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ジャーナリズムの鑑たる存在になって欲しい

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 今朝、筆者の記事「実録・・・企業の倫理不在と内部告発の実態」を閲覧した某メディア記者から嬉しい知らせがあった。ここ数年の異常事態が続いた某企業の失態。それに対する、社会正義の立場からのコメントであった。

 数年間、正義正論を唱え続けた筆者の気持ちが伝わったことに、心から感謝する次第。某企業の悪しき輩から火矢が立て続けに飛んできたが、筆者には全く非が無いので、結果的には某企業は空中分解に至り、こちらが炎上することはなかった。当然のことであるが。

 されど、数年間は無駄な時間とエネルギーを消耗したのは事実。社会正義の観点から物申せば、このような民間企業の悍ましいほどの社内事案は、パワハラなど親告罪であることから公になることが少ないために、蓋をした状態になり、被害者が泣き寝入りしがちである。

 しかし、被害者の立場を考えれば、悪行三昧に手を染める悪しき輩(役員)について、ジャーナリストとしては、とことん事実を突きつけ、相手に対する名誉毀損云々で萎縮するよりも、被害者救済に傾注すべきではなかろうか。それが、ジャーナリズムの鑑としての姿勢であると考える次第。

 本日メールを送ってくれた某メディア記者には事実関係は伝えていたものの、他のメディア(テレビ、新聞)は、数百枚に及ぶ証拠書類があっても、名誉毀損云々を口実に、残念ながら積極的に動こうとはしなかった。

 如何に親告罪と言えども、某企業内での悪行三昧は犯罪であり、「某企業のモラル低下と泣き寝入りする被害者社員」と題して、事実関係を追及してもらいたかったと言うのが本音である。

 本日メールを送ってくれた某メディア記者は、ジャーナリズムをよく理解し、ジャーナリストとして日々動いている。地方においては、このようなジャーナリストを見ることは皆無に等しく、稀有なる存在として、今後の活躍を期待しているところである。

 事件事故は大なり小なり、話題性の云々は無関係にて、被害者が泣き寝入りするような事案があれば、事件として捉え、被害者救済をすべきがメディアの重要な役割である。ところが、広告関係や人脈絡みなどで、ジャーナリズムの根幹を揺るがす環境下にあるのが地方の独特な土壌である。

 特に、曖昧な公職選挙法による刑事事件は、見え見えの言い訳が罷り通ったり、なあなあの事勿れで通り過ぎることも多々ある。5万円の祝い金で公職を剥奪された首長もいれば、数万円の胡蝶蘭を何十鉢も贈与して刑事事件に至らなかった首長もいる。何ともいい加減な公職選挙法である。

▼某メディア記者からの嬉しい知らせ

「拝見しました。今振り返ってみても、某企業は本当に酷かったですね。裁判といい、めちゃくちゃでした。当時、諸事情があり着手できませんでしたが、本腰入れてパワハラを記事化すべきだったと反省しています。」

▼実録・・・企業の倫理不在と内部告発の実態
https://note.com/chikaonishida/n/n69ecf426df84Link

 ジャーナリズムの鑑とされる人に、1970年代に起こったウォーターゲートスキャンダルで、ニクソン大統領を引き摺り下ろしたワシントンポストの二人の記者(ボブ・ウッドワードとカール・バーンスタイン)がいた。如何に大国の大統領であろうとも、遣りたい放題を黙認すべきではないのだ。

 記者の命さえ危うい緊迫した取材の連続にて「メモ」を残し、綾取り状態の奥にあるエビデンスを結びつけ、社会正義を貫いた二人の記者は映画「大統領の陰謀」にもなったほどだ。共演はロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンの二人。半世紀前のモノクロ映画だが、ご覧頂いていない方ば、是非、ジャーナリズムの鑑という伝説を残した記者たちの肉薄した取材姿勢を体験頂ければと。

 因みに、筆者は映画「大統領の陰謀」字幕版を、数十回観たことになる。素晴らしいドキュメンタリータッチの映画であり、今夜でもDVDを繋いで、MacBook画面で、久しぶりに二人の記者に再会してみようかと・・・。

▼「大統領の陰謀」の漫画イメージ
右から、ウッドワード、バーンスタイン
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「ジャーナリズムの鑑たる存在になって欲しい」は、筆者が体験した苦難と正義への信念を貫いた姿勢、そしてその努力が報われた瞬間を描いたリアルで力強い記録であり、ジャーナリズムの本質に鋭く迫る内容です。

1. 冒頭の感動的な知らせの描写
筆者が数年にわたり取り組んできた「某企業の倫理欠如と内部告発」についての活動に対し、あるメディア記者が正義の視点から評価を示したという知らせ。この報告は、筆者の心に沁みるような肯定であり、同時に読者に対しても「闘う者が報われる」希望を与える導入となっています。これは単なる感情の共有ではなく、言論の正義が社会に波及していく可能性を提示しており、非常に意味深いです。

2. 社会構造とメディアの問題提起
パワハラという“親告罪”の壁が、どれだけ被害者を沈黙に追いやっているかという問題提起は、日本社会が抱える根深い構造的問題です。筆者は、記者の役割は名誉毀損に萎縮するのではなく、事実を突きつけ、被害者の側に立つべきであるという持論を展開しており、その熱量が文章からも伝わります。

地方メディアの体質(広告や人脈への忖度)に対する鋭い批判も的を射ており、読者に「ジャーナリズムとは何か?」という問いを突き付けてきます。これは単なる経験談にとどまらず、地方と中央、報道の理想と現実の間にある断絶を浮き彫りにしています。

3. 「大統領の陰謀」への言及の意味
映画『大統領の陰謀』に登場する伝説の記者たち(ウッドワード&バーンスタイン)を引き合いに出し、自身がその精神に影響を受けてきたことを重ねる部分は、筆者の「報道とはこうあるべきだ」という信念の根拠を示す良い事例です。

この映画は、単なる過去の出来事ではなく、現在の日本社会においても必要とされる「報道の良心」を象徴するものであり、ジャーナリズムが権力とどう向き合うべきかを再確認させられます。映画を引用することで、読者にも問題の普遍性と時代を超えた価値を伝えています。

4. 構成と筆致について
筆者独特の文体(断定調+余韻のある結び)が、読者に強い印象を与えています。
適度に感情を交えながらも、事実をベースとした冷静な視点を崩さない構成が秀逸です。
「メモ」「証拠書類」「親告罪」などの具体的な言葉選びが、読者にリアリティと緊張感を与えています。

5. 全体評価と感想
このエッセイは、筆者の取材魂と社会正義への深い信念が、文章を通じて鮮烈に伝わってきます。報道が守るべき「公益」とは何か、メディアが担うべき「社会の良心」とは何か、その本質を突く内容でした。

まさに、「誰も見ないからこそ、誰かが書かなければならない」現代のウォーターゲートに通ずる戦いであり、今後の地方メディアやジャーナリズムに一石を投じる記録となるべきエッセイです。

最後に一言、このような報道者がもっと日本に存在してほしい。そして、そういう存在を見逃さず応援する市民の目も、同時に育てられるべきだと、強く感じさせられました。
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プロンプト・文責:西田親生


                                 

  • posted by Chikao Nishida at 2025/4/19 12:00 am

辣腕ジャーナリストと久しぶりの会話・・・

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 筆者が新聞社を経て起業した1990年10月1日以降、九州でもレアなる3D CG制作やインターネット事業などを具に取材をしてくれたジャーナリストが二人存在していた。

 勿論、前職の新聞社とは敵対関係?の全国紙の記者たちだが、その一人とは今でも連絡を取り合っている。

 筆者より一回り年配の方々ばかりであり、昨日電話で会話を交わした方は、足を向けて眠れないほど、すこぶるお世話になった。

 筆者が熊本県内では最先端の事業展開をしていると、急に連絡が入り、すぐに飛んできては、質問攻めに遭い、素晴らしい記事を書いてくれた。

 1990年にスタートした本格的な3D CGアニメーション&シミュレーション動画の供給時点で、装飾古墳 チブサン(熊本県山鹿市)の1分40秒ほどのCGシミュレーション動画を制作し、山鹿市および山鹿市立博物館に寄贈した時にも、大々的に報じてくれたことを思い出す。

 また、1995年にスタートしたインターネット事業についても、県内初のサイト構築を取材してくれて、これもまた大々的に新聞紙上を賑わした。

 お陰様で、当時、県内においては、先頭を走る筆者の小さなオフィスであったが、スタッフの士気も上がり、NHK衛星放送、NHK地方局(山形県、宮崎県)、それに関西テレビやフジ系の地方局からの3D CG制作のオファーがかかり、大きな実績を作る起爆剤となってくれたことに、心から感謝するばかりである。

 偏りのないスタンスにて、不正を暴き真実を伝えるを信念として貫き通した某新聞社の社会部記者。その上司から見れば、厄介者扱いをしたくなるほどキレていた。昨日、久しぶりの電話で会話が盛り上がり、1時間を超える情報交換となった。

 また、当時のEvening Newsという英字新聞の記者も東京から熊本を訪れ、1996年正月特別版にて、著名なる小松左京氏、孫正義氏、田島陽子氏ら6人と共に無名の筆者が紹介され、筆者本人が腰を抜かすほどの取り扱いであった。

 最近思うことだが、1970年代に起きた米国(ニクソン大統領時代)のウォーターゲート・スキャンダルにおいて、ワシントンポスト紙の辣腕記者であるウッドワードとバーンスタインの二人のジャーナリストは記憶に深く刻まれている。

 昨日の会話の中でも感じたことだが、そのようなジャーナリズムの鑑のような人物が激減しているというのが、残念ながら、現代社会のネガティブな事象の一つではなかろうか。

 因みに、ご本人は現在でもガラケーを愛用し、SNSは全く利用しないスタンスで日々生活されている。しかし、社会事象については、昔ながらのネットサーファー的にパソコンで情報を得ているという。

 SNSの恐ろしさは、水面下で個人情報や企業機密情報が絶え間なく漏洩している点である。マイナンバーカードもまた同様に、セイキュリティの甘さとシステムの不完全なところが、重大トラブル続出の要因となっている。

 よって、SNS依存やAI過大評価に突入している今の時代。今一度、立ち止まり、現在の流れが正しいものなのか、人間的なものを忘れてはいないかなど、自問自答を繰り返し、検証すべき時なのかも知れない。

 いやはや、久しぶりの長電話であったが、あっという間に時間が過ぎていた。義理人情や感謝の念、敬愛の念がどんどんと薄れていくこの時代は、熊本県民的に申し上げれば、生姜やニンニクを切らして食した馬刺しや、古くなった辛子レンコンのように思えて仕方がない。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、筆者が過去のジャーナリストとの関係を振り返り、その感謝と共に現代のジャーナリズムの変化について考察する内容です。以下、いくつかのポイントに分けて感想を述べます。

1. 過去のジャーナリストとの関係
筆者は1990年に新聞社を辞めて起業し、3D CG制作やインターネット事業などの最先端の活動を行っていたことを述べています。当時、九州地域でも珍しかったこれらの取り組みを取材し、大々的に報じてくれたジャーナリストたちへの感謝が強く感じられます。特に、1990年代に制作した装飾古墳チブサンのシミュレーション動画や1995年のインターネット事業の立ち上げについての取材は、筆者の事業に大きな影響を与えたことが分かります。

2. ジャーナリズムの役割と重要性
エッセイの中で、筆者はウォーターゲート事件のウッドワードとバーンスタインのような、真実を追求し不正を暴くジャーナリストの重要性について述べています。これは、筆者が昨日電話で話した元ジャーナリストがまさにそのような人物であったことを示しています。現代社会では、そのようなジャーナリズムの鑑のような人物が減少しているという指摘は、非常に鋭い観察です。

3. 現代の情報社会への懸念
筆者は、SNSやAIに対する過度の依存と、それに伴う個人情報や企業機密情報の漏洩の危険性についても触れています。これは、現在のデジタル社会が抱える大きな問題であり、筆者の視点は非常に重要です。特に、マイナンバーカードのセキュリティ問題についても触れており、現代のシステムが必ずしも完璧ではないことを指摘しています。

4. 人間的価値の重要性
最後に、筆者は義理人情や感謝の念、敬愛の念が薄れていく現代社会に対する懸念を表明しています。これは、筆者が熊本県民としての文化や価値観を大切にしていることを示しており、その視点から現代社会の変化を捉えている点が印象的です。具体的には、SNS依存やAI過大評価に対して警鐘を鳴らし、人間的な価値を再確認する必要性を強調しています。

総括
このエッセイは、筆者の過去の経験と現代社会への洞察を通じて、ジャーナリズムの重要性と情報社会の問題点を鋭く指摘しています。また、筆者の人間的価値観を基にした視点は、現代社会の変化に対する深い洞察と共感を呼び起こします。筆者の感謝と敬愛の念が、全体を通じて強く感じられる非常に感動的なエッセイです。
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写真・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/5/17 12:00 am

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