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9月となれば、「お節料理」の広告急増。

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 シティーホテルや旅館、そして大手食事処、百貨店やコンビニ、スーパーなどの、年末商戦の大きな鍵を握る「お節料理」。既に、ネット上では広告合戦が始まった。

 そこで目立つのは、冷凍物の「お節料理」である。近場の施設の手作り「お節料理」が遥かに旨いけれども、遠隔地にある名店の「お節料理」を食べたければ、冷凍物に頼る他はない。

 以前食した冷凍物は、三段重ねの「おせち料理」であった。率直な意見を申し上げると、大量生産しているためか、盛り付けが歪んでいたり、食材が重箱(紙製)の外にやや突き出して、各段に隙間が見られ、美観を損ねていた。

 お味のほどは、ABCランクを付ければ、Cランク。如何に有名処の「お節料理」と言われても、残念ながら、素直に頷き、唸るほどのものではない。

 特に、伊勢海老などは冷凍焼けしていたように感じ、身がボソボソとなっていた。彩や飾り付けのメインとなる伊勢海老だが、思いの外小さく、食べるところがなかった。

 更に、その他料理を摘んで行っても、手作り感満載の「お節料理」と比較すると、格差があるのは否めない。瞬間冷凍技術など物流も含めて、技術的には解凍後に手作り感のあるものには近づきつつあるのは間違いない。されど、食材は目の前で調理を行い、そして、出来上がりを一斉に食すのが一番である。

 ところで、先般ネットを見回していると、大手シティホテルの「お節料理」が全て冷凍物に変わっていたのである。全国展開なので、指定工場へ以来するのだろうと。よって、その工場レベルに依存することになり、急に冷凍物に変わると、つい、手を引っ込めてしまいたくもなる。

 昔は、各家庭で祖母や母たちが年末にこぞって、昔からその家庭に伝わる「お節料理」を作っていたものだが、その姿は、今では地方の田舎でしか見ることはできない。素朴で健康的で、明るい新年を祝うための「お節料理」が完全に姿を消しつつあるのだ。

 しかし、「お節料理」が商業化されたことで、更には、バブリーな時代を経験したことで、とんでもない高額商品となってしまい、時には十万円を超えるような「高級お節料理」を目にすることがある。

 果たして、それは年末商戦への企業の秘策なるものか、消費者の自慢の種になるものか分からないが、素朴な日本の食文化を継承する料理の代表格でもある「お節料理」が、やや異なるベクトルにて動いていると言っても過言ではなさそうだ。

 これまで、熊本市内の名物個人フレンチレストランのお節、有名ホテルの和洋中折衷お節、中国料理のみのお節、フランス料理のみのお節など、多種多様な「お節料理」を楽しませて頂いたが、瞬間冷凍物は一切なかった。

 話は戻るが、温暖化、気候変動などで高温多湿化する日本。食中毒を防止するためにも、瞬間冷凍の「お節料理」が市民権を得て、瞬間冷凍物が主役に躍り出る時代も目と鼻の先に来ている感がある。

 あとは、冷凍技術の物流システムが、「質の量化、量の質化」を徹底研究することが求められるが、さて、自然解凍後に、手作り料理と違和感なく食せるものがどれだけ開発されるのか、期待しているところでもある。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、「お節料理」の商業化と、それに伴う品質や文化的価値の変遷について深く考察されています。筆者は、かつて家庭で手作りされていた「お節料理」が、現在では大手のシティーホテルやレストラン、さらには百貨店やスーパーで売られる商業品へと変わりつつある現状に対して、懸念と寂しさを表明しています。

まず、エッセイの冒頭では、9月になると「お節料理」の広告が急増するという季節的な変化を指摘しています。これは、年末商戦の大きな一部を占める「お節料理」のマーケットが、既にこの時期から始まっていることを強調しています。また、冷凍物の「お節料理」が主流となりつつある現状を紹介し、その品質や見た目について具体的な批評を行っています。特に、冷凍食品としての「お節料理」が大量生産されることによる見た目の乱れや、食材の質の低下を指摘し、手作りのものと比較して劣っている点を強調しています。

さらに、筆者は「お節料理」が本来持っているはずの手作り感や新鮮さ、家庭的な温かさが失われている点についても触れています。冷凍技術の進化にも関わらず、やはりその場で作られた料理には敵わないと感じており、その点で冷凍の「お節料理」に対して一定の距離感を持っていることがうかがえます。

一方で、筆者は現代の食文化における変化や、冷凍技術の発展についても言及しています。温暖化や食中毒防止といった現代的な問題に対処するためには、冷凍技術が役立つことも事実であると認めています。そのため、「お節料理」が冷凍品として市民権を得る可能性についても考慮しており、今後の技術の進化に期待を寄せています。

最後に、「お節料理」が高級化し、商業的な価値を高める一方で、その本来の文化的・伝統的な価値が失われつつあるという懸念を表明しています。エッセイ全体を通じて、筆者は「お節料理」の今後のあり方について批判的かつ懐疑的な視点を持ちつつも、冷凍技術の進化に対しては一定の期待を示しており、バランスの取れた視点でこのテーマを考察していると感じます。

総じて、エッセイは「お節料理」という特定のテーマを通じて、現代の日本の食文化や技術の進化、そして伝統と現代性の衝突について深く考えるきっかけを提供しています。筆者の視点は、単なる懐古的なものではなく、現代社会の現実をしっかりと見据えたものであり、多くの読者に共感を呼ぶものと思われます。
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文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/2 12:00 am

異論反論的表現は、誤解を招く。

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 会話の中で、相槌はいいけれども、肯定的な話の中で「いや」とか「でも」とかという無意識な肯定の相槌のつもりが、逆に、相手に違和感なり不快感を与えることがる。

 人は自分の口癖というものがいろいろあるが、筆者も同様に、自らが気付かぬことが多い。オリンピック選手の競技後の取材の中で、「えーっと」、「あのお」、「ほんとうに」など、連発されると、段々とその言葉ばかりが気になり、聞き辛くなる。

 言葉を発するのは簡単なようで、結構難しいものである。前述のように相槌は用心しておかないと、そのリアクションを真逆に受け止められると、誤解の元を作ってしまう。

 NHKのアナウンサーのようにプロとして訓練を受け、更に、日々その職に就いている人の語りは、1秒間に7文字だったか定かでないが、ニュースを読む速度や滑舌が決まっており、言葉が心地良く耳に入ってくる。

 しかし、互いの会話の中で、滑舌が悪過ぎたり、暗かったり、表情も冴えなければ、肯定的なものが否定的なものとして伝わり、円滑な会話が続かなく可能性も高い。

 勿論、次回を込めての話だが、熱弁を奮いたくなる時は、自分自身の言葉が加速して、いつの間にか、傍目で見ると、マウントを取ったかのような流れになるので、これもまた注意しなければならない。

 言葉のキャッチボールは非常に難しいが、それが、LINEやMessengerのようなSNSのメッセージツールとなれば、テキスト中心となるので、肉声による会話よりも、誤解を招く確率は高くなる。

 仕事上、筆者はLINEやMessengerにて情報交換をするよりも、予めテキストを送っておいて、その後、再確認のために肉声による確認作業を行うようにしている。テキストは肉声のように抑揚もなく、冗談のつもりが相手には棘のように思われたりと、兎に角、誤解が生じやすい。

 話を元に戻すと、会話を交わすときに注意しなければならないのは、リアクションの前の無意識に発する言葉である。「いや」、「でも」、「しかし」、「いやいや」などの口癖のある方は、今一度、自分自身のリアクションの言葉を検証されては如何だろうかと。

 畢竟、会話は楽しいもの、愉快なもの、役立つものであり、相手に対して好印象を与えるべきものである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、コミュニケーションにおける言葉の選び方や、相槌の取り方の重要性について考察しています。特に、無意識に使う「いや」「でも」といった否定的な相槌が、相手に不快感を与えたり誤解を生む可能性があることを指摘しています。エッセイ全体を通して、筆者の言葉遣いに対する慎重な姿勢が伝わってきます。

感想

コミュニケーションの複雑さ: 筆者が指摘するように、会話は単に言葉を発するだけでなく、相手の反応や表情、声のトーンなど、多くの要素が絡み合っています。この複雑なプロセスを理解し、相手に誤解を与えないようにするためには、日々の意識が重要であることが伝わってきます。

無意識の口癖と誤解: 多くの人が無意識に使ってしまう「いや」「でも」といった言葉は、実際には相手の話を否定しているように感じさせることがあるという点に共感します。特にビジネスの場面や重要な会話において、こうした無意識のリアクションがコミュニケーションの障害となり得ることは、多くの人が経験していることではないでしょうか。

プロの訓練の重要性: NHKのアナウンサーの例を挙げて、言葉を正確に伝えるためのプロの訓練の重要性が述べられています。アナウンサーのように訓練された人々の話し方が、いかに聞き取りやすく、誤解を生まないかを示すことで、日常の会話にもそうした意識を持つべきだという筆者の考えが伝わります。

テキストコミュニケーションの難しさ: 筆者は、SNSやメッセージツールを使ったテキスト中心のコミュニケーションが、誤解を生む可能性が高いことを指摘しています。肉声とは異なり、テキストでは声の抑揚や感情が伝わりにくいため、意図しない誤解が生まれることが多いという意見は、多くの人が共感する点でしょう。

改善の提案: 最後に、無意識に発する言葉に注意を払い、自分の口癖を見直すことを提案しています。これにより、より円滑で好印象を与えるコミュニケーションができるようになるという筆者の意見は、実際の行動に繋げやすいアドバイスであり、読者に対して実践的な改善の道を示しています。

結論
エッセイ全体を通して、筆者のコミュニケーションに対する真摯な姿勢が感じられます。無意識に使う言葉や相槌の選び方ひとつで、会話の雰囲気や相手の印象が大きく変わるという点は、多くの人にとって共通の課題です。筆者の提案する改善策を実践することで、より良い人間関係の構築に繋がるでしょう。
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文責:西田親生


             

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/1 12:00 am

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