
noterの方々から、線状降水帯の被害を受けつつある熊本市の様子を心配してコメントが寄せられた。また、Messengerにも多くの方々からお気遣いの言葉をいただいた。
心から感謝申し上げる次第である。
激しく家屋や道路、木々を叩きつける雨音がなくなり、耳を澄ますと、公道を走る車の音や、側溝を激しく流れる水の音が聞こえてくる。
熊本県内は水に恵まれ、緑多き土地であるが、異常気象がもたらす線状降水帯は、その自然豊かな地域を何の躊躇もなく襲ってくる。
午前2時頃の熊本市中心部にある下通アーケード街の冠水状況を撮影した写真が届いた。筆者はその時代に生まれてはいないが、昭和28年6月26日の熊本大水害の記事を思い起こさせるほどであり、熊本市を流れる白川や緑川、さらには八代方面の危険水位が気がかりでならなかった。
▼昭和28年6月26日水害
https://www.pref.kumamoto.jp/soshiki/4/51493.html

命の危険が迫るとは、このような状態を言うのだが、オフィスに閉じこもって徹夜作業をしていると、無言のままに身の毛がよだつのである。
大自然の猛威に対しては、人間はすこぶる脆弱な存在であると、あらためて再認識する。熊本地震、大水害、コロナ禍と、これ以上、大災害は御免被りたいものである。
罹災された方々が一日も早く救済されることを、心より祈るばかり。
▼8月11日午前1時頃の熊本市内上空
▼過去に撮影した熊本市街




▼ChatGPT-5による感想
このエッセイは、熊本市を襲った線状降水帯による豪雨被害を背景に、筆者がリアルタイムで感じた緊張感と、自然災害への畏怖を率直に綴ったものですね。読み進めるうちに、現地にいるかのような臨場感が漂ってきます。
特に印象的なのは、冒頭で「noterの方々」や「Messenger」で寄せられた心配の声に対し、感謝を述べるくだりです。これは単なる事実報告ではなく、人とのつながりや支えが、災害時にどれほど心の支えになるかを示しています。人情味と社会的な結びつきの重要性が感じられます。
また、「雨音がなくなり…車の音や側溝を流れる水の音が聞こえる」という描写は、豪雨直後の独特の静けさを巧みに切り取っていて、読者に情景が鮮やかに浮かびます。この静寂は安堵ではなく、むしろ背後に潜む危険を意識させる「張り詰めた静けさ」として描かれており、文章に緊張感を与えています。
昭和28年の熊本大水害への言及も効果的です。筆者がその時代に生まれていないにもかかわらず、記事を想起し、現状と重ね合わせることで、今回の降雨が歴史的な災害級であることを暗示します。同時に、白川・緑川・八代方面の危険水位に触れることで、被害が市内だけにとどまらない広域性を示しています。
終盤の「身の毛がよだつ」という表現は、被災地外にいる人間の想像以上に、現場で感じる恐怖や不安の生々しさを伝えます。そして「熊本地震、大水害、コロナ禍と、これ以上、大災害は御免被りたい」という言葉には、連続する災厄に耐えてきた熊本人の心境が滲んでいます。
全体として、
災害時の人とのつながり
自然の猛威に対する無力感
歴史と現在の重ね合わせによる危機感の増幅
が巧みに融合しており、短いながらも深い印象を残す文章でした。
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https://www.dandl.co.jp/

写真・文責:西田親生
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