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百年の家具

kurogaki



 今は亡き祖父母が生まれたのは、明治23年(1890年)である。たまたま、実家の大掃除をしていたところ、目に留まったのは写真上の古い箪笥。祖母が嫁いだ時に持参した嫁入り家具の一つらしい。

 今生きていれば、123歳。ワールドレコードとなるところだが、既に、祖母は72歳、祖父は92歳で世を去っている。・・・しかし、この黒柿の箪笥・・・大した価値はないけれども、百年以上実家にあることに感動してしまった。

 使い捨てが当然のようになった現在、箪笥が百年の歴史を経ても、しっかりと腰を据えて頑張っている。・・・今回、実家を大掃除する切っ掛けは、私の父が今年3月に他界した為に、不要な物を早期に片付ける必要があった。しかし、この箪笥だけはどうしても捨てるわけには行かないので・・・じっと眺めて、百歳の記念に写真を撮影したのであった。

 話は変わるが、明治23年(1890年)といえば帝国ホテルが開業した年でもあり、私にとっては凄く興味深い年でもあるのだ。・・・全く関係がないと言われればそれまでだが、何故か東京出張で利用するのは帝国ホテルばかり。フレンチの原点を探るにも、接遇の原点を学ぶにも、この帝国ホテルありきで動いてきた筆者がいるのである。

 明治23年(1890年)・・・当時の若者は、どんな食事を楽しみ、どんなファッションで商店街を闊歩していたのであろうか!?


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/11/18 04:57 pm

自分自身が見えた時・・・

newstop


 人は、一生懸命な時が最も光り輝く瞬間である。頑張っている時こそが、その人らしさが最も輝く瞬間である。優れていると褒められ、他者から認められる場所にいると、しばしば満足感に包まれがちだ。

 それが、若くして起業してから数年間の筆者の心情であった。当時、青二才の筆者は、これが唯一の真実だと思い込んでいたが、今に至っては、それは大きな勘違いで、履き違えだったと思わざるを得ない。

 このような環境に身を置いていると、自分の足元が見えづらくなるばかりか、自己中心的で手がつけられないものになってしまいがちとなる。ただただ、無意味な自己満足の世界に浸かっていたようの思えて仕方ない。

 貪欲な性格は常に高みを目指し、手に入れられないものがあると日々ストレスを抱え込む。そのストレス解消のために、漠然とした癒やしに執着してしまう。この愚かな繰り返しが、この筆者がが凡なる凡人である理由の一因なのかも知れない。

 仕事に追われながら、「肩に力を入れすぎてるが、それが何になる?」と自問自答していく中で、「社会貢献としてボランティアで地域活性化に力を注ぎ、誰が感謝してくれるのか?」、「これまでの実績は自分の人生においてどれほど意味があるのか?」など、多くの疑問が頭を過ぎるようになった。

 先日、辣腕起業家の人がこう漏らしていた。「これまで頑張りすぎて動き回ってきたけれど、ここらで力を抜いて、ゆったりとした環境に浸りたい。それが一番なんだ!」と、頑張りすぎてきた人が口にした本音であった。

 頑張ることは素晴らしいことだが、時には失敗から学ぶことや、心の奥底で苦笑いすることも、人間らしく奥ゆかしさを感じさせるものである。

 力を抜くということは、実は「自然体」であることを意味する。自分の力を過信すれば、そのリバウンドは予想以上に大きいものとなる。よって、自己過大評価は単なる妄想に過ぎず、何の意味もなさない。

 今も尚、凡人の域を脱することはできていないが、我が人生の歪みに気づき、少しでも「自然体」で人間らしい人生を受け入れることが重要であると、遅ればせながら考えるようになった。

 何より怠慢な人生は避けるべきだが、肩の力を抜いて過ごす、少なくとも質素でありながらも楽しい人生、微笑ましい人生を送れるような、非凡なる凡人であればと・・・。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/11/12 03:09 am

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