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借家を荒らし、逃げるように出ていく借家人

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 或る大家さんから連絡が入った。こと半年間、借家と借家人のことで悩み続け、体調を壊してしまったらしい。

 詳細を聞くと、第三者の紹介があったので、数年前に自己所有の一軒家を借家として、県外からくる人物に貸すことにしたという。

 ところが、ここ一年間はほとんど家賃を払うと言いながら、全く支払いがないので、堪忍袋の緒が切れたとのこと。

 二、三ヶ月の滞納ならば何とか我慢はできるが、一年近い滞納となると、悪質極まりない所業である。

 また、借家人が出ていく前に、大家さんが一軒家をチェックに行くと、庭は荒れ放題で、大家さんの背丈よりも高い草が庭を覆い、障子などはボロボロと破れたまま、現状復帰をせずして出ていったようだ。

 一年近い家賃を踏み倒し、更には、庭も屋内も荒れ放題。それを目の当たりにして、体調不良になっている大家さんは愕然とするばかりである。

 何とも心無い借家人であるが、第三者の紹介であることで気遣ってきた大家さんの心はズタズタに引き裂かれた気持ちで一杯となっている。

 元々挙動が怪しい人物であったとのことなので、全てを物語っているようだが、このような借家人との遭遇は極力避けたいものである。

 電話先の大家さんの声がか細い中にも、激昂を抑えてはいるものの、腑が煮えくり返ったものが刺さるように伝わってくる。

 因みに、家賃は周辺の借家と比較すると激安であり、大家さんの優しい配慮を無視して、逃げるように出ていくとは、先々、必ずや罰が当たるに違いない。

 大家さんの大人しげな家賃請求を、何度も言葉で濁しながら、小馬鹿にする言動は決して許されるものではない。身勝手もほどほどしてもらいたいものだ。

 蛇足ながら、周囲の住民への挨拶もないままに、姿を消した元借家人。人としてあり得ない蛮行の傷跡だけが残る一軒家が、ぽつり寂しげに建っているのが印象的である。

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▼ChatGPT 4oによる感想

以下、丁寧に詳しく感想を述べます。

このエッセイは地方の現実的な大家業の悲痛な実態を描写しながら、人間の無責任さ、モラルの欠如を鋭く突いています。

まず印象的なのは、大家さんの優しさが仇となり、身勝手な借家人によって裏切られる構図です。
– 家賃を踏み倒し、庭や家を荒らし放題にし、姿をくらます姿は極めて身勝手であり、自己中心的な人間の象徴のように描かれています。
– 特に「大家さんの背丈よりも高い草」「障子がボロボロ」「腑が煮えくり返ったものが刺さるように伝わってくる」という表現がリアルで臨場感があり、大家さんの絶望感がひしひしと伝わってきます。

次に、この文章から人間の善意が利用される悲しさが強く浮き彫りになっています。
– 第三者の紹介だからと遠慮して言い出せなかった大家さんの心情。
– 激安の家賃設定に優しさが込められていたにもかかわらず、その優しさを踏みにじった元借家人の非情さ。
– 「必ずや罰が当たるに違いない」という一文に、怒りと無念さ、そして大家さんの弱さの裏返しの祈りのような感情がにじんでいます。

また、大家さんが「大人しげな家賃請求を、何度も言葉で濁しながら、小馬鹿にする言動」に耐えていた様子から、日本社会特有の遠慮や気遣いが、逆に悪質な人間には通用せず、むしろ付け込まれる原因になっていることを考えさせられます。

そして最後の

「蛇足ながら、周囲の住民への挨拶もないままに、姿を消した元借家人。人としてあり得ない蛮行の傷跡だけが残る一軒家が、ぽつり寂しげに建っているのが印象的である。」
という締めくくりが秀逸で、周囲のコミュニティにも不義理を働き、何も言わずに去った姿は、その人間性を象徴するラストシーンとして深く心に残ります。

総じてこのエッセイは、

・善意の優しさが裏切られた悲哀
・モラルのない人間の身勝手さの醜さ
・地方のリアルな大家業のリスク
・言葉に出せない怒りと無念さ

を短い文章で克明に表現した社会性と感情が詰まった秀作です。

また、読者に「もし自分が貸し主だったら」「社会のモラル低下への危機感」という問いかけを無言で投げかけており、読後も静かな怒りが残る文章になっている点が印象的でした。
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プロンプト・文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/7/4 12:00 am

自己改善しない人間は、自己中+横着者。

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 自分の失態を認め、反省し、改善に向けて真摯に取り組むことが、人として大切なことであり、将来のために必ず役立つものである。

 ところが、長年自らの失態を認めず、反省は言葉ばかりで、何も改善できぬ人間は、すこぶる自己中でもあり、横着者であるだけの話だ。

 その経緯を紐解けば・・・失態の指摘を受けてのリアクション、つまり負の連鎖の流れがよく見えてくる。

失態の指摘(1)
気の無い謝罪→言い訳→猛省の演出→理解の演出→愚行の再発・・・

失態の指摘(2)
気の無い謝罪→言い訳→開き直り→暴言→音信不通→愚行の再々発・・・

失態の指摘(3)
気の無い謝罪→文字だけの謝罪→改善の兆候無し→更なる失態を繰り返す・・・

 以前、ホテル経営者の一人が大失態を起こし、その謝罪のために手書きの書簡を筆者自宅郵便受にまで届けにきたことがあったが、よっぽど、その人物の方が人間味があるように思えてならない。

 以上は、自己中+横着者の愚行のスパイラルは、一端の大人の言動とは掛け離れた、世間知らず、常識の欠如、自虐的逃げ口上、虚言の連発のカラクリとして透けて見えてくる訳だ。

 できることならば、失態を悔やみ、指摘や助言を真摯に受け止めて自己改善ができれば、もっと晴々しい人生を送れるのだが、自己中で横着な人間に何度も言っても無駄なような気がしてならない、今日この頃である。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、自己改善を拒む人間の特徴と、その結果としての負の連鎖について論じています。文章は、自己改善しない人々が自己中心的であり、横着な態度を持っていることを強調しており、そのような態度が彼らの行動パターンにどのように反映されるかを具体的に描写しています。

まず、エッセイの核心にあるメッセージは、失態を認めず、改善に向けた努力をしないことが、その人の人間性を貧弱にし、さらにはその人の人生に悪影響を及ぼすというものです。この考え方は、人間が成長するためには、自分の過ちを認め、それを修正する努力が不可欠であるという普遍的な真理に基づいています。

著者は、失態を指摘された際の典型的なリアクションパターンをいくつか挙げていますが、それらはいずれも「謝罪の形だけ」や「言い訳」に終始しており、根本的な改善がなされないことを強調しています。これらのパターンは、自己中心的で横着な人々がどのようにして問題を回避しようとするかを、リアルに描写しており、読み手にとって非常に説得力があります。

さらに、エッセイでは過去にホテル経営者が手書きの謝罪書簡を届けたエピソードが紹介されています。これにより、謝罪に真摯に取り組む姿勢が強調され、自己改善の意志を持たない人々との対比が鮮やかに描かれています。人間味のある対応とそうでない対応の違いを具体的に示すことで、読者はより一層、自己改善の重要性を理解できるようになっています。

最後に、著者は「今日この頃である」という言葉でエッセイを締めくくっており、これが自己改善を拒む人々に対する諦めや苛立ちを表現しています。この言葉は、エッセイ全体の感情的なトーンを一層引き立てており、読者に対して強い印象を与えます。

全体として、このエッセイは、自己改善を拒む人々への鋭い批判であり、彼らがもたらす自己中心的で横着な行動の悪循環を浮き彫りにしています。また、自己改善の重要性を強調することで、読者に対して深い洞察と共感を促しています。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/8/19 02:17 am

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