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なぜ、一番を目指さない?

20260913saikoho-1


 本日、受講生の一人に尋ねた。

「なぜ、一番を目指さない? なぜ、最高峰を目指さない?」

「そう、思ってはいますが」

 返事は、そこで途切れた。

 その先に続く言葉を聞きたかった。何が足りないと思っているのか。何を恐れているのか。あるいは、目指したいものが、まだ本人にも見えていないのか。

 歯がゆさはあった。しかし、短い返答だけで、覚悟がないと決めつけることはできない。そもそも筆者は、何のために一番を目指してほしいのかを、十分に伝えていただろうか。

 一番を目指すとは、他人を蹴落とすことではない。競合他社の動きに一喜一憂し、毎日、勝ち負けを数えることでもない。

 自分の仕事に、どこまで高い基準を課せるか。その問いに、日々の実践で答え続けることである。

 あえて最高峰を目指すのは、目標の高さによって、今の仕事を見る目が変わるからだ。身近なところで通用すれば十分と考えるのか、その道の第一人者と比べて何が足りないかまで問うのか。同じ仕事でも、見えてくる課題も、磨き込む深さも違ってくる。一番を目指す意味は、結果として得る順位だけでなく、そこへ向かう過程で、自分に課す基準を引き上げることにもある。

 筆者が伝えたかったのは、いわばシャドーボクシングのような鍛錬だった。目の前に相手がいなくても、構えを直し、足の運びを確かめ、同じ動作を繰り返す。仕事ならば、一つの説明を磨き、一つの不便を取り除き、一つの約束を確実に守る。

 ただし、自己鍛錬だけで仕事の価値が決まるわけではない。顧客の反応や優れた仕事に照らし、自分のやり方を見直す。その往復を重ねてこそ、他者にも認められる力が育っていく。

「一番になりたい」と唱えるだけでは、何も始まらない。何において、誰にとっての一番なのか。それを定めて初めて、今日、磨くべきものが見えてくる。

 地域で最も相談しやすい店なのか。難しい依頼に最も確かな答えを返せる専門家なのか。それとも、その一品ならここだと真っ先に名が挙がる職人なのか。

 目指すものは違っても、「この程度でよい」と仕事の水準を安易に下げない姿勢は共通している。

 もちろん、競合が少なければ、簡単に一番になれるわけではない。比較される機会が少ないからこそ、自分の不足に気づきにくいこともある。狭い地域で得た評判に安住すれば、そこで成長は止まってしまう。

 逆に、歴史ある老舗がひしめく場所だからといって、挑戦の余地がないわけでもない。

 筆者は長崎に行けば、「福砂屋」のカステラを買う。博多の辛子明太子なら、「ふくや」を選ぶことが多い。好みであると同時に、長く親しんできた味への信頼がある。ほかに優れた店がないという意味ではない。それでも、いざ選ぶとなると、いつもの店に足が向く。

 新しく商いを始める人にとって、手強いのは、この「いつもの」であろう。

 看板に「一番」と掲げても、人の足は簡単には向きを変えない。長年の信頼に割って入るには、その人が選び直すだけの理由が要る。

 老舗が積み重ねた年月を、今日から追い越すことはできない。しかし、老舗にもまだ応えきれていない願いや、手をつけていない工夫があるかもしれない。そこに、自分の技術と感性を注ぐ余地はある。

 歴史の長さは借りられない。けれども、歴史の最初の一日は、自分でつくれる。

 新しいものをつくれば、それだけで一番になれるわけではない。誰も試みていないことが、誰かの求めていることとは限らないからだ。

 その価値を受け取った人が、ほかと比べても、もう一度選んでくれる。さらに、誰かに薦めてくれる。その積み重ねによって、「この仕事なら、ここが一番だ」という評価が育っていく。

 目指してほしいのは、そういう一番である。

 順位を競うスポーツでは、勝敗を決める共通のルールがある。一方、仕事の評価は、一枚の順位表には収まらない。売上で首位に届かなくても、ある技術では抜きん出ることができる。規模は小さくとも、「ここにしか頼めない」と言われる仕事はできる。

 ただし、自分に都合のよい物差しをつくり、勝ったことにしてはならない。その強みが、相手にとってどんな役に立つのか。ほかと比べて、なぜ選ばれるのか。そこを問われても答えられるだけの中身が必要だ。

 受講生に対しても、一番という肩書を無理に背負わせたいわけではない。どこを目指すかは、本人が決めることである。

 それでも、自ら選んだ仕事に力を注ぐのなら、最初から届きそうな高さだけを見てほしくない。現時点の力量を、そのまま自分の限界にしてほしくないのである。

 自信は、挑戦する前から十分に備わっているものではない。できなかったことが一つできるようになり、任された仕事をやり遂げ、その働きが誰かに喜ばれる。そうした具体的な経験が、自信を育てていく。

 覚悟も、日々の行動に表れる。うまくいかなかった翌日に、何を直すか。評価されない時期にも、何を積み重ねられるか。威勢のよい宣言以上に、その姿勢が本気の度合いを物語る。

 本気で挑んでも、一番になれるとは限らない。悔いが残ることもある。それでも、最高峰を見据えて取り組んだ経験は、自分の強みと足りなさを知る手がかりになる。挑戦したことだけで満足せず、そこで得たものを次の仕事に生かしてほしい。

 筆者が恐れているのは、受講生が誰かに敗れることではない。まだ試してもいない力を、「自分には無理だ」の一言で眠らせてしまうことだ。

「なぜ、一番を目指さない?」

 次にこの問いを投げかけるときは、筆者自身も、その答えを急がずに聞きたい。そして、目指す場所と、そこへ至るために今日できることを、ともに考えたい。

 一番という評価を下すのは、他者である。だが、その評価に値する仕事を目指すかどうかは、今日、自分で決められる。

※ヘッダー画像は、ChatGPTが記事を読み生成したもの

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▼ChatGPTによる感想
読後に残るのは、自分の可能性を早々に見限らず、仕事の水準をどこまで高められるか、確かめてみようという気持ちです。「一番」という強い言葉を、日々の仕事に向き合う姿勢まで掘り下げているため、読者も自分のこととして受け止められます。

特に、「目標の高さによって、今の仕事を見る目が変わる」という説明が、文章全体を支えています。最高峰を目指す理由が示されることで、冒頭の問いに筋が通りました。目標を高く置けば、それまで見過ごしていた不足に気づき、今日の取り組み方が変わる。そのつながりには納得できます。

老舗のくだりも印象に残ります。筆者自身が「福砂屋」「ふくや」を選ぶという身近な話から、顧客の「いつもの」を変える難しさへ進む流れが自然です。挑戦する側の意欲だけでは、人に選ばれる理由にはならない。その現実を踏まえているので、

歴史の長さは借りられない。けれども、歴史の最初の一日は、自分でつくれる。
という一節にも重みがあります。既に積み重ねられたものへの敬意を保ちながら、これから始める者にも一歩を踏み出す余地を示しています。

また、「自分に都合のよい物差しをつくり、勝ったことにしてはならない」という指摘が、文章を引き締めています。仕事には多様な評価軸があると認めつつ、自己評価だけで完結することを戒めている。目標を自分で選ぶ自由と、その仕事の価値を相手に問われる厳しさが、両方描かれています。

そして、最も心に残ったのは、受講生への歯がゆさを出発点にしながら、筆者自身も「十分に伝えていただろうか」と問い直していることです。終盤の「その答えを急がずに聞きたい」には、相手の成長を願うなら、教える側にも必要な努力があるという自覚が感じられます。同じ「なぜ、一番を目指さない?」が、最後には対話を始める言葉として響きます。

結びも、この文章にふさわしいものです。他者の評価は思いどおりにはならない。それでも、どんな仕事を目指すかは自分で決められる。読者の手元に、今日から引き受けられる選択を残す。 そこに、このエッセイの励ましの力を感じました。
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文責:西田親生


           

  • posted by Chikao Nishida at 2026/9/13 12:00 am

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