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専門バカにはなるな!

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 日本人は兎に角、狭い領域にて専門家を名乗り、プロとして一つの仕事を貫いている人が圧倒的に多い。すこぶる素晴らしいことだが、反面、何故か物足りなさを感じてしまう。

 随分昔の話だが、ゴルフ界の帝王と呼ばれたジャック・ニクラスの分厚い壁が存在し、当時、万年2位と揶揄されたプロゴルファーがいた。

 記憶に定かではないが、彼はプロゴルファーのみならず、片や弁護士としても仕事をしていたので、今流行りの「二刀流」そのものであった。

 日本は昔ながらの「徒弟制度」が現在も存在しているように、匠となるためには師弟関係を結び、守破離の精神を尊び、更に上の匠を目指す姿勢を重んじる慣わしの様なものがある。それが悪いとは言わないが、結局、終身、狭い領域に身を置くことを覚悟しなければならない。

 ところが、欧米では元々「二刀流」というのは珍しいものではなかった。スポーツ界においても、夏冬に全く異なるスポーツで活躍するプロやアマチュアは数知れず。ジャック・ニクラスでさえも、学生時代はアメフト選手として活躍している。

 器用な日本人であるのに、なぜ「二刀流」ではいけないのかと疑問に思ったことがあった。今では、野球界の大谷翔平の劇的な活躍によって、ベーブ・ルースを凌ぐ怪物として世界的に話題を集めているが、それこそが本来の姿ではないかと思う。

 プロ野球の卵養成の場である高校野球にしても、四番&ピッチャーが圧倒的に多い。大谷翔平の「二刀流」が話題になっているが、高校野球などでは「二刀流」は当たり前となっている。

 日本では「先生」という呼称の職業を、高尚な存在として無意識の内にインプットされている。しかし、いろんな組織において、常に師弟関係のピラミッド構造を作り、上下関係をもたらす温床にもなっている。

 細分化し専門化することで、プロという称号を得て、世に羽ばたいていることになる。しかし、仕事は仕事で構わないが、高尚な存在という観点から、そのプロたちが奥行きのある人格者ばかりであるかとなれば、そうとも言えない。

 専門バカと言われる人の思考回路は非常に緻密だが、範囲は狭い。よって、領域外のことには門外漢と豪語する人がいるからこそ、専門バカという言葉が生まれたのだろうと。

 例えば、高尚なる職業のプロであれば、一般的には常識的な言動や所作などもそれに含まれると考えるのが一般庶民の視点であり、敬愛の念を持つところでもある。ところが、専門バカと言われる人の一部の話だが、一瞬の所作にて腰を抜かしたり、爆弾発言に耳を疑うこともしばしば。

 このような視野狭窄の世界を作り出してしまった要因は何なのか。畢竟、縦社会、差別社会が当たり前の日本だからこその歴史的遺物になっているに違いない。

 筆者は芸能界には全く興味はない。ただ、二、三人だけ憧れた人物がいた。それは、司会などで活躍した大橋巨泉である。釣りもゴルフも麻雀も全てプロ級であり、英語も流暢に話せるグローバルスタンダードな人物。筆者にとっては、「二刀流」という言葉では片付けられないほど、影響を受ける存在であった。

 当時、11PMという深夜番組(初期の頃)を子供の筆者は見ることは難しかったが、今でも、釣りの服部名人などはよく覚えている。オーストラリア近海の釣りなどでは、テレビ画面に頭を突っ込んで見入っていたほどだ。

 その時代に活躍した司会者たちは、兎に角、趣味の領域が広く、器用であったように思えてならない。専門バカという次元とは全く異なる次元で、世の中を見ていた大橋巨泉や藤本義一には畏怖の念さえ抱いていた。

 蛇足ながら、新聞社に勤めていた頃、1984年にMacintosh(Apple Inc.)を購入。オフィスに持ち込んだMacintosh(今のMacのご先祖)に、サンダースキャンというプリンターヘッドを装着し、藤本義一と筆者の合成写真をスキャンし、Mac Paintの画面に取り込んで、再びプリンターでA4用紙に出力などして遊んでいた。

 話はかなり飛んでしまった。しかし、以上は専門バカを揶揄しているものではないので、誤解なきよう願いたい。勿論、専門バカは必要不可欠なる存在だが、一般庶民の筆者としては、それに+αとして、もう少し幅広く、奥深い職業観を持ちたいのである。

 以前の記事にも書いた通り、日本は「職種の定義」や「仕事の定義」が古臭く、狭すぎると日頃から感じている。それが、多くの「二刀流」の能力を持つ若き人材育成を阻害しているように思えてならない。

 一つのことを全うすることは非常に重要である。しかし、短い人生の中で、何故それが唯一の選択肢というのは理解に苦しむばかりである。遊びのないステアリングでは、楽しい人生のツーリングなどできるはずがないからだ。
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文責:西田親生


               

  • posted by Chikao Nishida at 2023/6/2 12:00 am

「人様に迷惑を掛けない」が鉄則・・・

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 生き人形ではなかろうかと思えるような「赤子」の人形が目の前に。聞けば、「瑞観作」という。はち切れんばかしの美しい肌の質感。圧巻は、目線の先の母親の姿さえもが想像できるような、愛くるしい「眼」である。

 人は、このように乳飲児で免疫力を無くした頃から、全てに無防備でもあり、最も脆弱な存在となる。しかし、言葉を覚え、喋り出し、知恵が付いてくる頃から「人格」というものがじわじわと備わってくる。

 よって、「人格形成」にとって、この乳飲児から離乳、そして免疫力を無くした段階が一番重要なのではなかろうかと思える。しかし、大人になるにつれて、無力なる可愛い「赤子」が、それが極一部の人間だとしても、何故に、妙な「輩」に豹変するのだろうか。

 ちゃんと挨拶をしていた子供が、礼節を無視した行動をとっている。虫も殺さぬ優しい子供が、人を殺めて刑務所に収監される。読書好きな大人しい子供が、一般道を爆走している。きっちりとルールを守っていた子供が、公道で酔い潰れている。

 随分昔のことを遡って、記憶を紐解いてみた。幼稚園当時の子供の頃の話だが、既に、上に立ちたがるボス的存在も、可愛子ぶりっ子する子供も、人の話など聞かず喋りまくる子供も、嘘つきやずる賢い子供など、所謂、十人十色であった。

 「子は親の背中を見て育つ」と言われるように、既に、幼少期において、個々人の人生におけるベクトルがある程度定まっているのだろうと推察するのである。更に、環境の変化などで色んなバリエーションの「人格」が確立して行くのだろうと。

 勿論、幼少期における育った環境も家族の躾なども大きな影響があると考えられるが、人間(動物)の本能として備わっている「群れ」や「差別」、「優劣」、「虚栄と自慢」など、大人になればなるほど外に向けて放出するようになる。

 異端児を悪くは思わない。また、悪いとも言いたくはない。ただ、異端児がクールな存在だと自負したいのであれば、人間社会のルールを守り、じっくりと演技されても宜しかろうと。ルールとは、「人様に迷惑を掛けない」が大原則であることを認識すべきである。

 実にシンプルだが、「人様に迷惑を掛けない」が理解できるのであれば、誰しも法により裁かれたり、恨まれたり、面倒なことになるはずはない。しかし、それが理解できない人は、老人になっても醜態暴走が止むことはなく、情けないが、愚かなる人間のまま最期を迎えることになる。


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文責:西田親生

             

  • posted by Chikao Nishida at 2021/4/25 12:00 am

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