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国産HONDAの素晴らしさ!!

▼HONDA CR-X 1.5 i(1983年製)
cr-x


 昨日、写真の整理としていたところ約30年前の愛車の写真(写真上)などが数枚出て来た。・・・1985年5月3日に撮影したHONDA CR-X 1.5iだが、確か1983年に購入したものだ。・・・気付けば30年も経っているんだと、まじまじと眺めながら、その当時の愛車のじゃじゃ馬的な走りを思い出してしまった。

 当時、HONDA CITY BULLDOG 1.5ターボ車を見に行き、それをゲットしようかと思いつつ・・・ステアリングが若干倒れているのが気に喰わず、落胆気味にホンダベルノ熊本(当時、瑞鷹株式会社の関連会社)へ足を運んだのだった。

 そこにあったのは、赤とシルバーのツートンで、派手派手のCR-X 1.5iのカタログだった。ボディの一部は、HPアロイというもので出来ており、とことん軽量化に力を入れた、ライトウェイトスポーツカーだと言う。

 1.5ℓの小さなエンジンだが、110馬力。パワーウェイトレシオを比較すると、その辺のなんちゃってスポーティーカーとは比較にならぬほど、加速も凄く良さそうだ。・・・よって、HONDA CITY BULLDOG 1.5ターボ車をさっさと諦め、このCR-X 1.5iをゲットすることで契約書にサインをしたのだった。

 インパネ部分はデジタル表示。当時としてはお洒落すぎる。また、ヘッドライト部分はセミリトラクタブルライトで、点灯すると、小さな瞼がちょろんと開く感じだ。可愛さもあり、今までに無かったライトウェイトなスポーツカーに一目惚れしたのである。

 それから、次の車もCR-X 1.6Si、更に、CR-X 1.6Siグラストップを乗り継いだ。・・・二代目CR-Xは、車重1000kg程度で160馬力を発した。三代目となるとVTECを搭載し、1.6ℓの小さなエンジンながらも、170馬力を発したのである。1980年代、F1を席巻したHONDAの研ぎすまれた高い技術が凝縮されただろうか、兎に角、走る車だった。

 写真下は、CR-X 1.5iが発売されて30年後に世に出た、BMWのMINI COOPER S CROSSOVER ALL4である。これは、ターボ車でもあり、184馬力を発する小さな化け物だが・・・上のCR-Xのノンターボで170馬力を考えると、国産HONDAの技術力の凄さを、今頃になって再認識したのだった。

 流石に、F1を席巻したメーカーとして、当時は、走る車を作ると言うより、追随を許さぬ突っ走る車を作らねばならなかったのかも知れない。・・・30年の歳月を経て、その間、数十台の車を乗り継いできた筆者だが、いつの間にか、小さな可愛い車に戻っているところが、不思議でたまらない。もしかすると、物理学的に分析すれば、1.6ℓ前後の4気筒エンジンが、地球上で一番優れているのではないかと、考えるようになったのだった。

 車もカメラも何もかも・・・進化している。しかしながら、数十年前のものが優れているという事もある。捨てがたい、価値ある車・・・懐が許せば、だだっ広いところに歴代の車を整然と並べてみたいものだと・・・。夢の中で楽しもうかと・・・。

▼BMWのMINI COOPER S CROSSOVER ALL4(2013年製)
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▼JAGUAR 80周年記念限定モデル(2002年製)
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  • posted by Chikao Nishida at 2014/4/20 12:00 am

お米さえあれば、何とか・・・。

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 終戦となり、満州から引き上げてきた母の事を思い出した。

 その明言に・・・「お米さえあれば、何とか生きて行ける。」があった。・・・最初聞いたときは、何を言い出すんだろうと思っていたが、先般、真向かいに住んでいる90歳のおばあちゃんの言葉で、その意味が良く理解出来たのだった。

 おばあちゃん曰く、「あなたのお母様から、随分お世話になったんですよ。ご存じかどうか知りませんが、内の孫達二人、幼い頃に何年も毎日のように、お母様から大きなお握りを頂いていたんです。もう二人とも家庭を持つ大人になりましたが、お母様のおにぎりで育てて頂いたんですよ。私の息子も嫁も仕事があって、なかなか子供の世話もできない状態だったので、本当に助かりました。本当に感謝しています。今も生きていらっしゃれば、いつもニコニコ笑ってらして・・・。」と。

 なるほど、筆者は別棟に住んでいたので、母が何をしていたのか全く気づきもしなかったが、大きなお握りを毎日幼子達に手渡していたことを聞いて、「お米さえあれば・・・」の、母なりの明言が理解できた。

 母は、満州に居た頃は、相当裕福な家庭に育っていたようで、終戦を迎え、着の身着のまま、乾燥トウモロコシの袋だけを持ち、家族全員で逃げるように戻ってきた話を聞いたことがあった。その時、一緒に逃げ戻る周囲の人達が、バタバタと倒れ、屍になって行ったと。・・・その時、死ぬか生きるかの瀬戸際にあって、初めて食べ物の有り難さが母の頭をかすめたのだろうと。

 18年半前に急死した母の事を久し振りに思い出しながら、今夜は、粗末ではあるが、母がよく作っていた「高菜炒飯」を作ってみた。余りご飯を炒めすぎると不味くなるので、具材をじっくりと炒めた後に、ご飯を混ぜる程度で留めた。・・・大変、美味しく頂いた次第。

 「お米さえあれば、何とか生きて行ける。」・・・なるほど。


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  • posted by Chikao Nishida at 2014/4/19 12:00 am

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