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ひまわりの如く、太陽の如く、明るく、眩しく生きていたい!

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 都市部で暮らしていると、死語になってしまったコンクリートジャングルに慣れ親しみ、日常生活においては『利便性』ばかりを重視して生きている。

 歩道に描かれた白線通りに歩き進み、赤信号が目に入れば立ち止まる。スマホ画面をスワイプすると、コーラが落ちてくる。電子レンジ1分半で、弁当が温まる。ワープロに話し掛けると、言葉が文字化される。スマホに問い掛けると、答えを出してくれる。現代は、そんなデジタル時代である。

 時に、カントリーサイドに足を踏み入れると、無数の騒音に包まれていた体全体のストレスが、引き潮のように去って行く。目に映る景色も、無機質なコンクリート色、ビビッドなサイン色などの人工色とは異なり、総天然色のグラデーションが飛び込んでくる。

 車のマフラー音、ロードノイズ、クラクション音、信号機、工事中のユンボの音などの機械音が完全に遮断され、小川のせせらぎの涼しげな音、語りかけるような小鳥の囀り、枝葉を擦り抜ける微風の音など、全てがアナログな世界に包み込まれ、心の中の透明度がぐっと増してくる。

 人間は明るい時に活動し、暗くなれば寝静まる。それが一般的なライフスタイルである。しかし、太陽が高く上がり世の中が明るくなっても、心が暗くどんよりしている人も少なくはない。心と体のバランスを保つのは容易ではないが、自然に帰れば、きっと真っ暗なブラックホールから抜けさせるに違いない。

 ひまわりは太陽を見つめ、首を振る。また、太陽が地上の全ての生き物に力を与えてくれる。ひまわりの花の中心へと蜜蜂が集まってくる。アブもいる。地べたには小さな蟻が行列を作っている。蝶を狙うカマキリの姿も。油断したミミズが干からびている。小鳥が木陰から姿を見せては、水浴びを始める。水面をヘビが泳ぐ。ぽちゃんと蛙が飛び込む。

 これが、小さな自然でもあり、コンクリートジャングルに詰め込まれた私たちが忘れかけているものなのかと、カメラやレンズの掃除をしながら考えることがある。しかし、デスクの周囲を見回せば、ラップトップやらデスクトップのコンピュータが鎮座しており、エアコンは24時間稼働している。

 天井の照明もLED4基が埋め込まれていて、人工光を頭から浴びている。コンピュータ画面からもブルーライトがバリバリと。テレビのスイッチはワンボタン。ステレオ音源が焦点距離を持っている。所謂、ドルビー5.1サラウンドである。しかし、技術は凄いが、人口的な音に過ぎない。

 気づけば、やっぱりコンクリートジャングルのキューブの中に収まっている。照明のスイッチを全てオフにする。目を瞑れば、真っ暗だが、エアコンの風の音や、窓の外から侵入を図る蛾の羽音が聞こえてくる。更に、クマゼミが窓ガラスに衝突し暴れまくる音が聞こえる。公道を夜間に堂々と、「マーオー、マーオー♪」と鳴きながら歩く野良猫。

 しかし、先ほどの小さな自然とは全く異なる音ばかりだ。以前、ホワイトサウンドに凝ったことがあった。水の音、風の音、滝の音、小鳥の囀りなどが自由自在に選べるアプリだったが、結局、筆者の場合は、自然の音を常に欲していることが判った。

 いつの日か、筆者も生き物であるが故に、終焉の時が訪れるけれども、いつまでも、ひまわりの如く、太陽の如く、明るく、眩しく生きていたいものである。


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写真・文責:西田親生

                     

  • posted by Chikao Nishida at 2022/8/5 12:00 am

バルタン星人が最期を迎える時、木々にしがみ付き、やがては力尽き落ち、土に還る。

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 夏休みに突入し、にわかに車の往来が激しくなった熊本市内。人口密度が
低い所へと北上し、菊池市泗水町へ向かうも、渋滞は続く。結局、『孔子公園』到着が遅れてしまい、取材ランチとして熊本市内でゲットした弁当が、少々冷めてしまった。

 同公園全体では蝉の声は聞こえるが、いつものように騒がしくはない。木々を見回すと、確かにアブラゼミやクマゼミの姿がある。しかし、全く動かぬ状態にて、木の枝にしがみ付いているようだ。

 レンズを向けて、シャッターを切って行く。ところが、足元近くの植栽にバサッバサッという音が何度か聞こえたのだった。植栽の中を覗くと、頭上の枝から力尽きた蝉たちが落ちていたのである。

 ファンダーに映る蝉の顔を眺めていると、いつもウルトラマンに出てくるバルタン星人を思い出す。実に奇妙だが、シンメトリーの代表格のような幾何学模様の蝉の顔。アブラゼミの両眼の間にある小さな赤い点が、腕時計に使われるルビーの石に見えて仕方がない。

 幼い頃に、樟繁る小さな森の地面に小さな穴を見つけては、それを穿ると、甲冑を身に纏ったバルタン星人の子供が顔を出す。自宅へ持ち帰り、そっと机の引き出し仕舞っておくと、数日後に殻を破り、小さなバルタン星人になっていた。・・・感動ものである。

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 自然とは何とも不思議なものである。我々も生き物だが、多種多様な生き物が地球上に存在している。それも、ごまつぶ大から巨大なシロナガスクジラまで、175万種ほど存在すると言う。

 その生き物が、地球という球体を間借りして、共有している訳だ。生き物には本能的に『縄張り』を強烈に主張する種もいる。それは種やその個体の存続維持のため、子孫繁栄のために『縄張り』を主張する。

 ところが、人間は平穏無事に暮らしていても、百年に一度ほどのサイクルにて狂人が出没し、地球全体が我が『縄張り』と思い込み、戦争を引き起こす。更に、殺戮を繰り返し、弱小人種を葬り去って行く。

 他の生き物は、いくら子孫繁栄のためと言っても、食物連鎖のルールを本能的に知り尽くし、上手い具合に均衡を保っている。ところが狂人は、世界のルールを破り、自分一人の欲望のために、殺戮を繰り返す。数千万人の自国民を殺してまでも、蛮行を貫き通す狂人たち。

 狂人ごときが、幸せに過ごしている人たちの大切な命を奪い去る権利など毛頭ないが、狂人であるが故に、自分自身は地球帝国の皇帝に成り切っている。しかし、この狂人にも皆と同様に寿命なるものがある。その時期が近まれば近まるほど、狂人は薄ら笑いをしながら異常行動を繰り返す。

 いつの日か、自らの終焉を迎える時に、笑顔で『さよなら』を言える狂人は誰一人としていなかった。どんなに巨万の富を得ようが、棺桶に一緒に持ち込むことはできないのだから。他国を制圧しようが、似非皇帝となろうが、誰もその狂人の死を惜しむ者はいない。

 何とも寂しすぎる狂人の無意味なる生き様である。それと比べれば、バルタン星人の短い寿命の方が、断然価値があり、美しいものに見えて仕方ないのである。


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写真・文責:西田親生

                     

  • posted by Chikao Nishida at 2022/7/23 12:00 am

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