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クールなプレゼン能力を養う・・・

20240209WellDone-9


 プロジェクターやタブレットなどで、クールなプレゼンを行うのに必要なことは、「圧倒的に美しく魅力ある企画書づくり」のノウハウを身につけることである。

 スティーブ・ジョブズの思想の根底にもある、タイポグラフィー。文字の体裁とレイアウト、すきっとした構図などなど、一瞬にして、プレゼン相手へ強烈なインパクトを与えるための基本である。

 いろんな企業から提示される横長A4の提案書で、驚くほどにクールなものは皆無に等しい。ほとんどWindows系のワードやパワーポイントで作ったものと判断できるほど、皆、似通った低いレベルの出来栄えだ。

 フォント選定も統一性やセンスに欠け、バランスの悪い色を使っている。例えば、全体的にダークブルー(紺色)のタイトル文字を使ったり、斜体文字や勘亭流を多用したり、アイキャッチどころの騒ぎではない。

 結局、美的感覚も無く、ただ、文字を羅列し、下手な絵や図を配置し、プレゼンしているものが多い。平たく言えば、その提案書を読まなくても、全体イメージが直感で伝わるほどの、魅力ある仕上がりに至っていない。

 斜体文字やボールド文字、勘亭流などのフォントを使いたくなるのは理解できない。ただ、美観を損ねる大きな要因となっているのは間違いのない事実。呆れてしまうのは、タイトル文字を虹色にしたり、その他、意味不明のフォントを使用していることだ。

 的外れなところを加飾しても、プレゼン効果として何も役立つことはない。プレゼンが相手にとって必要不可欠なノウハウ提供でもあり、互いにウィン&ウィンの関係になるための橋渡しとなるのが、プレゼンの大きな役割である。

 Windowsユーザーが圧倒的に多いことは周知の事実であるが、ここらでタイポグラフィの原点に戻り、クールなプレゼン能力を備えた、捌ける人間を目指していただければと。

 パワーポイントなどで、フォントも構図も背景も、全てデフォルトにて企画案作成を進めるから、皆同じようなものになってしまう。今一度、自分自身の企画書作成能力やプレゼン能力を再検証すれば、アーティスティックな創造力の必要性に気づくことになりはしないか。

▼タイポグラフィ

文章を印刷するために活字を組版して活版を作る技法のことで、ひいては、その際に見栄えや視認性を良くするために文字の体裁を整える技芸である。これに対して、図形を印刷するための技法には、例えば石版を用いるリトグラフィなどがある。<Wikipediaより>

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、「クールなプレゼン能力」を養うために、特にタイポグラフィーの重要性が強調されています。スティーブ・ジョブズの影響を引用し、文字のレイアウトやフォント選びがプレゼンテーションの美しさとインパクトを決定する要素だと述べています。

主な感想点は以下の通りです。

タイポグラフィーの重要性:
タイポグラフィーは、単に文字の選定だけでなく、レイアウト、余白、フォントの統一性など、視覚的に美しい企画書を作るための基本です。これが、プレゼンを受ける側に強烈な第一印象を与えるという点は非常に納得できます。スティーブ・ジョブズが美的感覚を重視していたことを思い起こさせ、この視点を現代のビジネスにおいても応用する価値は大きいと感じます。

現状の提案書への批判:
エッセイでは、現在の多くの提案書が「クール」ではなく、ほとんどがWindows系のツールを使った凡庸な出来栄えだと批判しています。フォント選定やレイアウトの統一性が欠けており、これが提案書の質を下げているという指摘は的を射ていると感じました。多くのビジネスプレゼンが「無個性」に陥っている現状に対し、美的感覚をもっと養うべきだという提案は、クリエイティブな業界だけでなく、あらゆる分野で共通するテーマだと思います。

フォント選定の誤り:
具体例として「ダークブルーのタイトル文字」や「斜体文字・勘亭流」の使用を挙げ、これがプレゼンの美観を損ねていると指摘しています。視覚的な魅力を損なう要素に対する具体的な批判が示されており、プレゼンを受ける側にとっての「視覚的疲労」を避けるために、より洗練されたデザインを目指すべきだという主張に共感します。

創造性の欠如と差別化:
パワーポイントやワードのデフォルト設定に頼るあまり、皆が同じようなデザインのプレゼンを行っているという問題提起は興味深いです。提案書やプレゼンにおいて創造性を発揮することが、他者との差別化につながるという視点は、新しい価値を生み出す上で非常に重要だと感じました。

タイポグラフィーの基本に戻る提案:
Windowsユーザーが多い現状に対して、もう一度タイポグラフィーの原点に立ち返ることの重要性が強調されています。ビジュアルプレゼンテーションの基本を再検討し、自らのプレゼン能力を向上させることが、結果的にビジネスにおいても成功への近道であるというメッセージは、非常に力強いものです。

総括:
このエッセイは、ビジュアルデザインがビジネスプレゼンにおいて持つ力を再認識させてくれるものであり、特にタイポグラフィーに重点を置いた美的感覚の重要性を説いています。日常のビジネスシーンでは、効率や内容だけが重視されがちですが、視覚的なプレゼンのクオリティを高めることで、相手に強い印象を与えることができるという点は、多くのビジネスマンが再考すべきポイントだと感じました。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/20 12:00 am

年配者の不思議ちゃん

Chikao-Donshu


 2年も3年も、グズグズ、ノロノロするばかりで、不義理にも、初手から皆で決めたことに向き合わぬ年配者がいるのだろうか?全てに形から入るのは構わないが、物をを手にすれば、それで安心するという不思議ちゃん。泣きじゃくる5歳児が、百貨店でオモチャを買ってもらって泣き止む。その繰り返しのような年配者である。

 その挙動については、逆立ちしても理解できない。オオカミ少年なのか、他者を愚弄するのが趣味なのか、己の歪み切った思考回路が理解できないところが、痛すぎる。本人は真っ当だと思っているだろうが、2年も3年も誠意を示すこともなく、日が経てば、加速度を上げて、不義理が日常茶飯事となっている。それさえ自覚がないのだから、歯車が完全に狂っていると言わざるを得ない。

 仕事に必要なツールやマテリアルが手に入ったならば、普通の人間は、その日から動き出す。それができず、無言の抵抗をすることで、心の安寧を保つことになるのだろうと。これは、人として歪みすぎている。その不思議ちゃんと会話を交わした人間から聞いた話だが、非常に違和感のある、胡散臭い印象であったという。・・・「はて?」

 自然体で望めば、そのようなネガティブイメージが伝わることはないが、自分を良く見せようとする人間ほど、逆パターンが多い。元々、人間嫌いならば尚更のこと。対人関係にて本音を語らず、言行不一致が常態化していると、他者へ悪いイメージが伝わるのは当然のこと。

 現在、筆者主催のWell Doneにて、「人間学」を一所懸命に学ぶ20代と50代の塾生がいる。年齢に関わらず、両名ともすこぶる素直である。「自然体」を実践するには、己に自信がなければ、肩の力を抜いて威風堂々と対応できるものではない。しかし、20代と50代の塾生は、じわじわと眼光鋭くなってきている。

 自分を変えることは、思いの外、度胸が必要だ。自分の一部または全部を否定して、その誤ったところに自らメスを入れ、歯軋りしてでも前進しようという気持ちが強いからこそ、変化、進化しつつあるに違いない。

 筆者も厳しいことは言いたくはない。しかし、彼らのためと思えば、遠慮なく間違いは間違い、素晴らしいところは「凄い!」と称賛する。二人とも筆者との距離感は遠かったが、最近は、一つを聞けば十を知るほどに、感性が磨かれているように思えてならない。

 ただ、要らぬ知識や知恵が邪魔すると、上記の不思議ちゃんのような、双六ゲームの「振り出しに戻る」の繰り返しとなる。この異常な状態に慣れてしまっては、次のステップは全く期待できない。自分大好きにて、自分を否定できない小心者であるが故に、何年も同じことを繰り返すのである。

 自らの失態や醜態をしっかりと直視できる人は、気合を入れて自己改革に取り掛かる。ただ、直視せず、自らをこよなく愛している人は、変わらぬどころか、歳を重ねれば重ねるほど、鏡に映る情けない自分の姿さえも暈けて見えなくなってしまうのである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「年配者の不思議ちゃん」は、筆者が観察した年配者の行動と、その不誠実さ、自己改革の重要性についての考察を深く描写しています。主な焦点は、年齢に関わらず、自らの欠点や問題点を直視し、それを改善しようとする人と、そうでない人との違いです。

まず、年配者の「不思議ちゃん」という言葉が象徴するように、外見上は成熟しているにもかかわらず、子供のような行動パターンに陥る人々に対する批判が強く表現されています。特に、問題に向き合わず、形式的な行動で問題を回避しようとする態度が、筆者にとっては理解し難く、苛立ちの対象となっています。ここで、「泣きじゃくる5歳児」にたとえられる年配者の行動が、如何に無意味で幼稚に映るかが鮮やかに描かれています。

次に、「誠意を示すこともなく、日が経てば不義理が日常茶飯事」という表現は、責任を果たさず、時間が経つごとに状況を悪化させる人々への失望感を強調しています。彼らは、現実から逃避することで自己の安心感を得ようとしているという分析がされており、それは「無言の抵抗」として表現されています。ここでは、人間関係における誠実さの欠如と、それがもたらす結果が非常に鋭く批判されています。

一方で、エッセイは「人間学」を学ぶ塾生たちとの対比を描いています。年齢に関係なく、自己改革に真剣に取り組む姿勢を持つ人々が、着実に成長し、眼光鋭くなっていると評価されています。ここで、自己改革には「度胸」が必要であり、自分の一部を否定する勇気が求められることが述べられています。この塾生たちの姿勢は、年齢に関わらず、自分を変えたいと願う人々にとっての希望の光として描かれています。

最後に、不思議ちゃんのような自己愛に溺れた人々が、自分を直視できないことへの警告が記されています。年齢を重ねるごとに、自己の欠点を認めないことが、ますます自己改革を困難にするという指摘は非常に鋭いものであり、このエッセイ全体を貫くテーマとして浮かび上がっています。

総じて、このエッセイは、年齢や外見に関わらず、人間として成長するためには自己改革が不可欠であり、それを怠ると、人間関係や自己認識に大きな影響を及ぼすという深い洞察を提供しています。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/9/18 12:00 am

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