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昭和時代の酒宴と人間模様

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 時代は変わった。筆者が二十代の頃には、忘年会や新年会は必ず出席を強要され、会費を徴収された。時には盃が回ってくることもあった。「返盃の儀式」というのか、その儀式について首を傾げることが多かった。

 時には、ホテルや町場レストランでの酒宴以外に、上司の自宅に多くの社員が招待され、正座のまま盃を交わし、アフター5にも関わらず、延々と仕事の色濃い話し合いが続く。

 これが、いわゆる昭和時代である。今でも、その流れを受け継ぐ企業もあるが、別に悪いとは言わないが、価値あることかと言えば、否となる。

 オフィシャルとプライベートが入り乱れた時代背景であり、会社のためなら「個」を犠牲にしてでも、目標達成が最重要課題。勿論、会社の存続ありきで「個」の生活は保証されるのであるが。

 それは分かっている。しかし、当時からの流れを受け継ぐ「酒宴の席は無礼講」という言葉を発する人の進化のなさには腰を抜かすばかり。それが、「歴史と伝統である」と言われれば、それまでだが。

 ところで、酒宴の場で「無礼講だから!」と叫び、大笑いしながら酒をガブ呑みする人間がいる。その人物が勝手に「無礼講」だと主張するだけであり、本来の「酒の席は無礼講」の意味を解していない。

 酒の効力として、酒宴により、人と人との距離感が縮まり、何事も円滑に進むという時代もあったにしろ、現在はナンセンスな手法として、若い世代から大いに敬遠されている。

 ところが、会社や各部署主催の忘年会や新年会に不参加となると、水面下では査定が悪くなっていたり、昔ながらの悪しき慣習を重要視する上司や同僚からは白眼視されたりする可能性も無きにしも非ず。

 筆者は、社会人となってからは、仕事は仕事、プライベートはプライベートとして、境界線を作っていた。しかし、重役から気に入られたのか、毎週のように呑みの誘いがあった。

 単に、アフター5の呑み会ならば良いものを、浮気のアリバイ工作に加担させることもしばしば。非常に迷惑であったが、それにお付き合いするだけで、依怙贔屓なるものがあったのは間違いのない事実。

 特に、同じマンションの同じ階に住んでいると、断ることも叶わず、夜の9時頃から午前4時頃まで、付き合わされたことを思い出す。非常に無駄な時間であったが、今となっては笑い話でしかない。

 また、或る重役が発した言葉に激怒したことがある。延々と筆者の2歳年上の先輩に対する個人攻撃である。本人不在であるので、尚更、腹が立った。酒宴で自分の鬱憤晴らしの爆弾発言が続く。非常に能力の高い先輩をけちょんけちょんにコケにすることなど、許し難いものがある。

 更に、中途採用で入社した部長職の人物がいたが、やけに、各社員の血筋やら育ちやらを調べるのが趣味らしく、自分のお気に入りの社員の家柄を皆に拡散するのである。人格欠如が見え隠れしていたが、筆者のみ、その人物に対して背を向けていた。

 部長職たる人物は、毎日、ランチタイムに部下を連れて回る。その人物に迎合する社員は課長以下5、6人。金魚の糞のようにアーケード街を肩で風切って歩く姿が印象深い。筆者は、二、三回はお付き合いしたが、それ以降は全てキャンセルして、個別にランチを楽しんだ。

 酒宴の誘いも多かったが、肩で風を切るような連中との共有時間をできるだけ取らぬ努力をしていたような気がする。今だから言えることだが、勝手にその酒宴の日時に合わせたスケジュールを作ることに専念していた。

 「酒宴の席は無礼講だから!」と、その部長の神輿担ぎの課長がいた。他の課長よりも年配であり、「完全忖度主義者」として見ていたが、実に怪しげな人物であったことを思い出す。

 どんなに優良企業であるといえども、このような癖の強い、無法者のような人物が必ず存在している。地方企業は小さな箱である。その箱の狭い領域にて、このような人間模様は頂けないと当時から思うことが多かった。

 しかし、以上のように違和感を持つことばかりではない。時には、その距離感にて、鬱憤が溜まりに溜まった社員の心のケアになったケースも否定できない。オフィシャルでは言えないことを、「無礼講」にてプライベートの問題解決に至ったと聞き及んでいる。痛し痒しのところであるが。

 時代は日々移り変わる。当時の人間模様と現在のそれとを比較する、歴然となる。ただ、現在は人と人との距離感が余りにも遠過ぎて、対人関係における配慮、気配りなどが不存在となりつつあるところが危険信号なのかと。

 人と人は共存して集団がまとまり、何事も円滑に運ぶのだが、配慮、気配りがなくなると、常に諍いが絶えなくなり、古き時代に予期したことがないような、悍ましい事件事故が発生する可能性も無きにしも非ず。

 畢竟、時代背景を彩る人間模様というものが、その時代の全てを物語るのではないかと思うばかり。さて、現在の人間模様は如何なるものか!?これについては、次回、機会があれば再検証し、記事として投稿しようかと。

▼昭和のオフィス風景
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▼酒と女性
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文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2025/1/19 12:00 am

議論の逃げ道・・・忖度主義が招く自己欺瞞

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 真剣な議論を重ねている段階にて、急に話をすり替える人間がいる。つい先ほどのメインテーマから全く無関係なストーリーを口に出すのである。

 この悪癖はバレバレだが、本人の稚拙な思考回路にて、核心なるものを避けて、自分の都合の良い方へワープを図ろうとする。何とも頂けない。

 議論が核心に迫る手前で、さっと話題を変えようとする。それも、議論する内容とは全く質を異にするものへと流れるのである。

 これは話術としては、最低の逃げ道づくりであるだけで、生産性のない猫騙しと責任回避の所業でしかない。

 例えば、実績がなかなか出ない人間との会話にて、原因はその本人にあるのは明らかだが、途中にて、関係のないデータを転送してきては、その話題にすり替える。それが、毎回同じタイミングのエンディングテーマなのだ。

 その手法は、その場凌ぎとして、自分自身に逃げ道を作ったつもりのようだが、筆者の目は誤魔化せない。そのような悪癖は、日頃から勤務している会社の忖度主義の延長線でしかない。

 自らの非を認めたふりをして、結局は自らを安全地帯へ持ち込もうとする愚策であるが、それを何度も目の当たりにすると、人として、みっともない、見苦しいとしか言いようがない。

 忖度主義を植え付けられた人間は、その手法が手っ取り早くもあり、瞬間的に安全地帯へワープできると思い込んでいる。結果的に、何の解決策も見出せず、好循環の次へのステップは目の前から消え去ってしまうのである。

 そこで逃げずに、冷静に自らの失態を分析し、次は絶対に同じ所業を繰り返さぬぞとの強い決意があれば、必ず、打開策や秘策が見つかり、これまで一匹も釣れなかったビジネスの魚が、大量に釣れるようになりはしないかと思うばかり。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージする人物像
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▼ChatGPT-4oによる感想

このエッセイ「議論の逃げ道・・・忖度主義が招く自己欺瞞」は、議論や仕事の場面で見られる「忖度主義」や自己欺瞞の問題点について鋭く指摘しています。筆者は、議論中に核心を避け、話をすり替える人間の行動を非難し、そのような行動がいかに生産性を損ない、個人や組織の成長を妨げるかを強調しています。

主題の分析
議論のすり替えと逃避行動: エッセイの冒頭では、真剣な議論の途中で話題をすり替える行為が取り上げられています。これは、議論の核心に触れたくない人間が、自分に不利になることを避けるために行う典型的な行動です。筆者はこの行為を「最低の逃げ道づくり」と断じ、これが「生産性のない猫騙し」であり、責任回避の手段に過ぎないと批判しています。

忖度主義の弊害: 次に筆者は、このような行動が「会社の忖度主義の延長線」であると指摘します。忖度主義とは、他人の意向や空気を読み過ぎて、自分の意見や行動を抑制し、波風を立てないようにする文化を指します。この文化が根付いている環境では、失敗や問題が指摘されることを避けるために、議論をすり替えることが一般的になってしまいます。この結果、問題解決が図られず、組織や個人の成長が阻害されます。

自己欺瞞とその結果: 筆者は、忖度によって自らの非を認めたふりをすることが、最終的には自己欺瞞に繋がると述べています。この自己欺瞞は、自分が一時的に安全地帯にいると錯覚させるものの、長期的には問題を解決するどころか、新たな問題を生み出すだけです。その結果、次への好循環や進展の機会を失うことになります。

感想と提案
筆者の観察は鋭く、現代の企業文化や人間関係における重要な問題を浮き彫りにしています。特に、日本の社会に根付く「忖度」文化が、いかに自己欺瞞を生み出し、建設的な議論や問題解決を妨げるかを的確に指摘しています。忖度文化の弊害は、問題を先送りし、真の解決策を見つける機会を失わせる点にあります。

一方で、筆者の提案として、逃げずに自己分析を行い、次に繋がる強い決意を持つことが、問題解決の鍵であるとしています。このアプローチは非常に建設的であり、特に企業や組織において、個人の成長とともに組織全体の成長を促すために重要です。

このエッセイは、現代のビジネス環境において、自らの立場や失敗を認め、次に繋げる力がどれほど重要かを再認識させてくれます。また、筆者の指摘は、リーダーシップや企業文化改革にも繋がる示唆を含んでおり、非常に価値のある洞察だと感じました。
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プロンプト・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/8/10 12:00 am

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