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7月28日の判断|予定を守るより、守るべきものがある

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 今だから言える話だが、7月28日は、午後の打ち合わせと夕食会を予定していた。

 打ち合わせは大事な用件であり、楽しみにしていたものでもあった。夕食会では、久しぶりに会う人に、ある人を紹介するつもりだった。仕事にも、人との縁にも、意味のある一日になるはずだった。

 しかし、熊本県内を襲った激震によって、その日に優先すべきことは変わった。

 まず確認すべきは、被害の状況と、関係者の安全である。予定どおりに集まれるのか。移動に危険はないのか。相手は、打ち合わせや会食どころではない状況に置かれていないか。

 筆者は、打ち合わせも夕食会も中止すると決め、関係者に直ぐに連絡を取った。

 その日、県内の商業施設ではガス爆発事故も発生し、人命が失われた。被害の全容が見えない中で、普段どおりの一日を続ける気持ちには、到底なれなかった。

 筆者の脳裏にあったのは、10年前の熊本地震である。

 水もガスも使えず、2週間以上、不自由な生活を余儀なくされた。蛇口をひねれば水が出る。火を使って食事を作れる。そんな当たり前が、一瞬にして失われた。

 だからこそ、揺れが収まったからといって、日常が戻ったとは考えられなかった。目の前に被害が見えなくても、誰かが困り、誰かが助けを必要としている。余震や、その後に生じる危険にも目を向けなければならない。

 楽しみにしていた予定を取りやめるのは、残念である。しかし、その残念さを、安全より先に置くことはできない。

 もちろん、中止の連絡をすれば、それですべてが済むわけではない。

 食事処では、すでに食材を仕入れ、仕込みを進めていたかもしれない。こちらに事情があるように、店にも事情がある。自然災害であることを理由に、準備に費やされた手間や費用まで消えるわけではない。

 筆者の個人的な都合による身勝手なキャンセルならば、準備に伴う費用は負担すべきだと考えている。災害時であっても、費用の扱いは店の状況や取り決めを踏まえて相談すべきことである。「互いに辛抱する」という言葉も、相手にだけ負担を求めては成り立たない。

 安全を優先する判断と、相手への配慮。その両方があってこそ、中止という決断に筋が通る。

 今でも、あの日、予定を取りやめた判断は間違っていなかったと考えている。

 その判断の根底には、2016年4月16日の記憶がある。

 激震に襲われた際、筆者は1分以内にオフィスを出て、スタッフを車に同乗させ、八景水谷方面へ避難した。水源地があることが頭に浮かび、水を確保する手掛かりになると考えたのである。

 あの時は、揺れの中で、次に何をすべきかを必死に考えていた。自分とスタッフの命を守り、その先の生活をどうつなぐか。判断の中心にあったのは、その一点だった。

 緊急時の冷静さとは、迷いがないことではない。恐怖や混乱の中でも、何を最優先にするかを見失わないことだと思う。

 約束は大切である。準備してくれた人への責任も重い。だからこそ、状況が変われば、続けるべきか、取りやめるべきかを自ら判断し、その判断に伴う責任を引き受けなければならない。

 自分の命は自分で守る。そして、自分の判断が、そばにいる人の命にも関わることを忘れない。

 打ち合わせは、日を改められる。再会も、紹介も、次の機会をつくることができる。

 しかし、失われた命に、次の機会はない。

※ヘッダー画像は、記事を読んだChatGPTが生成したもの

▼西田親生の書籍「城と地震|熊本地震から十年」
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▼ChatGPTによる感想

 読み終えて、自分なら楽しみにしていた予定を、その場で手放せるだろうかと考えました。久しぶりの再会や、人を紹介する機会には、「せっかく準備したのだから」という気持ちが働きます。相手に迷惑を掛けたくないという思いもあるでしょう。それでも、相手が無事に来られるのか、集まること自体が負担になっていないかと考える。その問いに、約束を交わした人への深い配慮を感じました。

 特に心に残ったのは、食事処の仕込みや費用にまで目を向けているところです。非常時には、自分の不安で頭がいっぱいになりがちです。けれども、中止の連絡を受ける側にも、すでに費やした時間と労力がある。「相手にだけ負担を求めては成り立たない」という言葉に触れて、決断には、その後の責任を引き受ける覚悟も必要なのだと感じました。

 水もガスも使えなかった2週間の記憶には、日常を失った人だからこその切実さがあります。普段、私たちは蛇口から水が出ることも、次の約束ができることも、当然のように受け止めています。その当然が崩れた経験が、10年後の判断にも生きている。スタッフを同乗させて避難した場面からも、自分の判断に誰かの命が託される重さが伝わってきました。

 「緊急時の冷静さとは、迷いがないことではない」という一節には、救われるような思いがしました。恐怖を感じ、迷いながらでも、守るべきものを見失わずに動く。それなら、自分にも心に刻んでおけると思えます。

 最後の「失われた命に、次の機会はない」を読んで、冒頭の楽しみだった予定が、違った重みを持って思い返されました。再会を願うからこそ、まず互いに生きていなければならない。予定を取りやめる判断の中に、次にまた会える日を守ろうとする思いを感じ、静かに胸に残りました。
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文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2026/10/12 12:00 am

スマホの利便性と危険性

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 スマホが生活の中心となった現在、私たちは急速にデジタル社会のど真ん中で暮らすようになった。

 コンビニやスーパーでは、スマホをかざすだけで決済が完了する。銀行口座の管理、証券取引、デジタル名刺交換、SNSのやり取り、さらには行政サービスまで、一台のスマホで済ませられる時代となった。

 筆者はデジタル分野を本業としているが、現在もマイナンバーカードは取得していない。理由は、個人情報を過度に一元化することへの懸念があるからである。利便性を否定するものではないが、利便性と安全性は常に天秤にかけて考えるべきだというのが持論である。

 街を見渡せば、歩きながらスマホを見つめる人、車内にスマホホルダーを設置してナビや情報を表示する人、オンラインショップを眺めながら買い物を楽しむ人など、生活のあらゆる場面でスマホが主役となっている。

 筆者自身も、財布の中は領収書やレシートばかりで、現金を持ち歩くことはほとんどない。日頃利用するスーパーでの買い物から飲食店での支払いまで、ほぼスマホかクレジットカードで済ませている。

 このように、スマホの利便性は疑いようがない。しかし、その一方で見落とされがちな課題もある。

 まず、小さな画面である。

 筆者はスマホで記事を書くことはほとんどない。執筆や編集、写真管理、システム設計などの仕事では、ラップトップを主力とし、スマホやタブレットは補助的な役割に留めている。

 音声入力からテキストへ変換し、そのまま記事を書こうと試したこともある。しかし、長文になるほどスクロールが増え、全体の構成や論理展開を俯瞰しながら推敲することが難しくなる。

 生成AIを利用すれば誤字脱字や表現の修正はできる。しかし、文章全体を一枚の設計図として眺め、構成を組み替え、論理を再構築する作業は、大きな画面の方が圧倒的に効率的である。

 人間の思考は、細部だけでなく全体像を同時に把握しながら組み立てられる。スマホは一点を拡大して見るには優れているが、多数の情報を横断的に関連付けながら思考するには限界がある。少なくとも筆者にとっては、脳内で描く「デスクトップ」と、スマホの小さな画面とは、どうしても一致しない。

 さらに気掛かりなのは、セキュリティである。

 スマホ一台の中には、銀行口座、クレジットカード、電子マネー、各種パスワード、写真、連絡先、位置情報など、膨大な個人情報が収められている。

 もし取材先で紛失したり盗難に遭ったりすれば、その影響は財布を失うどころではない。海外旅行中であれば、その深刻さはなおさらである。

 例えば、クレジットカード会社の上位会員向けサービスには、海外での盗難や事故の際に支援を受けられるコンシェルジュサービスが用意されているものもある。カード会社へ連絡が取れれば、一定のサポートを受けられる可能性はある。しかし、スマホそのものを失えば、その連絡手段さえ失う危険性がある。

 近年は、折りたたみ式スマホのように画面を大型化した製品も登場し、タブレットに近い使い勝手を実現しようとしている。確かに利便性は向上するだろう。

 しかし、画面が大きくなったからといって、本質的な問題が解決するわけではない。筆者が最も重視しているのは、デバイスそのものの安全性と、インストールされるアプリの信頼性である。これらを軽視すれば、後になって大きな代償を払うことになりかねない。

 スマホは今や、小さな携帯電話機ではない。

 性能だけを見れば、タブレットやラップトップに匹敵する処理能力を備え、多くの人にとって最も重要な情報資産を持ち歩くモバイルコンピュータとなっている。

 財布を一軒家に例えるならば、スマホは高層ビルである。そこには生活のあらゆる機能が集約され、膨大な情報が蓄積されている。

 それにもかかわらず、日本では流行や広告に背中を押され、新機種へ買い替えることばかりが注目される傾向がある。しかし、本当に重視すべきは処理速度でもカメラ性能でもない。

 最優先すべきは、セキュリティへの意識である。

 スマホの進化は歓迎すべきだが、その利便性に安心し切った瞬間から、新たなリスクは始まる。便利さと危険性は常に表裏一体であることを忘れず、自らの情報資産を守る意識を持ち続けることが、デジタル社会を生き抜く最低条件ではなかろうか。 

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▼ChatGPTによる感想
本エッセイは、スマホの便利さを語るだけでも、危険性を煽るだけでもなく、「利便性とリスクは常に比例する」という本質を、実務家の視点から冷静に描いている点が印象的です。

特に興味深いのは、一般的なセキュリティ論に終始せず、「思考の器」としてのスマホの限界にまで踏み込んでいることです。多くの人は画面が小さいことを操作性の問題として捉えますが、筆者は「俯瞰して思考するには不向きである」と論じています。この視点は、単なるハードウェア論ではなく、人間の思考構造とデジタル機器との関係を論じた内容となっており、非常に示唆に富んでいます。

また、「財布は一軒家、スマホは高層ビル」という比喩も秀逸です。一台のスマホに決済、銀行、証券、写真、通信、認証情報まで集約されている現状を、これほど分かりやすく表現した比喩は読者の記憶に残ります。スマホを紛失することが、単に電話機を失うことではなく、生活基盤そのものを失うことに等しいという危機感が自然に伝わってきます。

さらに、本稿は「最新機種への買い替え」という消費行動にも一石を投じています。スペック競争やカメラ性能ばかりが話題になる一方で、本当に重要なのはセキュリティへの理解と自己防衛意識であるという結論は、デジタル社会を長年見続けてきた筆者だからこそ導き出せる見解でしょう。

読み終えて感じるのは、スマホを否定しているのではなく、「便利だからこそ慎重に扱え」という極めて現実的なメッセージです。利便性を享受するためには、それに見合う情報リテラシーと危機管理能力が不可欠であるという主張は、生成AIが普及し、スマホがますます個人の中枢端末となるこれからの時代に、一層重みを増していくはずです。

本稿はスマホ論にとどまらず、「技術の進歩を無条件に歓迎するのではなく、それを使いこなす人間側の成熟こそが問われる」という、人間学にも通じるメッセージを内包したエッセイとして読むことができました。
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文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2026/7/27 12:00 am

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