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社員の解雇は簡単なようだが、その原因はほぼ経営側にある。

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 コロナ禍に限らず、中小企業だけを見ていても、解雇や依願退職などは絶えない日々が続いている。

 昔は、「終身雇用」と「年功序列」がセットものだった国内企業であるが、今の時代、能ある鷹は別世界へと飛び出し活躍し、経営側の能無し鷹は周りを蹴散らし解雇処分(姑息にも依願退職の形式を強要)を連発する。

 人事権を持つ経営側は、個人的感情の下で、理不尽なる解雇処分を決定するが、ほとんどの場合、個別面談にて念書を書かせたり、解雇処分を依願退職の形に強引に切り替えたりと、経営側の体裁と保身に徹している。

 人は見掛けによらぬもの。お利口さん面した経営者が、とんでもない毒蜘蛛のようであったり、個人的な感情を振り回しながら蛮行に及ぶケースも多々ある。そこで被害者となるのが、無理矢理、依願退職扱いにて会社を去っていく人たちである。

 筆者が理解に苦しむ個別面談。それは解雇処分であったり、依願退職に持ち込まれようとする個別面談には、弁護士または第三者同伴にて対応すべきである。自分自身のみならず家族の将来が掛かっているのであれば、尚更のこと。

 個別面談にて、退職後の言動制限などを盛り込んだ、会社側が不利益にならぬような念書を、何故強要されるのかが理解できない。法の不知にて、退職者は知らずの内に念書を書かされ、退職後に法的措置を遮断するような手法(悪手)は、余りにも倫理性に欠け、人権無視であると言っても過言ではない。

 勿論、解雇処分にあたるような失態や会社に不利益を与えたという事由や証拠があれば堂々と解雇すべきであり、もし、経営側の個人的な感情にて依願退職を強要するようであれば、これは違法行為でもあり倫理違反である。

 特に、見識が低く意地汚い人間が経営者となった場合は、ほとんど、個人的感情にて人事権を大上段に構え、事あるごとに責任を現場サイドに転嫁し、手柄だけは自分のものにしようと必死となる。

 このような中小企業が多いのが実状と言えるが、一歩、二歩、下がって拝見していると、意地汚い経営者が主役である、観るに堪えない喜劇となっている。

 以前、ある人が、某会社の経営者によって、多くの社員が根こそぎ辞めていったという話をしていた。実は、その経営者は非常にクレバーで常識ある人物と見ていたが、人は見掛けによらぬもの。実務的には有能だが人格までは備わっていなかったようだ。

 六月は、全国的に株主総会の時期となっているが、社外取締役や株主においては、無能で意地汚い経営者を黙認していると、同じような蛮行が繰り返されることになり、会社全体に亀裂が生じる可能性が高い。会社組織というものが健全経営となるには、もの言う株主や社外取締役の存在は不可欠でありはしないか。

▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイは、現代の中小企業における解雇や依願退職の問題を深く掘り下げています。筆者の視点からは、解雇の多くは経営側の責任によるものであり、その背後には経営者の個人的な感情や倫理の欠如があると指摘されています。

以下、感想と解説を述べます。

主張の核心
筆者は、解雇や依願退職が頻繁に行われる背景には経営者の倫理観や能力の欠如があると述べています。終身雇用や年功序列といった昔ながらの日本の企業文化が崩壊し、現在では経営者の一存で社員が不当な扱いを受けるケースが増えているという現状を批判しています。

経営者の姿勢と問題点
エッセイでは、経営者が個人的な感情で人事権を行使し、理不尽な解雇や退職強要を行っている実態が描かれています。こうした経営者は、自分の保身や体裁を優先し、社員に対して念書を書かせたり、依願退職の形を強要したりします。この行為は、法的には問題があるだけでなく、倫理的にも非難されるべきだと筆者は強調しています。

法的および倫理的な視点
筆者が強調するのは、解雇や依願退職を強要される際には、必ず弁護士や第三者を同伴するべきだという点です。これは、退職者が法的に不利な立場に置かれないための自衛策として重要です。また、退職後の言動制限などを盛り込んだ念書を強要する行為は、倫理的に問題があるとし、人権を無視する行為だと強く批判しています。

経営の健全性と取締役・株主の役割
筆者は、健全な経営を実現するためには、無能で意地汚い経営者を黙認しない「もの言う株主」や「社外取締役」の存在が不可欠であると述べています。これにより、経営者の暴走を防ぎ、企業全体の健全性を保つことができるとしています。

感想
このエッセイは、中小企業の経営における現実の厳しさを鋭く捉えています。経営者の質が企業全体の運命を左右することを強調しており、その背後には倫理観や公正さが不可欠であるという筆者の主張に強く共感します。また、社員の解雇に関する具体的な事例や対策についての指摘も現実的であり、読者にとって有益な情報を提供しています。

筆者が述べるように、法的な知識を持つことや第三者を介在させることは、個々の社員にとって非常に重要な自衛手段です。そして、企業全体の健全性を保つためには、取締役や株主の積極的な関与が不可欠であるという点も納得できます。

このエッセイは、中小企業の経営に関わる全ての人々にとって考えさせられる内容であり、経営者としての倫理観や公正さの重要性を再認識させられるものでした。
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写真・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2024/6/17 12:00 am

外の世界に触れる勇気

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 言葉の響きは芳しくないが、「専門馬鹿」という言葉を耳にすることは少なくない。ある分野には強くとも、他分野については「門外漢」として何も知らぬ、という意味合いで用いられることが多い。だが同時に、「専門馬鹿」とは、その分野において王冠を戴いたエキスパートでもある。

 科学技術の基礎研究などにおいては、「専門馬鹿」でなければ到底成し得ない膨大で緻密な課題が存在する。一つひとつの研究を根気強く積み重ねるためには、並外れた集中力と執念が求められる。ゆえに「専門馬鹿」の存在は必要不可欠であり、その功績は計り知れない。

 しかし、いくら専門性を誇っても、他分野への関心が著しく低く、さらに民度が伴わなければ、私生活においては「平板な人間」に堕してしまう危険性がある。

 例えば、サービス業に携わる人々もまた、接遇の「専門馬鹿」であることが望ましい。所作の美しさや応対の奥深さを瞬時に示し、顧客に感銘を与える存在は確かに尊い。ところが、ふと私生活を覗いた際、箸や器の扱い方が粗雑であったり、他人への応対が乱暴であったりすれば、一瞬にして「専門馬鹿」としての称号を疑われてしまう。

 それは、専門分野に陶酔しすぎ、狭い領域に安住するあまり、自らの「視野狭窄」に気づかず、民度の低さを露呈することにほかならない。結果として「専門馬鹿」の価値を大きく損ねるのは、何とも惜しいことである。

 日本においては、とかく「専門分野」の範囲が狭すぎる傾向がある。学術的にはそれで十分かもしれないが、視野を広げ、奥行きを深めることで「専門馬鹿」の価値はさらに高められるはずだ。

 すなわち、「専門馬鹿」にとって最大の落とし穴は「視野狭窄」と「傲慢」である。法の世界における「法の不知」と「権利濫用」が恥ずべき行為であるのと同様に。

 世の中には様々な「専門馬鹿」が存在する。それ自体は称賛すべきことであるが、ことさらに自慢げに吹聴するのはいただけない。せっかくの専門性が、マグネシウムの火花のように一瞬で軽く見えてしまう。

 筆者が理想とし、敬愛するのは、自らの専門分野において研鑽を積みながら、同時に他分野にも深い造詣を示す「専門馬鹿」である。そして、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を体現する人格者であれば、それこそ史上最強の「専門馬鹿」と言えるのではなかろうか。

燕雀知らず天地の高さ
enjakushirazu2023


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  • posted by Chikao Nishida at 2023/3/6 12:00 am

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