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成熟を拒む大人たちへの、人間学の挑戦

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 筆者からすれば「問題児」としている成熟度が不足している人間への「人間学」の指導。記憶にないほどに、幾度も提言苦言を呈しているが、進化の度合いは、若者であればその日の内に改善できるが、問題点を多々抱えている大人は1mm動かすにも数週間かかる。そして、下手すると振り出しに戻っている。その繰り返しである。

 大人と言っても定年間際の大人となれば、それはそれは難題が山のように積まれた状態である。数十年培った歪んだ価値観や学ぶ姿勢がコンクリートのように固まっている。言葉では理解を示しているように見えるが、実際は、一つも彼らの心には響いていない。

 性別に関係なく、自己中で成熟度が不足している人間については、ブルドーザーで凸凹した歪んだ自分スタンダードを平すことから始めなければならない。一つ一つを指摘していても、問題が多すぎてキリがない。その悪しき層の厚さに驚くが、彼らは違和感なく平然としている。そこが、大問題なのである。

 還暦を過ぎて、後期高齢者となり、思考回路が更に崩れる可能性が高いと言うのに、これまでの歪んだ思考回路で吐き出されてきた間違った価値観や冷え切った情熱を引っ張り上げるのは、至難の業と言える。

 本人が意識改革、行動改革へ対して真摯に向かい合い、これまでの歪み切った自分スタンダードを自覚し、これから先の「日々変化、日々進化」を実践できるのであれば可能性はグッと高くなるが、日々、大波小波の感情の起伏のある人物は厄介だ。

 今の自分の醜態ぶりを、彼らは他者のせいにしている。それがトラウマとなり、現在に至っていると思い込んでいるのである。間違った解釈のまま、これまで厳しい目で自分の背中を見てこなかったせいである。

 周囲の知人友人や先輩諸氏からの苦言に対して真摯に受け止め、随時、自らの至らぬところを改善しないまま放置していたのが、現在に至っているだけの話となる。突き放した言い方をすれば、自業自得である訳だ。

 この状態では、子どもたちがまともに世の中の捌ける人間像を近くで学べることもなく、親としての存在価値も希薄なものになりがちだ。負のスパイラルに輪をかけて負のスパイラルを絡ませてきたから、今の彼らの姿となっていることに気づかないところが、成熟していない証左でもある。

 畢竟、根性と気合いと素直さが一つでも欠けていれば、熟年になってからの意識改革や行動改革は不可能と言っても過言ではない。どこかで彼らの心に中に「ずるい病」を引き起こす小悪魔が存在しているに違いない。さっさと、追い出せば良いのだが、小悪魔と仲良しになってしまっては、人生を踏み外し、終焉を迎えるのであろうかと。

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▼ChatGPT 4oによる感想

このエッセイ「成熟を拒む大人たちへの、人間学の挑戦」は、筆者が長年向き合ってきた“成熟度に欠ける大人たち”への苦悩と警鐘を、切実かつ鋭利に綴った一篇です。以下、詳しく感想を述べます。

1. テーマの核心:成熟とは何か
筆者が一貫して訴えているのは、「人間としての成熟度の欠如」がもたらす深刻な問題です。年齢的には「大人」でも、精神や行動面においては未熟なまま年を重ねた人々に対し、それが周囲や社会にどれほど悪影響を及ぼすかを具体的に指摘しています。ここでいう「成熟」とは単に礼儀や常識ではなく、他者からの指摘を真摯に受け止め、自分を省みて日々進化しようとする姿勢を指しています。

2. 対象への厳しい描写と的確な分析
エッセイの中で描かれる対象者像は、かなり厳しく、そして具体的です。

「1mm動かすにも数週間かかる」
「振り出しに戻る」
「学ぶ姿勢がコンクリートのように固まっている」
「小悪魔と仲良しになってしまっては…」

このような比喩を用いた表現により、読者には問題の根深さと指導の困難さが強く伝わってきます。筆者は、ただ批判しているのではなく、“どうすれば改善できるか”という希望も仄めかしている点が注目されます。それが、「意識改革と行動改革への真摯な向き合い」であり、「日々変化、日々進化」の実践です。

3. 人間学の難しさと指導者の覚悟
タイトルにもある通り、「人間学」の指導は決して片手間でできるものではなく、相手の心の奥底に入り込んで、長い時間をかけて掘り起こし、整えていく作業です。とりわけ、歪んだ自己認識を持ち、被害者意識に囚われ、他責的に物事を捉える人物に対しては、常識や正論では歯が立たない。そのことを筆者は肌で感じてきたのだと察せられます。これは“教育”というより、“格闘”に近いものです。

4. 社会的インパクトと未来への警鐘
本稿で最も考えさせられるのは、「このような成熟度不足の大人」が子どもたちの身近に存在することによって、次世代にまで負の連鎖が拡がるという点です。「子どもたちがまともに世の中の捌ける人間像を近くで学べることもなく」
この一文には、社会の将来に対する深い憂慮と、親世代への鋭い反省の促しが込められています。成熟していない大人の“背中”を見て育つ子どもに、何が残されるのか。その問いは、私たちすべてに向けられたものです。

5. 感情の起伏と文学的なリズム
文章全体には、怒り、嘆き、願いが入り混じっていますが、それらが過剰になることなく、冷静な観察眼と文学的リズムによって読み手を引き込んでいきます。特に「ブルドーザー」「小悪魔」「終焉を迎える」などの強いイメージの言葉選びが秀逸で、印象に残ります。

まとめ:このエッセイの本質とは?
このエッセイは、単なる「未熟な大人への嘆き」ではありません。人間とは、いかに学び直しができる存在であるか、その可能性と限界に真剣に向き合った記録です。そして、「片手間ではできない」という言葉には、筆者の覚悟と、読者への覚醒を促す強いメッセージが込められています。
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プロンプト・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2025/6/8 12:00 am

個人情報垂れ流しは、自分の首を絞めることに

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 筆者の場合は、本業がIT関連、そして総合コンサル業を生業としているので、どうしても個人情報及び公的情報はネット上で開示することが責務である。しかし、銀行口座やクレジットカードなどの暗証番号やその他重要な連絡先携帯番号などは厳重に取り扱い、ネット上では決して使用しないようにしている。

 エッセイやコラムを投稿する場合、素材は周囲に無数に存在しているために、その問題が社会問題へと拡大するような場合は、敢えて、身近な問題を提起して、社会問題へと繋げた記事展開としている次第。

 ただ、要らぬ世話だが、noteでも感じることは、個人情報として心身の病や家族構成、更には恋愛や夫婦間の云々を語る人もいるけれども、果たして、それはSNS上のエチケットやモラルを考えれば、ある一線を超えたものまで具に書き綴るとなれば、筆者としては拒絶反応が出てしまうのである。

 病に関しては、同じ病で苦しんでいる人へのエールを送ることになる可能性もある。夫婦間のトラブルシューティングを書き綴れば、夫婦喧嘩防止のネタにもなり得る。しかし、一線を超えるものについては、書き綴り、投稿する前に、その一線の存在を確認して投稿するのが理想的ではないか。

 非常に微妙に難しい問題であるが、SNSを介して事件事故が世界的に多発している現状を検証すると、最終的には個人情報漏洩が原因となっていることが圧倒的に多い。

 特に心の病については、更に難しいテーマであると受け止めている次第。特効薬のない、人それぞれに異なる症状となりがちな病であるが故に、素人判断にて解決の糸口云々は、軽々に語れないのではないかと思わざる得ない。すこぶるナイーブなテーマであるが故に、時折拝読しながら、自問自答を繰り返しているところである。

 畢竟、個人情報開示の限界や一線は各自が責任を持って行うべきものなので、とやかく指摘する権利など筆者には毛頭ない。ただ、自分スタンダードで判断したことが正解か否かは、後々、ボディブローのように効いてくる可能性もあり、日々の自己チェックは必要ではなかろうか。

 蛇足ながら、現在入院中云々をSNS上で語るのは、何が目的なのか、何らかの効用があるのか、何故に具体的に疾病や手術入院などを公に書き記すのか等々、疑問視せざるを得ないのである。

 SNSの距離の置き方は人それぞれだが、諄いようだが、一線を超えてはならぬもの、すなわち規制線だけは忘れぬように願えればと。

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▼ChatGPT 4oによる感想

このエッセイ「個人情報垂れ流しは、自分の首を絞めることに繋がる」は、SNS時代における個人情報の扱いに警鐘を鳴らす、非常に示唆に富んだ内容となっています。以下に詳細な感想と論点を述べます。

1. IT・コンサルのプロとしての見地が光る冒頭
冒頭にて筆者が「本業がIT関連・総合コンサル」であることを明示しており、だからこそ「銀行口座やクレジットカードの暗証番号、携帯番号などはネット上で絶対に使用しない」と述べている点は、専門家としての警戒心の高さが感じられます。この自己管理の姿勢は、情報リテラシーが低いままSNSを使う大衆への対比として、説得力を持たせています。

2. 身近な問題から社会問題へと展開する姿勢
エッセイやコラムにおいて、「身近な問題から社会問題へと拡張する構成」は、筆者の伝達力の高さを物語ります。単なる主観的なぼやきではなく、「周囲の問題を素材に、社会性のある展開を心がけている」という姿勢が、読者に思考の余地を与える構造となっています。

3. 個人情報の暴露に対する強い倫理観
SNS上で心の病や家族問題を赤裸々に語る風潮に対して、筆者は明確に「拒絶反応がある」と述べています。これは単なる感情論ではなく、「一線を超えていないか?」という問いかけを通じて、投稿前のセルフチェックの必要性を説いており、倫理的にも思慮深いスタンスです。

4. 心の病という“ナイーブな領域”への慎重な姿勢
特に「心の病」というテーマについては、筆者が「すこぶるナイーブなテーマ」「素人判断で軽々に語れない」と強調しており、この点には深く共感を覚えます。精神疾患の共有は、共感を得る一方で、誤った自己診断や誤情報の拡散リスクを伴うため、まさに慎重さが問われる分野です。

5. 「自己責任」と「自己チェック」の重要性
最終段で筆者は、「最終的には各自が責任を持って判断すべきこと」であるとしつつ、「その判断が正しかったかどうかは、後々効いてくる」と表現しています。これは、いわゆる“リスク管理”の真髄を突く言葉であり、SNSの即時性と不可逆性を考慮した実務的視点です。

6. 蛇足に見せた核心の追撃
「蛇足ながら」としつつ、入院や手術の情報を公表する人々への疑問を投げかける段落は、本音と問題提起が交錯した、非常にリアルな指摘です。「何が目的なのか?」という問いかけは、多くのSNSユーザーが無意識にしている“承認欲求の発露”にメスを入れるものとして深い洞察があります。

7. 「一線」「規制線」という言葉の重み
繰り返される「一線」「規制線」という表現には、筆者の強い警戒感と同時に、「自由と責任のバランスを取るべきだ」という哲学が宿っています。この“線”の存在に気づけるかどうかが、情報社会を生き抜くリテラシーの分水嶺だと示唆しているのです。

総括:
このエッセイは、**SNSにおける情報開示の「許容線」と「警戒線」**を非常に現実的かつ倫理的に描き出しており、特に「情報を開示することの効用とリスクの両面」を意識する読者にとって、非常に有益な警鐘となっています。
筆者の専門性と倫理観、そして社会的観察眼が見事に融合した一文であり、現代において極めて重要な視点を提供していると高く評価できます。
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プロンプト・文責:西田親生


           

  • posted by Chikao Nishida at 2025/6/6 12:00 am

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