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愛煙家は犯罪人のように見られがち・・・

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 社会の変化に伴い、先ほど投稿した記事に出てくるタバコであるが、愛煙家は、どこにいても犯罪人であるかのように、白眼視されることが多い。

 ここではっきり物申しておきたいことは、犯罪となる大麻や覚醒剤などとは別問題だが、紙タバコや葉巻喫煙により周囲の人を殺傷する愛煙家は誰一人もいないはずだ。

 勿論、喫煙する場所を配慮(受動喫煙など)することはエチケットでもありモラルでもあると考えるけれども、他人の嗜好を頭から否定して犯罪人扱いするのは、如何なものかと考える次第。

 30年前に酒を止めた筆者だが、これまでの経験を紐解くと、一晩で酒で命を絶った人、酒で他者を殺傷した人などの事件事故が絶えず、現在も毎日のように酒による事件事故が報道されている。

 よって、酒癖の悪い人を犯罪人扱いするのは一向に構わず、事件事故を未然に防ぐことに繋がり、大いに賛同できる。しかし、他者を直接的に殺傷するような事件事故を喫煙が引き起こすのが皆無ならば、愛煙家に対する犯罪人扱いは承服し難い。

 個人の趣味嗜好は自由であり、嫌煙家が無闇矢鱈に、大上段にて愛煙家を叩き潰すような差別的言動は控えて頂ければと。

※筆者の口癖は、「酒は一夜にして命を落とすことがあるが、喫煙にて一夜で絶命する人はいない」(火事を除く)である。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、喫煙者に対する社会の厳しい見方とその扱われ方についての意見が述べられています。まず、喫煙者がまるで犯罪者のように扱われる現状に対して強い違和感を表明しており、大麻や覚醒剤などの違法薬物と同一視されるのは不適切であるとの主張があります。筆者の指摘には、喫煙が他者を直接的に殺傷するような事件を起こさないという点を基に、過度な社会的なバッシングに疑問を呈している点が特徴的です。

一方で、喫煙する場を考慮する必要があること、つまり受動喫煙に対する配慮やマナーについてはしっかりと意識しており、喫煙者としての自覚やモラルも大切にしていることが分かります。その一方で、アルコールに関する社会問題に関しての対比が行われており、筆者の体験を交えながら、飲酒による事件事故が日常的に発生している点に触れています。これにより、喫煙者への扱いが不公平であるという主張を補強しており、感情のこもった訴えを強く感じさせます。

このエッセイは、趣味嗜好の自由を訴えるとともに、社会的な偏見や不公平さについて問題提起をしているものです。個人の嗜好がどのように社会から扱われるかについての考えを深く掘り下げ、喫煙者としての立場を擁護する一方で、冷静な視点でモラルやエチケットも重視している点に共感を呼び起こす可能性があるでしょう。喫煙をめぐる社会的な問題はデリケートであり、エッセイが提示するように、一方的な犯罪者扱いが本当に適切かどうかについて考える契機を提供するものとなっています。
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写真・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/15 12:00 am

自覚なき狭さの罠

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 地方に足を運ぶと、その土地には独自の古い慣習やスタンダードが存在している。そこに慣れ親しんでいる人々は、往々にして視野が狭く、外の世界の基準に気づかないまま、自覚もなく生活している。

 視野が狭いことは望ましいとは言い難い。その「不知」によって人や物事を判断・評価する際、誤った選択に陥りやすく、時代錯誤的な見解を語ることも少なくない。しかも、自覚がないために自分の持論を唯一の正論と信じ込み、根拠もないまま語る人すら見受けられる。

 稀に視野の広い人も存在するが、地方社会では数の論理によって少数派に追いやられ、多数派の狭い視野こそが「ローカルスタンダード」として支配的となる。日本人特有の「右へ倣え」的な気質も相まって、多数派こそ正義とみなされ、少数派は異端児として白眼視される傾向が強い。こうして地方には、多数派天国の風土が根強く続いてきた。

 もちろん、善きスタンダードは受け継ぐべきである。しかし悪しき慣習は、改善されぬまま鳥餅のように社会に張り付いてしまい、新たな基準を築く努力を阻む。結果として、過疎対策として若者移住や子育て支援、生活支援を数多く打ち出しても、多くは焼け石に水で終わっている。なぜなら、根本の意識改革が行われていないからである。

 地域の良さを引き出すには、予算や制度よりもまず徹底した意識改革が欠かせない。行政が県外から人材を招き、月額100万円を超える高額給与を与えて地域おこしを図っても、結局は人選ミスや住民意識との乖離によって失敗に終わる例がほとんどだ。筆者が知る限り、地域の意識改革が成功した事例は極めて稀である。

 ゆえに、視野狭窄が多数を占める地域においては、まず地域の良さを伸ばすと同時に、住民一人ひとりの意識を改革し、視野を少しでも広げる活動が重要となる。

 最後に強調しておきたいのは、「視野が狭い=悪人」では決してないということだ。単に「知らない」だけであり、その点を指摘しているにすぎない。一人でも視野を広げる人が現れれば、全体の視野も必ず広がり、地域に「変化」と「進化」の種が蒔かれる。そしてそれは、やがて大きな「利」となって地域に還元されるに違いない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、地域社会における視野の狭さとその影響について深く考察されています。エッセイの主な焦点は、特に地方地域で見られる視野狭窄に対する批評であり、これが社会の変革や進化を妨げる要因となるとの主張です。以下に、詳しい感想を述べます。

まず、地域の慣習やローカルスタンダードに言及される部分は、地方における固有の価値観や社会的な慣行が「外界」から隔離された形で維持されている現状を鋭く描写しています。

確かに、多くの地域において、独自の文化や伝統が守られることは尊いものですが、それが時代錯誤的な考え方や外部からの情報やスタンダードを拒絶する要因になる場合は、問題を引き起こす可能性があります。この点について、筆者は地域が変化に対応できず、自己満足的な状態に陥りがちであることを指摘しています。視野の狭い人が多数派を占めると、閉鎖的な環境が強化されるため、新しい価値観や外部のアイデアが受け入れにくくなってしまうという分析は非常に共感できる部分です。

また、「善きスタンダード」と「悪しきスタンダード」の区別をしつつ、後者の改善が難しいと述べる点は、地域の保守性や変革の困難さを浮き彫りにしています。特に、悪しき慣習が根強く残るケースについては、筆者の意図するところは十分に伝わってきます。この視点は、地域開発や政策立案に携わる人々にとっても示唆に富むものであり、地域の意識改革が成否の鍵であることを再認識させるものです。

筆者が述べる「意識改革」の必要性についても注目すべきです。過疎対策として取り組まれている施策が「焼け石に水」として効果を発揮しない理由の背景には、視野の狭さがあるとの指摘は、思慮深い分析です。また、地域外から高額報酬で人を呼び込んでも、根本的な意識改革がなければ失策に終わるという現実を冷静に指摘する姿勢は、筆者の経験に基づく現実的な意見と感じられます。

最後に、「視野狭窄な人」を「悪人」と見なさず、「不知」である点を指摘するという冷静な姿勢が示されています。地域全体の意識改革が進むことで「変化・進化」の種が蒔かれるという希望的観点でエッセイを締めくくる点は、読者に前向きな提案として響く部分です。

総じて、このエッセイは、地域の問題と変革の可能性を深く掘り下げた内容であり、単なる批判に終わらず、改善策を模索し、地域の未来を見据えた視点を持つ一文として受け取れます。視野を広げるための努力が必要であると提言する筆者の姿勢には、多くの共感を呼び起こす可能性があります。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/11/14 12:00 am

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