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2016年4月の熊本地震から6年・・・

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 6年前の4月14日21時26分に、ドロドロという地鳴りと共に、ガタガタと大きな揺れがあった。これまでに経験したことのないような、突然の大きな揺れだったので、心臓が止まりそうになった。しかし、30年ほど前の台風19号と違い、その時は停電がなかったので、平静を保つことはできた。

 しかし、4月16日未明、余震はあったけれども、やや油断していたところに、ドカーンとかなり長い時間の強い揺れが熊本県を襲った。二階建ての家が折れるのではないかと、死の予感が脳裏を過るほどのもので、身動きできない時間が止まっていた。身の危険を感じ、自宅を出て、八景水谷公園へ避難。

 あれから6年。次第に県内外の被害状況が伝えられるたびに、思いの外、激震であったことが実感として湧いてきたのである。特に、益城町は壊滅状態であるとの情報に、身の毛がよだった。後日、益城町の様子を伺いに行ったが、アスファルト道路は波打ち、悪魔の爪で切り裂かれたように亀裂が無数に走っていた。

 下写真は、地震直後に撮影したものであるが、難攻不落と伝えられてきた熊本城の姿が、余りにも悲しく、苦しそうに見えて仕方がなかった。多くの櫓の石垣は崩壊し、神社社務所は潰され、拝殿も落ちていた。100年に一度と言われる大地震。今も、国内あちこちで地震の通知があるが、何よりも怖い災害である。

 それから災害への向き合う気持ちが変わったように思える。これまで2週間以上も水道やガスが止まったことがなかったので、これほどまでにライフラインが遮断されると、生きた心地がしないのである。スーパーもコンビニも水は全くなく、陳列棚には食料品もガラガラの状態であり、生活に困ったことを思い出す。

 教訓としては、大災害時に如何に日頃から災害対策を講じ、災害時には困った人たちを最優先して配慮できるかが、重要なものではなかろうかと。コロナ禍で世の中のリズムが崩れ、ロシア軍のウクライナ侵略により世界平和が潰されるという大変な時期だが、人災であるウクライナ侵略だけは、今日にでもストップして貰いたいものである。


▼熊本城遠景
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▼熊本城(大天守、小天守・宇土櫓)
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▼桜馬場 城彩苑より撮影した大天守
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▼戌亥櫓の石垣崩落
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▼近くの神社社務所が崩壊
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▼十八間櫓の石垣崩壊
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▼2015年12月8日撮影(右から戌亥櫓、宇土櫓、大天守、小天守)
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写真・文責:西田親生

                 

  • posted by Chikao Nishida at 2022/4/11 12:00 am

悪夢から、まる三年。

▼熊本地震前の熊本城大天守
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 熊本地震を振り返れば、あっと言う間の3年であった。当時は現実を一瞬間受け入れられなかった。周囲の家々の瓦はほとんど地面に叩きつけられ、壁や石垣は、地獄からの使者が降り立ち、爪で引っ掻いたような亀裂が無数に走っていた。

 水が出ない。ガスが出ない。電気は二十数年前の台風19号(熊本市内は3日間の停電)の経験を生かしたのか、思いの外、復旧は早かった。不幸中の幸いである。しかし、24時間営業のコンビニの弁当やパン、更には飲み物はほとんど売り切れ状態。物流が止まり、ライフラインが完全に遮断されてしまったのである。

 当時、京都や天草の友人から物資(食糧や飲料水)が届いた。ネット事業を本業としている当社にとっては、電気が生きていたので命を救われた。よって、熊本地震後に1日も途切れることになく取材を敢行し、ニュースを掲載し、且つ、クライアントの無事を確認することができた。

 しかしながら、益城町や熊本市中央区の知人友人の情報を聞けば、自宅や店舗、オフィスビルが全壊したという悲しい情報が入り、胸が痛くなった。幸運にも、筆者のオフィスや自宅は何とか耐えている。後々調べてみると、岩盤が硬い位置に建っており、東からの揺れや南からの揺れは、白川や竜田山などが緩衝的役割を果たしてくれたようだ。

 阪神淡路大震災や東日本大震災と比較すれば、絶命した人の数は少ないものの、精神的なショックは想定外に大きかった。そこで、再認識したことは、「水」の大切さ、有り難さである。水は友人が数十リットル運んでくれた。また、16日の地震直後は車で八景水谷湧水池へ避難し、目の前に湧き出る水に心から感謝したのだった。取材途中、熊本ホテルキャッスルのトイレもお借りすることができた。

 熊本地震は筆者にとってもすこぶる教訓となったが、水汲み場、炊き出し場やコンビニなどにおける心無い人たちの挙動、言動・・・人間の汚い本性を垣間見ることもあり、とても悲しい気持ちに陥ったことを思い出す。

 二度と遭遇したくはない大災害。しかし、これからも自然の脅威は遠慮なく、何度も何度も繰り返し襲ってくるのだろうと・・・。


2016年4月16日の記事

 熊本県民のシンボルでもあり、観光立県の要である熊本城。14日の地震で写真のようにシャチホコや瓦が壊れ、また、戌亥櫓の石垣では二カ所が崩壊した。その他、旧細川刑部邸そばの石垣や飯田丸五階櫓などの石垣も被害を受け、次から次へとボロボロに崩れていった。

 写真下は、4月15日に桜の馬場 城彩苑より撮影したもの。無残な姿を目の当たりにして、かなり凹んでしまった。

 ちなみに、本日深夜にこの記事をアップする準備をしていた矢先、突然マグニチュード7.3という、内陸部では最大級の地震が発生し、この記事をアップすることもなく、停電、断水にも見舞われ、やっとのこと、今、記事を掲載することができるようになった。

 しかし、今回の地震は「2016熊本地震」を命名されていはいるものの、本日深夜の想定外の大きな地震で、エリアも九州全域に拡大し、犠牲者がどんどん増えているのが現状。何とも言えない気持ちで、この記事をアップしなければならない。

 叶うことなら、これ以上、地震がおとなしくなって貰いたいのだが・・・。

▼2016年4月15日に桜の馬場 城彩苑から撮影したもの
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▼在りし日の熊本城戌亥櫓(黄色○部分が崩壊)
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▼崩壊した戌亥櫓の石垣(2016年4月15日撮影)※16日に更に大きく崩壊
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▼熊本地震関連の過去記事

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  • posted by Chikao Nishida at 2019/4/14 05:27 am

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