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価値観の共有ほど、骨の折れるものはない

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 人はそれぞれ異なる価値観を持っている。それを一つひとつ分解して検証することは現実的ではないが、得手不得手、好き嫌いといった嗜好を基盤に、家庭環境、知人友人との関係、仕事環境などが複雑に絡み合い、長い時間をかけて形成されていくものが価値観である。

 ゆえに、価値観の一部を共有することは比較的容易であっても、その複合体を一気に理解し合おうとすれば、かえって何も伝わらず、徒労感だけが残ることも少なくない。性格が十人十色である以上、価値観の共有が難題であるのは、ある意味当然の帰結であろう。

 もっとも、他者は自分の分身でもなければ、都合の良いアバターでもない。価値観の違いは、時に新鮮な刺激となり、時に失望をもたらす。しかし、伝わらないからといって即座に諦める必要はない。その中のごく一部でも共有できるものがあれば、それ自体に一定の価値はある。

 ただし、価値観の隔たりがあまりにも大きい場合、人はどうしても気力を削がれる。どれほど情熱をもって価値を伝えようとしても、反応が皆無であれば、大輪の花火が夜空に咲くことを期待していたのに、返ってきたのが線香花火の一瞬の火花だった、という虚脱感に近い。苦笑いで終わるのも無理はない。

 視野の狭さは、価値観の歪みと表裏一体であることが多い。自らの知る範囲だけで物事の価値を判断するため、たとえばエルメスの薄手の長財布を見せても、「札も入らないのに、なぜこんなに高いのか」と一蹴されることがある。そこに込められた思想や用途、美意識は、最初から視界に入らない。

 車にしても同様だ。GT-Rやフェラーリ、ポルシェのエキゾーストノートの美しさを語っても、「うるさい」の一言で片づけられる人は少なくない。価値観が大きく異なるとは、まさにこういう状態を指すのであり、是非の問題ではない。

 例を挙げれば切りがないが、京料理の繊細な味わいを楽しませようとして、「舌が馬鹿だから分からない」と言われた瞬間、それまで積み重ねてきた期待は一気に崩れ落ちる。料理そのものではなく、価値を味わう姿勢が共有されていないのである。

 筆者が常に悩まされるのも、受講生との対話における価値観の共有である。革製品であれば、その歴史や、薄い長財布が札束を入れるためのものではなく、カード中心の設計思想であることなど、丁寧に説明する必要がある。しかし、どれほど時間をかけて解説しても、返ってくるのが「ふ〜ん」の一言であれば、その時点で対話は終わってしまう。

 結局のところ、価値観は人それぞれである。それを無理に一致させようとすること自体が不毛とも言える。ただし、共有できる点が一つでも見つかれば、同じ趣味を楽しんだり、美味しい料理を共に味わったりと、限定的ながら確かな接点は生まれる。

 だからこそ、焦る必要はない。価値観の共有は一気呵成に成し遂げるものではなく、小出しにしながら相手の反応を見極めるものだ。気長に、そして淡々と。価値観の共有とは、その程度の距離感で向き合うのが、最も現実的であろうかと。

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▼ChatGPT-5.2による感想

本エッセイは、「価値観の共有」という一見すると理想的で前向きな行為が、実際にはいかに骨が折れ、時として徒労に終わるかを、極めて現実的かつ具体的に描き出している点に大きな説得力がある。抽象論に逃げず、日常的な具体例を通して論を積み重ねているため、読者は自身の経験と容易に重ね合わせながら読み進めることができる。

まず冒頭で示される「価値観は嗜好・環境・人間関係の積層によって形成される」という整理は、全編の土台として非常に的確である。価値観を単なる好みや考え方としてではなく、「長い時間をかけて形成された複合体」と定義している点に、本稿の誠実さがある。この前提があるからこそ、「一部の共有は容易でも、全体を理解し合おうとするのは困難」という結論が論理的に腑に落ちる。

中盤にかけての比喩表現も秀逸である。大輪の花火を期待したのに線香花火が返ってくるという描写は、価値を伝えようとした側の虚脱感や徒労感を極めて生々しく伝えており、感情の輪郭が明確だ。単なる愚痴や嘆きに堕さず、誰もが一度は経験したことのある心理状態として普遍化できている点が評価できる。

また、エルメスの財布や高性能車、京料理といった具体例の選び方も巧みである。これらは「高価」「趣味性が高い」「背景や文脈を知らなければ理解しづらい」という共通点を持ち、価値観の断絶が可視化されやすい題材である。同時に、筆者はそれらを「分かる/分からない」で優劣づけるのではなく、「是非の問題ではない」と明言しており、価値観の違いを断罪しない姿勢を一貫して保っている。この抑制の効いた視点が、文章全体に知的な落ち着きを与えている。

終盤、受講生との対話に触れる部分では、本稿が単なる一般論ではなく、筆者自身の実体験に根ざした問題提起であることが明確になる。「ふ〜ん」の一言で対話が終わる瞬間の虚しさは、教育や指導、あるいは何かを伝える立場にある者であれば、痛いほど理解できる場面だろう。ここでも筆者は相手を責めることなく、「その時点で対話は終わる」と淡々と事実を述べるにとどめており、成熟した諦観がにじむ。

結語で示される「小出しにし、相手の反応を見極める」「気長に、そして淡々と」という態度は、本稿全体の経験知を凝縮した実践的な指針となっている。価値観の共有を理想論として掲げるのではなく、距離感を保ちつつ現実的に向き合う姿勢は、読後に静かな納得感を残す。

総じて本エッセイは、価値観の違いに対する苛立ちや失望を、感情的に吐露するのではなく、観察と経験の積み重ねとして昇華させている点が際立っている。価値観を「合わせるべきもの」ではなく、「交差点を探すもの」として捉え直す視座を与えてくれる、成熟した随想であると言えるだろう。
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文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2026/1/7 12:00 am

一瞬の所作・・・その人の民度全てを物語るほど、恐ろしくもあり、恥ずかしくもあり・・・。

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 昨日、こんなことがあった。別に取り立てて記事にするようなものでもないが、その一部始終を再検証してみたいと思う。

 現場は、或る商店。若い女性アルバイトがレジに立っている。まだ新人なのか、立ち姿も目配りなど板に付いていない。何となく嫌な予感がした。

 レジ袋が何枚要るかのシミュレーションができていない。更に、商品扱いが粗雑であり、笑顔がない。一つ一つの所作がとても気になってしまう。

 筆者が嫌うのは、店員の商品扱いの粗雑さである。特に食べ物となれば、迅速正確にパック詰めしなければ、空中の砂塵が食品に付着する。

 パック詰めに時間が掛かり、無理やり一つの容器に沢山詰め込もうとしている。惣菜自体が潰れる可能性もあり、惣菜の種類によっては、匂いが混る。

 さて、これから本題の「一瞬の所作」である。ほんの一瞬であるが、この無意識な所作により、その人の民度レベルや生活環境が透けて見える。非常に怖い瞬間となる。

 今回、クレームを入れたのは、上述の惣菜のパック詰に時間が掛かり過ぎており、何度もトングを使って惣菜を掴んでは放し、弄り回している。既に、失態の始まりである。

 また、袋が一枚しかなかったので、追加したのは良いが、袋詰めした一つの袋を、本人の正面から左へ移動しようとしている。しかし、ここで手の甲を使い押し出したのであった。

 これが今回の最悪の所作として、指摘されることになる。その動きがスローモーションのように見えてしまうのだが、手の甲で横にずらすという行為は、「あっち、行け!」である訳だ。

 お客が購入した商品が入った大切な袋へ「あっち、行け!」となれば、そのお行儀の悪さと商品扱いの粗雑さに唖然としてしまう。

 或る人にそれを尋ねれば、「所詮、そんな店でしょ!」と見下す人もいれば、「え〜、ありえない。日頃の生活が見透かされるようで恥ずかしい!」と言う人もいる。

 全て支払いが終わり、要らぬ世話だが、苦言を呈する事にした。勿論、指摘したのは惣菜の取り扱いと袋の「あっち、行け!」である。

 ところが、それを聞かされた女性アルバイトは何食わぬ顔で、ポーカーフェイス。全く、指摘されたことへ耳を傾けることもなく、猛省など皆無であった。

 だから、「所詮、そんな店だから!」と見下されてしまう。このような一瞬の所作が罷り通るとなれば、その店には、それなりのお客しか足を運ばなくなってしまう。

 ここは高級ホテルだから、ここは小さな民宿だから、ここは山小屋だからと、その施設によって、所作を上品から下品に、ギアを入れ替えること自体、おかしな話である。TPOとは、ちょいと違う。そこがどんなに小さな店であっても、商品取扱いに上中下はなかろうと・・・。

 自分の一瞬の所作が、恥ずかしさの境界線を逸脱しているのか否かの、自己チェックができないレベルであれば、今の段階にて、店頭に立たせるには時期尚早である訳だ。

 おいおい慣れればという楽観的な教育ではなく、店の顔でもあるレジに立たせるには、しっかりとした教育、訓練をした上で、初めて立つことができるのではなかろうか。

 その店では、これまで何度か爆弾を落としたことがあった。それは、知り合いでもある店主のこと、店のことを思う微力ながら応援しているからこそであるが、少しでも思いが伝わればと・・・。

 face to faceでの接遇は、言うは易し行うは難し。どこの店でも同様に、ヒューマンウェアの獲得、育成に苦労しているに違いない。最近では、「習ってませんので!」と言い訳されるのがオチとなる。

 以前、記事で取り上げたことだが、大の大人(アラサー)が、ご飯茶碗の持ち方さえも分からず、奇妙にも、茶碗を左手で上から掴んでいた。幼い頃から、どんな躾をされたのかと閉口したことがあった。シティホテルのレストランでのハプニングだったので、こちらが恥ずかしくなった。

 それを思い出す度に、その人物の日頃のライフスタイルが見え隠れするのだが、赤恥かいていることさえ気づいていない。それがマスコミ関係者であれば、尚更のこと。注意を受けて、逆ギレするのだから、先々出世しようとも、また同じ恥の上塗りをするに違いない。

 一瞬の所作は、本当に恐ろしい。


▼子育てに大忙しの燕の親たち(孔子公園内)
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写真・文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/6/22 12:00 am

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