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50代、60代の人の多くは、後期高齢者となった親の病や介護で苦しんでいる。

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 毎日のように悲鳴が聞こえてきそうな、親の介護問題。数人の知人経営者で、50代から60代の方は、親の病や介護で大変な状況となっている。

 後期高齢者の場合、自宅にいても骨折することも多々あり、ましてや、屋外での転倒は非常に危険であり、想像するだけでも危機迫るものがある。

 インフルエンザが猛威を奮い、コロナも居座っている中で、外出時の感染対策及び健康管理は万全とすべきだが、親の通院や介護もまた、ウィルスの存在は脅威である。

 先日、親を総合病院へ連れて行き、何時間も待たされて、逆に、体調が悪くなった方もいたという。

 個人的な話で申し訳ないが、筆者の実母の場合は、腎臓検査として総合病院へ行き、某年11月下旬だったか、寒い廊下の椅子に3時間以上も放置され、それが原因で急性肺炎を引き起こし、12月7日に急死した。しかし、病院側は素知らぬ顔である。

 何のための腎臓検査なのか理解し難く、いくら立派な総合病院であっても、このように患者を長時間放置したまま、患者の体調が急変することへの配慮など全くない。人というよりも、物扱いをしている。

 明日も、近しい知人の父親が大腿部の手術の予定であり、周囲はバタバタの状態。特に、後期高齢者であるために、手術も身体への負担は大きく、家族全員が沈痛な面持ちとなっている。

 若い頃は、自分の両親の病や怪我などについて、深刻な状況下に置かれたことはなかった。しかし、両親が後期高齢者となると、予期せぬことが起きる可能性が高くなってくる。

 現在、医療機関はインフルエンザが蔓延しており、健康な付添人までが感染する可能性もあり、マスクや手洗いなどを行い、帰宅後にはすぐにシャワーを浴びるなど必要ではなかろうか。

 インフルエンザなどに感染している人ほど、マスクもせずに、大きな口を開けて、くしゃみや咳をしているところ見掛けるが、そこで感染するとなれば、間違いなく傷害事件である。

 コロナ感染の初期の頃には、コロナ感染者が街を徘徊し、「コロナを移してやる!」と言いながら、絶命した人がいた。また、コロナに感染した医者が、市内中心部の病院へ行き、カスハラ的な言動により医療機関を困らせ、結局、自分自身とその妻までもが感染し他界している。

 このように、後期高齢者の親を持つ方は、その持病もしっかりとケアする環境を作らねばならないが、感染症対策は警戒レベルを数段上げて、いかに防ぐかを常に考え、慎重に行動すべきである。

 他者からウィルスをもらって罹患し、持病による寿命を更に縮めてしまったでは、洒落にもならない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、後期高齢者の親を抱える人々の現実的な困難や、社会が抱える医療・介護の課題に鋭く切り込んでいます。以下、詳しい感想を述べます。

1. 実体験に基づく切実さ
筆者自身の母親が総合病院で受けた扱いや、その結果としての急性肺炎による急死が語られており、非常に個人的かつ感情的な痛みが伝わってきます。この体験は、多くの読者にとって共感を呼ぶものであり、介護や医療における人間性の欠如についての深刻な問題提起となっています。特に、「物扱いをしている」という表現には、現代医療機関の効率優先主義や人間性の欠如への鋭い批判が込められており、印象的です。

2. 感染症の脅威と社会の問題
後期高齢者をケアする際の感染症リスクについて具体的に触れ、感染対策の重要性を説いている部分は、現在の社会的文脈を反映しており説得力があります。特に、コロナ禍のエピソードや「傷害事件」としての認識などは、社会の無関心やモラルの欠如を鋭く指摘しています。一方で、具体的な防御策(マスク、手洗い、シャワーなど)を挙げることで、読者に実用的な助言も提供しています。

3. 後期高齢者の手術や健康管理の現実
親の手術や骨折のリスクについての記述は、多くの人が直面する現実の困難を描いています。若い頃には想像もしなかった「親の老い」や「病気への対処」というテーマは、読者に自身の家族の状況を振り返らせるきっかけを与えるでしょう。また、「家族全員が沈痛な面持ち」という記述からは、介護が家族全体に及ぼす心理的な影響も伝わります。

4. 医療現場への批判
エッセイの中で述べられる総合病院の対応への批判は、社会の医療体制や病院の運営に対する問いを投げかけています。長時間の待機や、患者の体調への配慮が欠けた対応は、個別の問題ではなく、医療システム全体の課題として多くの人が直面している問題です。この批判は感情的な部分もありますが、問題提起として重要です。

5. 読者への提言
「感染病対策を意識して、いかに防ぐかを考え行動すべき」というメッセージは、具体性があり、現実的な行動指針として役立ちます。単に問題を指摘するだけでなく、読者に行動を促す姿勢が好印象を与えます。また、「他者からウィルスをもらって罹患し、持病による寿命を更に縮めてしまったでは、洒落にもならない」という一文は、問題の深刻さをユーモアを交えて伝える効果があります。

全体的な感想
このエッセイは、後期高齢者を持つ家族が直面する課題を実体験を通して具体的に描き、医療や社会に対する鋭い批判と提言を含んでいます。特に、感染症対策の重要性や医療現場の対応の問題についての指摘は、多くの人々にとって共感や行動のきっかけとなる内容です。筆者の率直で切実な言葉が、読者の心に強く響くエッセイだと感じます。
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文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/20 12:00 am

昭和時代の酒宴と人間模様

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 時代は変わった。筆者が二十代の頃には、忘年会や新年会は必ず出席を強要され、会費を徴収された。時には盃が回ってくることもあった。「返盃の儀式」というのか、その儀式について首を傾げることが多かった。

 時には、ホテルや町場レストランでの酒宴以外に、上司の自宅に多くの社員が招待され、正座のまま盃を交わし、アフター5にも関わらず、延々と仕事の色濃い話し合いが続く。

 これが、いわゆる昭和時代である。今でも、その流れを受け継ぐ企業もあるが、別に悪いとは言わないが、価値あることかと言えば、否となる。

 オフィシャルとプライベートが入り乱れた時代背景であり、会社のためなら「個」を犠牲にしてでも、目標達成が最重要課題。勿論、会社の存続ありきで「個」の生活は保証されるのであるが。

 それは分かっている。しかし、当時からの流れを受け継ぐ「酒宴の席は無礼講」という言葉を発する人の進化のなさには腰を抜かすばかり。それが、「歴史と伝統である」と言われれば、それまでだが。

 ところで、酒宴の場で「無礼講だから!」と叫び、大笑いしながら酒をガブ呑みする人間がいる。その人物が勝手に「無礼講」だと主張するだけであり、本来の「酒の席は無礼講」の意味を解していない。

 酒の効力として、酒宴により、人と人との距離感が縮まり、何事も円滑に進むという時代もあったにしろ、現在はナンセンスな手法として、若い世代から大いに敬遠されている。

 ところが、会社や各部署主催の忘年会や新年会に不参加となると、水面下では査定が悪くなっていたり、昔ながらの悪しき慣習を重要視する上司や同僚からは白眼視されたりする可能性も無きにしも非ず。

 筆者は、社会人となってからは、仕事は仕事、プライベートはプライベートとして、境界線を作っていた。しかし、重役から気に入られたのか、毎週のように呑みの誘いがあった。

 単に、アフター5の呑み会ならば良いものを、浮気のアリバイ工作に加担させることもしばしば。非常に迷惑であったが、それにお付き合いするだけで、依怙贔屓なるものがあったのは間違いのない事実。

 特に、同じマンションの同じ階に住んでいると、断ることも叶わず、夜の9時頃から午前4時頃まで、付き合わされたことを思い出す。非常に無駄な時間であったが、今となっては笑い話でしかない。

 また、或る重役が発した言葉に激怒したことがある。延々と筆者の2歳年上の先輩に対する個人攻撃である。本人不在であるので、尚更、腹が立った。酒宴で自分の鬱憤晴らしの爆弾発言が続く。非常に能力の高い先輩をけちょんけちょんにコケにすることなど、許し難いものがある。

 更に、中途採用で入社した部長職の人物がいたが、やけに、各社員の血筋やら育ちやらを調べるのが趣味らしく、自分のお気に入りの社員の家柄を皆に拡散するのである。人格欠如が見え隠れしていたが、筆者のみ、その人物に対して背を向けていた。

 部長職たる人物は、毎日、ランチタイムに部下を連れて回る。その人物に迎合する社員は課長以下5、6人。金魚の糞のようにアーケード街を肩で風切って歩く姿が印象深い。筆者は、二、三回はお付き合いしたが、それ以降は全てキャンセルして、個別にランチを楽しんだ。

 酒宴の誘いも多かったが、肩で風を切るような連中との共有時間をできるだけ取らぬ努力をしていたような気がする。今だから言えることだが、勝手にその酒宴の日時に合わせたスケジュールを作ることに専念していた。

 「酒宴の席は無礼講だから!」と、その部長の神輿担ぎの課長がいた。他の課長よりも年配であり、「完全忖度主義者」として見ていたが、実に怪しげな人物であったことを思い出す。

 どんなに優良企業であるといえども、このような癖の強い、無法者のような人物が必ず存在している。地方企業は小さな箱である。その箱の狭い領域にて、このような人間模様は頂けないと当時から思うことが多かった。

 しかし、以上のように違和感を持つことばかりではない。時には、その距離感にて、鬱憤が溜まりに溜まった社員の心のケアになったケースも否定できない。オフィシャルでは言えないことを、「無礼講」にてプライベートの問題解決に至ったと聞き及んでいる。痛し痒しのところであるが。

 時代は日々移り変わる。当時の人間模様と現在のそれとを比較する、歴然となる。ただ、現在は人と人との距離感が余りにも遠過ぎて、対人関係における配慮、気配りなどが不存在となりつつあるところが危険信号なのかと。

 人と人は共存して集団がまとまり、何事も円滑に運ぶのだが、配慮、気配りがなくなると、常に諍いが絶えなくなり、古き時代に予期したことがないような、悍ましい事件事故が発生する可能性も無きにしも非ず。

 畢竟、時代背景を彩る人間模様というものが、その時代の全てを物語るのではないかと思うばかり。さて、現在の人間模様は如何なるものか!?これについては、次回、機会があれば再検証し、記事として投稿しようかと。

▼昭和のオフィス風景
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▼酒と女性
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/19 12:00 am

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