて行く。

3)牢名主のような「似非ベテラン社員」の勘違い、履き違え 

 「ベテラン社員」は、企業にとって頼り甲斐があり、必要不可欠なる存在である。しかしながら、それが「牢名主」のような「似非ベテラン社員」となれば、決裁権もない職位にも関わらず、役員トップのような口調で、周囲の部下や外部に対して「虚言」や「不平不満」を吹聴して回る輩もいる。

 これもまた、企業全体を毒ガス室のように窒息させ、「笑顔のない仕事環境」を常態化し、部下のモチベーションなど全く上がるはずもなく、「企業実績低迷」という最悪の事態に陥って行く。

 更に、経営側がその「牢名主」を信頼し、その発言に耳を貸すようになれば、企業全体が「病的」なものとなり。上司と遣る気ある部下との「信頼関係」が完全に崩れ、気づけば、多くの有能な部下たちが会社を去って行く。

4)誹謗中傷、揶揄、悪口、陰口、告げ口の底なし沼

 長年の間、心無い「牢名主」が幅をきかせていると、健全であるべき企業の軸が歪み切ってしまい、その「悪き慣習」が社内全体に蔓延し、善良なる部下たちは仕事に集中できぬ状況下に陥り、二進も三進も身動きができなくなってしまう。

5)手柄は全て自分のもの、失敗は全て他人のもの

 元々狡賢く、自らを認めてもらう為に、演出過多の人間は思いの外多い。一歩、二歩離れて見ていると、態とらしい挙動が滑稽でもあり、それを堂々と行っている姿は、「恥ずかしさの境界線」を逸脱している。

 特に、職位や給与について固執している人間は、人を蹴落としてでも上座に座りたいと卑怯な手法にて、同僚を裏切り、保身の為に異常行動を採ることもある。

 本来ならば、「失敗は最高のオポチュニティ」として、皆で共有すべきものである。

 以上、ランダムに挙げてみたが、これらの解決法は、先ず、上司が狡賢い部下や、卑怯な部下、更には人格欠損の部下であるか否かを見抜くことだ。

 しかし、その上司が若かりし頃、同じような「依怙贔屓」ありきの環境にて慣れ親しんで来たのであれば、改善の余地はない。

 賢明なる経営者であれば、以上のような「悪き慣習」を社内で認めることはない。それを放置していると、愚行なり蛮行が蔓延し、どんどん皆に感染してしまい、「モラルなき企業」として腐ってしまう。それは、全てに経営者の責任であり、自業自得と言うことになる。

 返事が素晴らしくフットワーク良く働く部下を見て、ほとんどの上司は良い査定をするに違いない。しかし、「人格査定」にまで届いていないために、小手先で騙され、本質を見破ることができず、心無いお調子者を黙認することになってしまう。それでは、「能力ある人材が背負う企業」とは真逆のベクトルとなり、企業は衰退して行く。

 畢竟、経営者や上司は、部下が「ノイジー・マイノリティ」なのか、「サイレント・マジョリティ」なのかの見極めができなければならぬと言うことである。

 平たく言えば、「ノイジー・マイノリティ」はお祭り野郎であり、お調子者であり、常々「虚言」を発しては「保身」に傾注している輩が多い。

 それに対して、「サイレント・マジョリティ」は寡黙で常識者、人格者であり、企業実績を憂いて一所懸命に仕事に邁進している人が多い。

 それに気づくか否かで、企業のカラーも「ホワイト」になるか「ブラック」になるか、決まってしまう。実に簡単なことだが、一般企業において、それが理解できぬ経営者も少なくはないのが現状である。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2023/3/3 12:00 am

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