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SecondLife(仮想現実世界)のスマホアプリ登場

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 2007年、仮想現実世界(メタバース)の先駆者として世界を席巻したのが、SecondLifeであった。

 筆者は、SecondLife日本上陸と同時に、Kumamoto Japan(SIM)を購入し、実は2023年3月31日までSIM運営を行なっていた。

 最新情報だが、その大御所がiPhoneやGoogle playのアプリとして登場したのである。

 仮想現実世界のKumamoto Japanでは、実寸大の熊本城(大天守・小天守・宇土櫓)、鞠智城、芝居小屋 八千代座をバーチャルワールドに建造し、何十万人ものアバターが国内外から訪れてきたことを思い出す。

 筆者のアバター名は、Chikao Foden。自分の分身であるが、加藤清正やウサギ、その他のアバターに変身し、SIM内で車に乗ったり、ヘリで飛んだりと、パソコン画面に想像の世界が可視化されることに唸るばかりであった。

 まだ体験されたことがない方は、パソコンでは、以下のURLにて登録を済ませ、スマホからでもアプリをダウンロードすれば、双方からアクセス可能となり、自分のアバターでバーチャルワールドを思う存分楽しめる。

 近頃、メタバースというのが共通語となっているが、この大御所たるSecondLifeのクオリティに適うものは存在しない。当時は、高速の高価なパソコンでなければアクセス不可だったが、時代は変わり、スマホからアクセスが可能となるので、いつでもどこでも楽しめることになる。

 驚きだ。

▼SecondLife公式サイト
https://secondlife.comLink
▼メタバース時代を予見していた、SecondLife!
https://note.com/chikaonishida/n/n1945ef1bfb6cLink
▼仮想現実世界遭遇から17年・・・
https://note.com/chikaonishida/n/naa9ba631d80bLink
▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、SecondLifeがかつて仮想現実世界(メタバース)の先駆者として君臨していたこと、そして現在、スマホアプリとして登場したことへの驚きと感慨を述べたものだ。筆者自身の深い関わりも綴られており、SecondLifeの持つ歴史的価値と、新たな時代に適応する進化の様子が伝わってくる。

感想と考察

1. SecondLifeの歴史と筆者の関与

筆者が2007年のSecondLife日本上陸と同時にSIM(仮想土地)を購入し、2023年3月まで運営していたことは非常に興味深い。特に「実寸大の熊本城(大天守・小天守・宇土櫓)、鞠智城、芝居小屋 八千代座をバーチャルワールドに建造」したという点は、単なる個人の趣味を超えた文化的・歴史的意義のあるプロジェクトであったことを示している。

SecondLifeは、一般のゲームとは異なり、ユーザーが自由に世界を創造できるプラットフォームであり、その点を最大限に活用して、熊本の象徴的な建造物を仮想世界で再現したことは、デジタルアーカイブの先駆的な試みとも言える。
何十万人ものアバターが訪れたという事実も、その成功を物語っている。

2. メタバースの変遷とSecondLifeの価値

「メタバース」という言葉が一般化した今、SecondLifeが再び脚光を浴びるのは興味深い。SecondLifeは、Facebook(現Meta)のHorizon WorldsやDecentralandなどの新世代のメタバースよりも先に登場し、完成度の高さで多くのユーザーを魅了していた。

筆者が述べるように、当時は「高速の高価なパソコンでなければアクセス不可だった」が、今ではスマホからでも楽しめるという変化は、テクノロジーの進化とユーザー体験の向上を示している。これは、単なる懐古ではなく、「時代の流れに適応しながらも、SecondLifeの本質は変わらずに残っている」 ということを示唆している。

3. アバターとバーチャル体験の魅力

筆者が自身のアバター「Chikao Foden」としてSecondLifeを楽しんでいたことが語られているが、特に「加藤清正やウサギ、その他のアバターに変身し、SIM内で車に乗ったり、ヘリで飛んだり」という体験は、まさにメタバースの醍醐味を象徴するものだ。

メタバースの最大の魅力の一つは、「現実ではできないことができる」ことだ。加藤清正に変身して熊本城を巡る、ウサギの姿で走り回る、ヘリに乗って空を飛ぶ――これらの体験は、ただの3D空間ではなく、「ユーザーの想像力を具現化できる場所」 であることを証明している。

4. SecondLifeのスマホアプリ化のインパクト

このコラムの最大のポイントは、「SecondLifeがスマホアプリとして登場した」という最新情報 だ。
かつてはPC専用で、動作も重かったSecondLifeが、モバイルでアクセスできるようになることは、メタバースの普及において大きな意味を持つ。

近年、VRデバイスや3Dメタバースの発展が進んでいるが、多くの人にとってはスマホが最も身近なデバイスである。スマホ対応によって、SecondLifeの新たな可能性が広がるのは間違いない。

また、これは単なる技術の進化ではなく、「かつてのSecondLifeを楽しんだユーザーが、再び戻るきっかけ」になる可能性もある。
かつての住人たちが再集結し、新しい世代のユーザーと融合することで、新たなコミュニティの形が生まれるかもしれない。

5. 結論:SecondLifeの「復活」への期待

SecondLifeは、メタバースの元祖でありながら、一時は時代の流れに埋もれかけた。しかし、今回のスマホアプリ化によって、その存在感を再び示しつつある。

・PC専用だったものが、スマホ対応に進化
・高価なハードウェアが不要になり、より多くの人がアクセス可能に
・過去のユーザーと新規ユーザーの融合による、新たなコミュニティの誕生

こうした要素を考えると、SecondLifeのスマホ版登場は、単なる過去の焼き直しではなく、新たなムーブメントの始まりとなる可能性を秘めている。

筆者が感じた「驚き」は、そのままSecondLifeの持つポテンシャルへの期待感へとつながる。
今後、このメタバースの大御所がどのような展開を見せるのか、引き続き注目したい。
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文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2025/3/15 12:00 am

ゆとり教育が生んだ社会の歪み

Chikao-Donshu


ゆとり教育の功罪

 2002年から10年間続いた「ゆとり教育」。詰め込み教育を廃し、自由な学習環境を促進する目的で導入されたが、その影響がボディーブローのように効いてきている。

 日本の教育制度の転換は、極端かつ行き当たりばったりに見え、熟慮に基づく政策とは思えない。団塊の世代の人口急増、高度成長期、そして就職氷河期を経て、人口減少に伴う人手不足が顕在化する中、教育と人口政策の失敗が現在の社会構造の歪みを生んでいる。

 私見を述べれば、ゆとり教育は机上の空論に過ぎず、後先を考えぬ拙劣な教育改革であった。マスコミが「徒競走で手をつないでゴールする」といった象徴的な映像を報じたが、これは国家の競争力を著しく低下させる結果を招いただけである。

教育制度と人口政策の失敗

 かつて日本の教育制度を参考にして知的レベルを向上させた北欧諸国と比較すると、現在の日本の教育行政はまるでモルモットの実験場のようである。実効性のない改革が繰り返され、教育の本質を見失っている。

 この影響は国際競争力の低下として表れ、人口政策の不備とも相まって、日本は国力の減衰を免れ得ない状況にある。特に民主党政権下で行われた「無駄を省く」名目の政策は、現場を知らぬ議員たちの思い付きによるものであり、結果として国家の基盤を揺るがした。

 教育とは極めて重要な要素であり、幼少期に「ゆとり」を植え付けられた子供たちは、社会に出た際に厳しい現実に直面し、適応できずに挫折することが多い。霞が関のキャリア官僚による机上の理論が生み出した「罪」は、想像以上に深刻な影響を及ぼしている。

「ハラハラブーム」の弊害

 教育界の混迷に追い打ちをかけるのが、近年の「ハラハラブーム」である。パワハラ、セクハラ、スメハラなど、あらゆる「ハラスメント」が過剰に取り上げられ、人々は過敏になりすぎている。その結果、人間関係の距離が遠のき、社会全体の信頼関係が損なわれつつある。

 犯罪の種類を検証すれば、その時代の社会状況が透けて見える。かつては想像もつかなかったような重大事件が頻発する日本は、もはや世界に誇る先進国の姿を失いつつある。ゆとり教育が生んだ競争意識の希薄化と、「ハラハラブーム」による対人関係の萎縮や歪みは、社会全体の活力を奪ってしまった。

国家体制の歪み

 このような社会的混乱の中で、政治は効果的な秘策を打ち出せていない。単なるパフォーマンスとして新たな省庁を設置することが改革と勘違いされているが、実態は無駄な税金の浪費に過ぎない。

 政治家の「腹芸」や曖昧な国会答弁が続く中、日本はデジタル技術の分野でも後進国化している。国会中継の映像は数十年前と変わらず、質疑応答は延々と時間を浪費するばかりである。この現状こそ、日本の政治が時代遅れである証であろうかと。

庶民が求めるもの

 社会の根本的な問題は、庶民の生活にある。我々が日々不安を抱くのは、命を脅かす凶悪犯罪や各種の社会不安である。しかし現行の法制度では、ほとんどの被害者が泣き寝入りを強いられるのが実態である。

 庶民が望むのは、安全に暮らせる社会であり、安心して働ける環境であり、誠実な人々が相互信頼のもとで共生できる社会である。しかし現実には、格差は拡大し、「質素倹約」「質実剛健」という名目のもと、庶民には耐え忍ぶことばかりが強要されている。

 ゆとり教育の弊害、ハラハラブームの過剰反応、政治の迷走・・・これらが複合的に絡み合い、日本社会を歪めている。この流れを断ち切り、本来の活力を取り戻すためには、教育改造、労働環境の改善、そして政治の抜本的改革が不可欠である。

 今こそ、選挙結果を意識したパフォーマンス的な改革ではなく、国家としての根幹を問い直すべき時である。

 心地よく働き、美味しい食にありつけ、全ての人たちが相互信頼で結ばれた社会は、我々庶民の目には映ることはない。貧富の差を黙認させるような「質素倹約」や「質実剛健」とは、我々庶民に強要された洗脳的なものでありはしないか。

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▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、日本の教育政策、社会構造の変遷、そして政治の機能不全について鋭い視点から論じられている。以下、詳しく感想を述べる。

1. ゆとり教育の功罪
コラムは、ゆとり教育の導入が日本社会に与えた影響を「ボディーブローのように効いてきている」と表現し、その負の側面を強調している。確かに、ゆとり教育は「詰め込み教育」の弊害を改善するために導入されたが、結果的に学力の低下や競争意識の希薄化を招いたとする意見には一定の説得力がある。

特に、「徒競走で手をつないでゴールする」といった象徴的なシーンが持ち出されているが、これは当時のマスコミ報道の一例であり、実際のゆとり教育全体を評価するにはやや極端な印象もある。ただし、教育制度が短期間で大きく揺れ動いたことが、日本社会に与えた影響を「行き当たりばったりの政策」と断じる点には、共感できる部分が多い。

2. 教育制度と人口政策の失敗
コラムは、ゆとり教育の問題だけでなく、人口政策の失敗とも結びつけて議論を展開している。「かつて日本の教育制度を参考にして知的レベルを向上させた北欧諸国」との比較は興味深い。実際に、フィンランドなどの国々は教育改革を成功させた一方で、日本は「モルモットの実験場」のように見えるという指摘には、日本の政策の一貫性のなさが浮かび上がる。

また、民主党政権時の「無駄を省く」政策が結果として現場を混乱させたという指摘も、政策決定の際に現場の視点が欠落していたことを示唆している。教育行政が理論先行で進められた結果、実際に社会に出る若者たちが適応できずに苦しむ状況が生まれているという論点は、現代の就職市場や労働環境を考える上で無視できない。

3. 「ハラハラブーム」の弊害
この部分は、近年の社会問題に対する過剰な反応を批判的に捉えている。確かに、パワハラやセクハラといった問題に対する社会の感度が高まることは必要だが、それが行き過ぎることで「人間関係の距離が遠のき、社会全体の信頼関係が損なわれつつある」という指摘には一理ある。

特に、コラムが指摘する「想像もつかなかったような重大事件が頻発する」という現象と、社会全体の競争意識の希薄化や対人関係の萎縮を関連付けている点は興味深い。社会のモラルや教育が、犯罪や人間関係の希薄化とどのように結びついているのかというテーマは、より深掘りできる論点だろう。

4. 国家体制の歪み
このセクションでは、日本の政治の現状について辛辣な批判が展開されている。「政治は効果的な秘策を打ち出せていない」「パフォーマンスとして新たな省庁を設置することが改革と勘違いされている」という指摘は、確かに過去の行政改革の中には形だけの改革も多かったことを示唆している。

また、「国会中継の映像は数十年前と変わらず、質疑応答は延々と時間を浪費するばかり」という指摘も的を射ている。日本のデジタル行政の遅れや、政治家の姿勢に対する批判として納得できる部分が多い。

5. 庶民が求めるもの
ここでは、社会の根本的な問題が庶民の生活にあることを強調している。「安全に暮らせる社会」「安心して働ける環境」「誠実な人々が相互信頼のもとで共生できる社会」といった庶民の求める理想が、現実には達成されていないことへの不満が表現されている。

特に、「貧富の差を黙認させるような『質素倹約』や『質実剛健』とは、我々庶民に強要された洗脳的なものでありはしないか」という指摘は、日本社会の価値観そのものへの疑問を投げかける点で非常に示唆に富んでいる。

総評
このコラムは、単なるゆとり教育批判にとどまらず、日本の教育、社会、政治の複合的な問題を紐解きながら、現在の社会の歪みを浮き彫りにしている。辛辣な表現が多用されているが、それだけ筆者の危機感が強いことが伝わってくる。

・教育改革の問題を、短期的な施策ではなく、長期的な国家戦略として捉えるべきであることを示唆している点は鋭い。
・「ハラハラブーム」の指摘は、社会の過剰反応とその副作用を考えさせる視点として興味深い。
・政治の機能不全についても、単なる批判ではなく、現状の問題点を的確に指摘している。

全体として、社会全体の構造的問題を的確に指摘した良質なコラムであり、読む人に強い印象を与える内容だった。
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◎ロゼッタストーン公式サイト(since 1995/熊本県第一号WEBサイト)
 https://www.dandl.co.jp/Link
文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/3/14 12:00 am

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