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思考力停止は洞察力・判断力欠如を招く

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 思考力停止の状態に陥ったことがある人は多いのではないか。

 身近な例を挙げれば、極度な睡眠不足や不慮の事故に遭遇した時、冷静沈着に対応できない人は、目の前の人や事象について、洞察力も判断力をも欠く状態となる。それは思考停止が要因となっている。

 思考力停止の状態にて、与えられた仕事に向かおうとすると、先ず、洞察力欠如によりターゲットとしているものへの深掘りができない。よって、上辺だけを見て無理矢理判断することになる。結果として、失態を繰り返す。

 昨日、ある人物から電話があった時、筆者は仮眠中であり、寝起きの状態にて電話に応対することに。その人物の構想を聞いていると、思考力が完全に止まっていることに気づかされた。

 可能性のないものをターゲットとした話をし、仕事をしている感を出しているつもりのようだが、単なる仕事をしている感、やってる感だけのリアクションであることが滲み出てくるのである。

 何度もこの繰り返しは、思考力停止という重大な状況下にあり、本人はやってる感、考えている感、前向き感のつもりのようである。しかし、これまでの言動を分析すると、思考回路は焼きついており、洞察力も判断力も皆無の状態となっている。

 あくまでも筆者の私見であり憶測なので、読みたくない方はスルーをされても構わない。ただ、筆者が思うに、何度も同じ失態を繰り返す中で、一つ一つがやってる感のまま尻切れトンボなのは、もしかすると男性版更年期障害ではないかと危惧する次第。

 ある有名俳優で、60歳を境に更年期障害となり、数年間テレビ画面に登場することもなく、その後は復帰したものの露出度を無くしてしまった方がいた。筆者はその隠れファンであったので、残念でならなかった。

 昨日電話連絡をしてきた人物は、どうも同じ症状ではないかと危惧するのである。この心配が当たらぬことを祈るばかりとなる。しかしながら、一念発起、何とかして自然体の自身に戻ってもらいたいものである。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムでは、「思考力停止」が洞察力や判断力の欠如を招くというテーマを軸に、筆者が実際に経験したエピソードを交えながら論じられている。特に、睡眠不足や突発的な出来事が思考の機能を一時的に止めてしまうこと、そして、その状態では深い分析ができず、表面的な判断に頼らざるを得なくなるという点が強調されている。

1. 思考力停止の原因と影響
 筆者は、思考力が停止する原因として「極度な睡眠不足」や「不慮の事故」を挙げている。確かに、こうした要因は冷静な判断力を奪い、パニックや無気力状態を引き起こすことがある。しかし、筆者の論点で興味深いのは、単なる一時的な状態ではなく、「慢性的な思考停止」に陥る人々の行動パターンを分析している点だ。

 特に、仕事の現場で「考えているつもり」「やっている感」だけで行動する人がいることを指摘し、これが洞察力の欠如と表面的なリアクションにつながることを強く批判している。この観点は、仕事のクオリティや生産性の観点からも重要な指摘といえる。

2. 具体的なエピソードの説得力
 筆者は、自身が仮眠中に受けた電話のエピソードを用い、その相手の話が「思考停止状態にある」ことを察知したという。ここでのポイントは、相手が「考えているつもりでも、実際には思考が止まっている」という点である。筆者が「仕事をしている感」「やってる感」と表現しているのは、単なる形だけの行動が見え透いている状況を指している。

 また、こうした状態を放置すると、失態を繰り返す結果になると警鐘を鳴らしている点も印象的である。これは、日常生活だけでなく、ビジネスの現場でもよく見られる問題であり、多くの人にとって共感できる内容だろう。

3. 男性版更年期障害との関連性
 筆者は、「同じことの繰り返し」「やっている感だけで尻切れトンボになる」といった状態が、男性版更年期障害の可能性があるのではないかと推測している。これは興味深い視点であり、加齢によるホルモンバランスの変化が思考力や判断力に影響を与える可能性を示唆している。

 具体例として、有名俳優が更年期障害により活動を制限された例を挙げているのも説得力がある。この点に関しては、医学的な裏付けが必要ではあるが、実際に更年期障害による思考の鈍化や意欲の低下は、特に40代後半から60代の男性において問題となるケースが増えていることは確かである。

4. 筆者の懸念と結論
 最後に、筆者は電話の相手について「この心配が当たらないことを祈る」としつつ、「自然体の自身に戻ってもらいたい」と願っている。この締めくくりからは、単なる批判ではなく、相手の回復を願う気持ちが伝わってくる。

 また、筆者自身が「これは筆者の私見であり憶測なので、読みたくない方はスルーされても結構」と述べている点も、読者の受け止め方を尊重する姿勢が見える。

総評
 本コラムは、「思考力停止」という問題を、身近な事例を通じてわかりやすく解説している点が秀逸である。特に、「やってる感」「考えているつもり」など、形だけの行動がどのように判断力の低下につながるかを的確に指摘しており、仕事や日常生活においても考えさせられる内容となっている。

 また、男性版更年期障害との関連性を示唆した点も新鮮で、加齢による思考力の低下を単なる個人の問題として片付けず、広い視野で考察している点が興味深い。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/2/19 12:00 am

ザ・夜食 蘇る、画廊喫茶の焼きビーフン

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 焼きビーフンとなれば、新聞社時代の若き頃、大変世話になった画廊珈琲「宝塚」(熊本市中央区上通アーケード沿い)があった。週に二、三回は立ち寄る、自家焙煎コーヒーを提供する店だった。

 オーナーは白髪のご老体と奥様のお二人で経営されていた。お二人は、その昔、アマチュアボーラーとして有名だったと聞き及んでいたが、原さんというお名前だった。

 戦後、満州から引き上げてきた苦労人のお二人。現地で家族で作っていたという本格焼きビーフンなどが、同店の賄い食のメニューである。

 ある日、「親生ちゃん、ご飯食べた?お腹空いてるんだったら、この焼きビーフン食べてごらん!」と、奥様がカウンター越しに、筆者へ皿山盛りの出来立て焼きビーフンをご馳走してくれた。

 香りといい、食感といい、本格的な焼きビーフンである。「これは、絶品!」と一気に食べ切ると、それ以来、筆者が同店に足を運ぶ度に、必ず、焼きビーフンやその他賄い食をご馳走してくれるようになった。

 多分、子供さんがいなかったので、当時、筆者を孫のように思い、日々来店を楽しみにしてくれるようになったのだろうと。

 因みに、当時のコーヒー1杯500円。数十年前の話なので、新聞社入社したばかりの筆者にとっては、結構なお値段だ。

 また、同店には近場の優良企業社長や重役が集う画廊喫茶店だったらしく、客層としては熟年ばかり。筆者のような若造はほとんどいない。
 
 たまに、カウンター右隣で新聞社取締役が腰掛け、「仕事頑張ってますね!」と声掛けられ、赤面したことがある。何故なら、時間帯が午後1時半を過ぎており、完全にサボリとなる訳だ。

 当時の新聞社取締役とは偶然に出逢うことが多く、休日に百貨店の中をウロウロしていると、「お疲れ様です。そのペーズリーのシャツはどこで?オシャレですねえ!」と声を掛けられたこともあった。

 数年後、20代であったが、マンション住まいが無駄金だと思い、一軒家を建て、それから足が遠のいたのである。更に数年後起業したので、画廊喫茶で自家焙煎コーヒーを楽しむ余裕などなくなってしまった。

 それから数年が経ち、同店が廃業し、お二人とも施設に入り、暫くして、他界されたという訃報が入った。脳裏には当時の同店カウンターで過ごした日々の映像が次から次へと湧き出し、皆の笑顔で埋め尽くされ、涙が止まらなかったことを思い出す。

 よって、焼きビーフンを目の前にすると、必ずといって良いほど、当時の画廊喫茶「宝塚」を思い出してしまうのである。お二人の墓参りもせず、恩返しもできずに、喉に魚の骨が突き刺さったままの状態で現在に至っている。大変申し訳なく思うばかり。

 同店の内装は古き昭和時代の典型的なカウンター席とボックス席1つの狭い空間であった。絵画コレクターだったオーナーなので、版画の巨匠、板極道の著者でもある棟方志功の作品や、高額な洋画の巨匠の作品が、何気に、週替わりで掛けられていた。

 そんなこんなで、本日の焼きビーフンはセブンイレブンでゲットしたものだが、久しぶりに、ザ・夜食として電子レンジ500W2分で熱々のものを楽しませて頂いた。

 また、調子に乗って、肉まん、春巻き、そしてメンチカツまで平らげた。メンチカツが不似合いな構成となっているものの、画廊喫茶「宝塚」の思い出を再び心に、まったりとしたミッドナイトディナーを楽しませて頂いた次第。

 色々な思い出が詰まった、我が半生において、グルメの思い出は格別である。幼い頃から若き頃に経験した味覚は、何年経っても忘れることがないのが不思議だが、それほど若き頃は感性のアンテナがぐるぐる回っていたに違いない。

 原さんご夫婦が天国から見下ろしているようだ。筆者が天国に行くのか地獄に落ちるのかは知る由もないが、先々天国へ行けるのであれば、雲の上で熱々の焼きビーフンがサーブされるような気がしてならない。

 ごちそうさまでした。
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、焼きビーフンをきっかけにして、かつて通った画廊喫茶「宝塚」の思い出が蘇るという構成になっています。単なる食の記録ではなく、食と記憶の結びつき、そして人との縁の温かさがじんわりと伝わる作品です。

1. 焼きビーフンという「記憶の扉」
エッセイの冒頭では、セブンイレブンで購入した焼きビーフンが登場しますが、それが単なる夜食にとどまらず、過去の思い出を呼び起こす鍵になっています。ここで重要なのは、味覚が記憶を呼び覚ます力を持っているという点です。

この点に関しては、プルーストの『失われた時を求めて』の**「マドレーヌ効果」**を思い出します。筆者が焼きビーフンを食べることで、「宝塚」で過ごした日々が鮮やかに蘇る様子は、まさに「味覚の記憶」が持つ力を表現しています。

2. 画廊喫茶「宝塚」の温もり
この喫茶店は、単なる飲食店ではなく、筆者にとっては**「心の拠り所」**のような場所だったのでしょう。オーナー夫妻は戦後、満州から引き揚げてきた苦労人でありながら、筆者に対しては親のような温かさを持って接していたことが伝わってきます。

「親生ちゃん、ご飯食べた?」
この何気ない一言に、店主夫婦の優しさや愛情が詰まっているのが印象的です。

さらに、客層も興味深く、喫茶店には優良企業の社長や重役が集まり、筆者は若造ながらもその場に混ざることで、何かしらの学びを得ていたのではないかと思われます。「ペーズリーのシャツがオシャレですねえ!」と取締役に声をかけられたエピソードも、ユーモラスでありながら、人と人との縁の面白さを感じさせます。

3. 「恩返しできなかった」悔恨の情
エッセイの後半では、「宝塚」が閉店し、オーナー夫妻が施設に入った後、やがて他界したという事実が語られます。そして、筆者はお墓参りもできず、恩返しもできなかったことを**「喉に魚の骨が刺さったような感覚」**として表現しています。

この比喩が非常に秀逸です。
何かが引っかかったまま、どうにもならない後悔の気持ちが読者にも伝わります。

4. 絵画と焼きビーフンの意外な組み合わせ
「画廊喫茶」というだけあって、店には棟方志功などの版画や高額な洋画が飾られていたというエピソードも印象的です。焼きビーフンという庶民的な料理と、棟方志功の版画という高尚なアートが、一つの空間に同居していたというミスマッチが、逆にこの店の魅力を引き立てています。

また、この要素が、単なる「食の記憶」ではなく、「文化の記憶」としても成り立っている点が面白いです。

5. 結び:「天国の焼きビーフン」
最後の一文、「雲の上で熱々の焼きビーフンがサーブされるような気がしてならない。」という表現が秀逸です。
このエッセイは、一見ノスタルジックな追憶のように思えますが、最終的には軽やかでユーモラスな締めくくりになっています。

「筆者が天国へ行くのか、地獄へ落ちるのかは分からないが」という一節も含めて、読者にクスリと笑わせる余裕があるのが、このエッセイの魅力の一つです。

総評
**「食と記憶」、「人と人との縁」、「恩返しできなかった悔い」**という三つのテーマが、焼きビーフンを軸にして巧みに絡み合っています。
また、過去を振り返るだけでなく、ユーモアを交えて未来(=天国の焼きビーフン)へと視点を移していく構成も秀逸です。

このエッセイを読んで、筆者の焼きビーフンへの思いが読者にも伝わり、どこか懐かしい気持ちにさせられる作品でした。
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文責:西田親生


                             

  • posted by Chikao Nishida at 2025/2/18 12:00 am

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