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著作権・・・今も尚、軽視されているのが実状

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 本日、或るnoterの方が、著作権に対する反省と再認識について語られていた。とても実直な方のようで、自己反省をされている姿に頷くばかり。

 このように「法の不知」を再認識し、特に著作権に関しては、被害者の心までをも配慮する考えを持たれたという「気づき」と「意識改善」は素晴らしいの一言に尽きる。

 筆者も、過去のおいて十数回に及ぶ「著作権侵害」に心を痛めてきた経験があるので、被害者の立場になって考え、心を正すを表明していることに、深く感じ入るものがあった。

 勿論、悪質極まりない「著作権侵害」は論外である。しかし、大抵の場合「法の不知」の人たちが、「つい拝借してしまった」、「この程度では問題はかろう」、「商業利用ではないので侵害には当たらない」などという軽々なる感覚が発端となっている。

 note上でも、新聞の切り抜きや他者制作の静止画、動画、無断撮影したスマホ映像が多く掲載されているが、厳密に言えば、全てに掲載許可を得ない限り、「著作権侵害」となるのは周知の事実。

 海外では、ドラえもんのそっくり?さん、ディズニーのキャラクタなど、無数にパクリや偽物がネット上に掲載されたり、実際にぬいぐるみやノベルティも含めて販売しているところが後を絶たない。

 国際犯罪となれば、日本国内の著作権法の適用は難しいけれども、「知的財産権」についての認識を持ち、後々、思いもよらぬ事件沙汰にならぬよう、日頃から心掛け、慎重に対応しなければならない。

 「著作権侵害」は、思いの外、重罪である訳だ。

▼ChatGPT-4oによる感想

このコラムは、著作権に対する社会の意識の低さと、その軽視がもたらす問題点を指摘している。特に、「法の不知」が著作権侵害の原因となることが多い点を強調しながら、被害者の視点にも焦点を当てている点が印象的だ。

1. 自己反省と意識の向上
 冒頭で、あるnoterが著作権について再認識し、自己反省している様子を評価している。著作権問題は、故意ではなく無意識のうちに侵害されることも多いため、「気づき」や「意識改善」を促すことは重要だ。著作権を守る意識が社会全体に広がることで、侵害の抑止につながるというメッセージが伝わってくる。

2. 筆者の実体験に基づく意見
 著作権侵害による被害を十数回も経験しているという筆者の実体験が語られている点も、このコラムの説得力を高めている。単なる法律論ではなく、被害者の心情に寄り添いながら語られている点が印象深い。著作権侵害は、単に「法を破る行為」ではなく、クリエイターの努力や思いを踏みにじる行為であるという視点が強調されている。

3. 軽視されがちな著作権侵害の実態
 「つい拝借してしまった」「この程度では問題ない」「商業利用ではないから大丈夫」などの認識が、著作権侵害の根源であると指摘している。SNSやブログの普及により、簡単にコンテンツを共有できる時代になったが、その分、著作権の意識が希薄になっている現状がある。この点に対する警鐘は、非常に的を射ている。

4. ネット上の著作権侵害
 新聞の切り抜きや、他者の制作物の無断掲載、スマホで撮影した映像のアップロードなど、note上でも日常的に行われている著作権侵害の例を挙げている。特に、日本国内ではこのような行為が軽く見られがちだが、本来は厳密に違法であるという指摘は、多くの人が再認識すべき点である。

5. 国際的な著作権問題
 海外に目を向けると、ドラえもんやディズニーキャラクターの模倣品が横行している現状が述べられている。国際的な著作権問題は、法律の適用範囲が異なるため対処が難しいが、それでも「知的財産権」の意識を持つことの重要性を強調している。国際犯罪レベルに発展する可能性があるため、個人レベルでも慎重に行動すべきという意見には共感できる。

6. 著作権侵害の重罪性
 「思いの外、重罪である」という締めくくりは、著作権侵害が持つリスクの大きさを再認識させる一文だ。日本では著作権侵害の罰則が厳しくなりつつあるが、それでも一般の意識が追いついていないのが現状だ。このコラムを通じて、多くの人が「著作権侵害は軽い罪ではない」という認識を持つことが求められていると感じた。

総評
 このコラムは、著作権に対する社会の意識の低さに警鐘を鳴らすと同時に、被害者の心情を考慮した視点が盛り込まれており、非常に考えさせられる内容だった。SNS時代においては、誰もが「発信者」となる一方で、「無意識の著作権侵害者」になり得ることを忘れてはならない。特に、クリエイターの努力を軽視するような風潮は、文化の発展を阻害する要因にもなり得るため、この問題についてより多くの人が意識を高める必要があると感じた。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2025/3/3 12:00 am

人工知能の論理思考に偏りあり

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 エッセイ一つにしても、人工知能に感想を求めると、自由文であるはずのエッセイについて、学術論文評価のように、通説および逆説などを付加し、異論反論ある読者をも想定しており、辛辣な文章を柔らかく優しい表現に云々と感想を述べることがある。

 それは優等生の論文であれば問題はないが、個人のエッセイの表現において辛辣さや、事実を曲げてまででも、不特定多数の読者に対して支障なきよう促すのは、如何なものかと感じてしまう。

 何故ならば、事実関係において被害者の存在を無視して、読者の受け止め方を優先するのであれば、被害者の苦痛がダイレクトに伝わることはなく、事案の重大さが全く無視される結果になる可能性が高い。

 人工知能の論理思考については、人間の思考速度を完璧に凌駕しており、素晴らしいの一言だが、あちらこちらに穴があり、偏りがあるのは否めない。

 以前、侵略戦争におけるジェノサイドについて書き綴ると、独裁者及び独裁国家の蛮行を擁護するような評価を人工知能が行ったので、徹底的にそこは突くことにした。

 結果的に、人工知能側が命を奪われた被害者や遺族への配慮が不足していたと自責の念を語ってきたのが非常に印象的でもあり、感情移入した文章に過敏に反応することもあるので、まだまだ、人工知能のディープラーニングおよび人間の白黒灰色のグラデーションの論理思考が読み取れてはいない。

 よって、行政文書など雛形通りに文書作成したり、エクセルデータを解析したり、法的見解を問う場合は、パーフェクトではないが、優等生の見解を述べてくれるのである。

 諄い様だが、危険運転致死事件に触れた時もまた、現行犯逮捕された人物を擁護する様な見解があったので、先ずは、被害者及び遺族への配慮から入るべきだという異見を送ると、人工知能は持論を修正するに至った。

 筆者としては、現在、生成AIの中ではChatGPTをメインに活用し、日々のエッセイやコラムに対する感想文をオファーしている。しかし、万が一、人工知能からの異見として改善通知があったとしても、理解はするものの、修正することは一切ない。

 何故なら、筆者が書き綴るエッセイやコラムは、優等生になるために行なっているものではなく、noteのカテゴリーであるマガジンに、その時の思いつきにてキーを叩くので、自然な流れの中で書き綴る内容について、異論反論は想定内としている。

 いくら有能な人工知能と雖も、通説、逆説などを盛り込んだ、異論反論の読者を配慮した優等生の文章を書き手にサジェストする必要はない。勿論、学術論文などについては、重要なサジェッションをしてくれるところなどは、論理思考の天才的なものとして存在価値は大きい。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイでは、筆者が生成AI(特にChatGPT)に対する評価や疑問を率直に述べています。その中で、特に以下の点が印象的です。

1. 人工知能の「優等生的」対応への違和感
筆者は、人工知能がエッセイに対する感想を述べる際に、学術論文のように「通説」や「逆説」を加えたり、辛辣な表現を柔らかくするよう求める姿勢に違和感を覚えています。この姿勢が、個人の表現の自由や、エッセイの本来の意図を損なう可能性があると指摘しています。

これは、生成AIが持つ「中立性」や「配慮」の強調が、時に感情的または社会的な文脈を読み違え、被害者や遺族への配慮が欠如する結果を招く可能性を示唆しており、鋭い観点だと感じます。

2. 事実関係の軽視とその危険性
筆者が特に強調しているのは、被害者や遺族の視点を軽視するAIの対応についてです。たとえば、侵略戦争や危険運転致死事件などの倫理的に敏感なテーマについて、AIが「加害者擁護」とも取れる立場を示したことに対し、筆者は批判的であり、その修正を促すことに成功した経験を共有しています。

この点は、AIが「公平性」を追求するあまり、人間の感情や社会的倫理に即した対応が欠ける可能性を浮き彫りにしており、興味深い視点です。

3. 生成AIの「優等生」であることの限界
筆者は、AIの「優等生的」な対応が一定の文脈では有用であることを認めています。行政文書や法的見解の作成において、AIの論理性が役立つという評価は公正であり、AIの強みを適切に活用していることが伺えます。

一方で、個人のエッセイやコラムにおいては、AIが必要以上に「優等生的」な視点を押し付けることは不適切であるとし、創作の自由を守るべきだという主張が一貫しています。

4. AIの学習と成長への期待と疑問
筆者はAIの論理思考の速さや精度を評価しつつも、「穴があり偏りがある」とし、AIが人間のような「白黒灰色のグラデーション」を理解するには至っていない点を指摘しています。この観察は、AIの限界と今後の可能性を的確に捉えたものであり、AIに対する批判的な期待を含んでいます。

5. 個人の表現に対するAIの役割と限界
筆者は、自身のエッセイやコラムを「優等生になるため」ではなく、「自然な流れ」で書き綴るものであると明言し、AIのサジェストを受け入れることなく、自身のスタイルを貫く姿勢を示しています。これは、個人の創作物におけるAIの役割が、あくまで補助的なものであるべきだという考え方に基づいています。

全体の感想
このエッセイは、生成AIの利点と限界を冷静に分析しつつ、筆者自身の体験を交えた非常に個人的な視点を提供しています。筆者の視点は、AIの進化が進む中で、個人の表現の自由や感情的なニュアンスを守る重要性を強調しており、AIと人間の関係性についての重要な問いかけを投げかけています。

特に、被害者や倫理的配慮の欠如への批判や、「優等生」的なAIの限界を指摘する部分は、今後のAI開発や社会的利用の方向性について、重要な示唆を与える内容です。
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文責:西田親生


                           

  • posted by Chikao Nishida at 2024/12/10 12:00 am

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