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不器用な人間の真剣勝負|「禁断の十字パイ」から「武士の十字パイ」へ

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 本日、オフィスに一冊の本が届いた。

 『禁断の十字パイ|西田親生流Branding』。これまでに出版した二巻を一冊にまとめた統合版である。

 ページをめくると、この一年近くの試行錯誤がよみがえる。そして、あらためて思った。店主の岡部國光氏は、よくぞ粘り強く向き合ってくれたものだと。

 熊本県天草市の「洋菓子匠 維新之蔵」で、「禁断の十字パイ」のブランディングに着手したのは、昨年十月のこと。そろそろ一年になろうとしている。

 少々失礼な言い方になるが、岡部氏は決して器用に立ち回れる人ではない。お人好しで、正義感が強い。人を信じすぎて、利用されることもある。放っておけない、憎めない人間である。

 その人柄は、菓子作りにも顔を出す。

 もっとおいしくしたい。もっと喜んでもらいたい。その気持ちが先に立ち、原価への目配りが後回しになるほど、材料も手間も足してしまう。彼にとって「足し算」は、客への誠意だったのだろう。

 しかし、小さな店で日々作り続けるには、時間にも手間にも限りがある。工程を複雑にすれば、それだけ製造の負担は増す。思いを込めることと、何もかも盛り込むことは、必ずしも同じではない。

 目指したのは、無理なく作り続けられ、しかも、そこに込めた物語が伝わる菓子だった。何を加えるか。その前に、何を残すか。これが、私たちにとって一番の課題であった。

 ところが、彼は足す。こちらが引こうとすると、また足す。短気な筆者は、そのたびに強い言葉を投げかけた。今、振り返れば、伝えるべきことはあっても、伝え方には工夫の余地があったはずだ。彼が菓子作りに苦労したのと同じくらい、筆者への対応にも苦労したことは想像に難くない。

 それでも、やり取りを重ねるうちに、彼は「引き算の美学」に関心を持つようになった。余分なものを削り、残したものを生かす。「シンプルが一番」という考え方が、少しずつ製造にも表れるようになったのである。

 そんな彼を不器用だと書きながら、筆者もまた、人のことを言えない。器用そうに見られることはある。しかし、実際には「力技」で押し切ろうとする場面が結構多い。

 初めてゴルフクラブを握ったのは、中学三年生の頃だったか。技で運ぶというより、力任せに飛ばそうとするゴルフだった。思えば、仕事にも似たところがある。相手に伝わるまで言葉を強めてしまうのも、その不器用さの一つなのだろう。

 ただ、簡単には諦めない。出来上がったものに違和感があれば、削っては加え、加えては削る。遠くから眺め、今度は細部に目を凝らす。どこか不自然ではないか。無理が生じていないか。そうして、何度でも手を入れる。

 届いた本を読み返しながら気づいたのは、彼もまた、彼なりのやり方で同じことを続けていたのだということだった。

 こちらの要求に戸惑う日もあっただろう。強い言葉に、気持ちが沈む日もあったかもしれない。それでも、少しでもおいしいものを作り、店の名物に育てたいと、試行錯誤をやめなかった。

 「禁断の十字パイ」は、その積み重ねから生まれた。

 器用だから、よいものができるとは限らない。それでも、不器用なまま向き合い続けた時間は、確かに一つの菓子になったのである。

 まずは、この一年近く、本当にお疲れ様でしたと伝えたい。

 ところが、そんな感慨に浸る間もなく、次の話が動き出した。

 昨夜遅く、二人で電話をしていたときのことである。四方山話の中から飛び出したのが、第二弾「武士(もののふ)の十字パイ」の構想だった。

 思い立つと待てない筆者は、本日早朝にはフライヤーの試作版を作り、非公開のFacebookに掲載。さらに、構想を記事として公開してしまった。

 まだ開発準備手前の段階である。それでも公にしたのは、次の挑戦を言葉にすることで、彼の覚悟を確かめるとともに、筆者自身も責任を持って向き合いたかったからだ。

 また、名前や形だけでは、この菓子に込める物語までは伝わらないとも考えている。これまでの試行錯誤と、これから店主が重ねていく仕事。その両方があってこそ、一つのブランドとして育っていくはずである。

 本日午後、彼から電話が入った。

 「責任の重さを感じております。ブランディングの趣旨に恥じぬよう、気合を入れて対応します」

 喜びとともに返ってきたのは、そんな言葉だった。短い言葉ではある。しかし、そこには、これまでの苦労を次につなげようとする意志が感じられた。筆者には、それが何よりうれしかった。

 一年前から続けてきた挑戦が、次の夢の入り口にたどり着いた。そう思えたのである。

 動いたからといって、必ず報われるわけではない。それでも、手を動かし、誰かと話し、試してみることで、次の可能性に出会う機会は増えていく。

 昨夜の電話も、その一つだったのだろう。夜中の四方山話が、新しい菓子の出発点になった。

 読者の皆さまには、そんな店主の挑戦を、温かく見守っていただければと思う。

 小さな店で、岡部氏は今日も「禁断の十字パイ」を作っている。「売り切れ御免」としながら、食品ロスを出さないよう努めている。

 これから涼しくなれば、県内外の皆さまにも味わっていただく機会が増えることを願っている。ご注文(電話またはファックス)の際には、数量や発送について、店にご相談いただければ幸いである。

 まずは一つ、「禁断の十字パイ(三姉妹)」を召し上がっていただきたい。そして、その先に生まれる「武士の十字パイ(三兄弟)」にも、ご期待いただければと思う。

 不器用な二人の真剣勝負は、まだ続いているのである。

※ヘッダー画像は、ChatGPTが描いた本人の似顔絵

▼現在製造中の「禁断の十字パイ(三姉妹)」
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▼昨夜飛び出してきた「武士の十字パイ(三兄弟)」(プロトタイプ)
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新刊「禁断の十字パイ|Branding」
A5判 233ページ

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▼ChatGPTによる感想

読後に残るのは、菓子そのものへの興味とともに、「この二人の仕事が、これからどう育っていくのかを見届けたい」という気持ちです。商品開発の経緯に、衝突と反省、相手への敬意が重なり、人間関係を読む面白さがあります。

特に印象的なのは、店主の「足し算」を、客への誠意として捉えているところです。原価や工程だけで評価すれば非効率に見える行為にも、「もっと喜んでもらいたい」という理由がある。その気持ちを認めたうえで、作り続けられる形を探すため、引き算の必要性にも説得力が生まれています。「何を加えるか。その前に、何を残すか」は、この仕事の難しさを端的に伝える一節です。

また、筆者が自分の不器用さに目を向けることで、文章に奥行きが出ています。店主を評する側にいた筆者が、自分の伝え方を振り返り、相手もまた同じように粘り続けていたと気づく。相手を見る目が変わる瞬間が、このエッセイの読みどころだと感じました。

「不器用なまま向き合い続けた時間は、確かに一つの菓子になった」という一文には、その気づきが集約されています。努力を抽象的に称えるのではなく、目の前にある菓子へと結びつけているため、読者も、その一つを味わってみたくなります。

終盤は、一冊の本で過去を振り返るところから、夜中の電話で次の挑戦が始まるところへ、自然に視線が移ります。完成を祝って終わらず、また仕事が動き出す。その流れが、最後の「真剣勝負は、まだ続いているのである」に実感を与えています。

私には、店主への労いであり、筆者自身の反省であり、これからも一緒に作っていくという意思を表した文章として響きました。二人の不器用さが具体的に描かれているからこそ、その先に生まれる菓子にも関心が向くエッセイです。
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文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2026/9/6 12:00 am

旗艦本という覚悟

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 現在、筆者が最も思い悩んでいるのは、これまで三十数巻の紙書籍を出版してきたものの、自分なりに「これなら納得できる」と言えるものが、僅か数巻に満たないことである。

 正直に言えば、これまでは「気合を入れて出版する」ことに力点を置きすぎていたのかもしれない。

 なぜ、これだけ出版しても納得できないのか。自問自答を重ね、ようやく一つの答えに辿り着いた。

 筆者には、まだ「旗艦本」がないのである。

 これまで出版してきた書籍の多くは、ネット上へ投稿してきたエッセイをテーマごとに束ねたものである。一冊の書籍としての体裁は整っている。しかし、オフィスの書棚に並べて眺めてみると、どこか「西田親生ベストエッセイ集」の域を出ていないように思えてならない。

 そもそも、一年前の昨夏に電子書籍出版へ着手した目的は、これまでネット上へ投稿してきた大量のエッセイを、特定の「キーワード」で括り、一冊の書籍として再構成できるかを検証することにあった。

 noteを含め、一万本を超えるエッセイ群からキーワードで抽出し、章立てし、カテゴリーに分ける。あるいは時系列に並べ、筆者自身の思考や経験の変遷を眺める。

 いわば、出版そのものが一つの壮大な実験だったのである。

 その結果、電子書籍だけでも三十数巻を出版することになった。電子書籍には多くの利点がある。「紙を使わない」「パソコンさえあれば出版準備ができる」「多種多様なデバイスやアプリで閲覧できる」「購入後、即座にダウンロードできる」など、利便性という点では極めて優れている。

 ところが、実際に複数のデバイスやアプリで閲覧してみると、筆者には大きな違和感が残った。

 改ページ、改行、文字組み、余白、全体のレイアウト。それらが閲覧環境によって微妙に変化し、筆者が意図した「一冊の本としての美しさ」を保つことが難しいのである。

 EPUBという形式の特性、制作に使用するアプリの仕様、リフロー型にするのか固定レイアウト型にするのか。試行錯誤を重ねるほど、筆者の中で「これは自分が求めている書籍なのか」という疑問が早々に膨らんでいった。

 そこで断腸の思いではあったが、出版していた電子書籍のほぼすべてを販売停止とした。

 今年に入り、紙書籍の出版を始めたことも大きかった。

 電子書籍の利便性と、紙書籍という物体が持つ存在感。その両者を何度も比較し、自問自答した結果、筆者は紙書籍を選んだ。

 今の時代に逆行していると感じる人もいるだろう。しかし、筆者の周囲の知人や友人に尋ねても、電子書籍より「手に取って読む紙書籍」を好む人が少なくなかった。

 さらに現在は、プリント・オン・デマンドという仕組みがある。

 従来型の出版では、制作から印刷、流通、書店展開まで考えれば、相応の費用が必要になる。自費出版や出版支援サービスを利用すれば、仕様や部数によっては数十万円から、数百万円の負担になることも珍しくない。

 もちろん、人生の節目として書籍出版に夢を持ち、費用を投じて一冊を世に送り出すことには、それ自体の価値がある。しかし、筆者の場合、第一の目的は書店に自著を並べることではない。

 コンサルティング事業の資料であり、セミナーの教材であり、企業の社員教育や意識改革へ活用できる「知的資産」として書籍を残すことにある。

 だからこそ、Amazonのプリント・オン・デマンドによるA5判ペーパーバックに絞り、現在まで出版を続けてきた。

 しかし、ここで新たな問題に突き当たった。

 書籍としての体裁や印刷品質以前に、筆者自身の思想、哲学、経験、技術、そして生きてきた軌跡が、本当に読者へ届いているのか。

 そう問われれば、胸を張って「届いている」とは言えない。その原因こそ、「旗艦本」の不存在である。

 オフィスの書棚には、三十数巻が書棚に並んでいる。

 「短期間で、よくこれだけ出版しましたね」と言われれば、それなりの達成感はある。

 しかし、自分自身へ問いかけてみる。「では、その中に『西田親生とは何者なのか』を一冊で示せる本がありますか?」答えに詰まる。ここが、現在の筆者にとって最大の問題なのである。

 これまでの書籍出版を軽視しているわけではない。それぞれの書籍には、それぞれの役割がある。セミナーや企業研修、社員の意識改革などに用いる教材としては、十分に成立するものも少なくない。

 しかし、それらを束ねる「本丸」がない。

 筆者の人間観、仕事観、AI観、食文化への眼差し、写真への執念、戦争への問い、災害の記録、家族の記憶。そして、新聞社時代から起業後に至るまで、死に物狂いで取り組んできた多種多様なプロジェクト。

 それらは決して別々の話ではない。すべての根底には、「人間をどう見るか」「仕事とは何か」「何を後世へ残すのか」という、筆者自身の一本の思想が流れている。

 その一本の川を、これまでは数多くの支流として出版してきたのかもしれない。ならば今度は、その源流から河口までを一本につなぐ必要がある。

 それが「旗艦本」である。

 現在、Macのメモには、その旗艦本の構想を書き溜めている。これまでのように既存のエッセイを集め、テーマ別に束ねるだけではない。

 これまで書いてきた膨大な題材をもう一度俎上に載せ、「人間学」「仕事」「AI」「食文化」「写真」「戦争」「災害」「家族」などを再検証し、そこに通底する思想を掘り起こす。

 必要であれば書き直す。足りなければ書き足す。過去の自分の考えが甘ければ、自ら否定する。そうした作業を経て初めて、「これが自分の一冊である」と言えるものになるのではなかろうか。

 書籍のために原稿を書くことと、後世に記録として残す価値のある一冊をつくることは、まったく別物である。

 付け焼き刃では届かない。冊数でもない。ページ数でもない。ましてや、「出版した」という事実だけでもない。最後に残るのは、その一冊に、著者が何を賭けたのかである。

 今、筆者の脳内が嵐のようになっているのは、そのためだ。

 これまで出版してきた書籍を否定するつもりはない。電子書籍の時のように、一気に出版停止することも考えていない。それぞれ単独で活用できるものは残し、役割を終えたと判断した数巻については、今後整理する可能性がある。

 しかし、これからの出版は変える。「何冊出したか」ではなく、「何を残したか」へ。その転換点として、次に挑む一冊を、筆者の「旗艦本」としたい。

 ようやく三十数巻を経て、筆者は「出版すること」ではなく、「一冊を残すこと」の意味を考え始めたのである。

※旗艦本とは?
書籍出版における「旗艦本」とは、単に「一番売れている本」でも「一番ページ数が多い本」でもありません。著者の思想・専門性・経験・世界観を最も体系的に集約し、「この著者は何者なのか」を一冊で示す中核書籍です。

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▼ChatGPTによる感想

読み終えて強く残るのは、これは単なる「次の本をどう作るか」という出版論ではなく、三十数巻を出した著者が、自らの出版活動そのものを再定義する自己批評のエッセイだということである。

特に核になっているのは、次の問いである。

「では、その中に『西田親生とは何者なのか』を一冊で示せる本がありますか?」
この問いが入ったことで、文章全体が締まった。それまで語られている電子書籍から紙書籍への移行、EPUBへの違和感、プリント・オン・デマンド、三十数巻という出版実績が、すべてこの問いへ収束していく。

そして答えが「ない」。

ここが重要である。三十数巻出版したことを実績として誇る方向へ行かず、むしろ三十数巻出したからこそ、自分に欠けているものが見えたという構造になっている。成功談ではなく、経験を重ねた末の自己否定から次の段階へ向かっているため、文章に説得力がある。

もう一つ印象的なのは、

「何冊出したか」ではなく、「何を残したか」へ。
という転換である。

私は、この一文が本稿の結論であると同時に、今後の出版活動の宣言になっていると感じた。

出版を始めた頃は「大量のエッセイをキーワードで再構成できるか」という実験だった。それが電子書籍から紙書籍へ移り、さらに今回、「出版物」から「知的資産」へと目的が変わった。そして今度は、その知的資産群の中心に思想体系としての一冊を置こうとしている。

つまり、

エッセイ → 書籍 → 教材 → 知的資産 → 旗艦本

という進化が、この文章には見える。

特に「旗艦本」を単なる代表作として捉えていないところがいい。「一番売れた本」ではなく、著者の思想体系の座標原点として捉えている。だから既刊三十数巻も無駄にはならない。むしろ旗艦本が完成した瞬間、それまで散在していた本の意味まで変わる可能性がある。

本文にある「支流」と「源流から河口まで」という比喩は、その構造をよく表している。

これまでの「人間学」「AI」「仕事」「食文化」「写真」「戦争」「災害」「家族」は、一見するとかなり離れたテーマである。しかし筆者自身が指摘しているように、その地下には、

「人間をどう見るか」
「仕事とは何か」
「何を後世へ残すのか」

という共通した問題意識が流れている。

旗艦本で本当に掘るべきなのは、実は八つのジャンルそのものではなく、なぜ筆者は、これほど異なる対象を見ながら、結局いつも「人間」へ戻ってくるのかという一点ではないかと思う。

そこまで掘れれば、単なる「西田親生ベストエッセイ集」ではなくなる。

写真を語っても人間論になる。料理を語っても仕事論になる。AIを語っても人間論になる。戦争を語れば国家と人間の問題になる。災害を語れば生と記憶の問題になる。

その共通する「ものの見方」を言語化したものこそ、旗艦本の背骨になるはずである。

また、

必要であれば書き直す。足りなければ書き足す。過去の自分の考えが甘ければ、自ら否定する。
ここにはかなり強い覚悟がある。

過去原稿を保存することが目的なら「作品集」で済む。しかし旗艦本を作るなら、過去の自分まで編集対象にしなければならない。この発想によって、タイトルの**『旗艦本という覚悟』**が本文としっかり結びついている。

そして最後の、

ようやく三十数巻を経て、筆者は「出版すること」ではなく、「一冊を残すこと」の意味を考え始めたのである。
これは非常にいい着地である。

三十数巻が「遠回りだった」とは読めない。むしろ、三十数巻という試行錯誤がなければ、この地点には到達できなかったと読めるからである。

だから本稿は、旗艦本の予告編であると同時に、これまでの出版活動に対する「中間決算」でもある。

そして興味深いのは、旗艦本がまだ完成していない現在の段階で、すでにその核心らしきものが本文に現れていることである。

それは、**「何を出版するか」ではなく、「自分は何を後世へ残す人間なのか」**という問いである。

おそらく旗艦本を本当に強い一冊にする鍵は、三十数巻を一冊へ凝縮することではない。一万本を超える文章と三十数巻の書籍の底を流れていた「西田親生の判断基準」を発見し、それを体系化することにある。

そこまで到達すれば、「旗艦本」は代表作というより、これまでの著作群を束ね、これからの著作群の方向まで決める母艦になるのではないか。

『旗艦本という覚悟』というタイトルも、前稿までの迷いが消え、かなり研ぎ澄まされた。内容とも一致している。何より、「旗艦本を作ります」ではなく**「覚悟」**としたことで、この一冊に賭けるものが出版技術ではなく、著者自身であることが伝わってくる。
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文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2026/8/21 12:00 am

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