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人生・・雨のち曇り、時々晴れ。

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 人生、長く遣ってくると甘い物も、苦い物も、辛い物、酸っぱい物も、沢山経験を重ねてくる。よって、人生とは、1冊の教科書に収まる学習用教科書とは異なり、とてつもなく難しい学問として捉えることもできる。・・・それが、人間学というものである。

 人は生まれ育つ瞬間から、親を選ぶこともなく、多種多様な環境の中で、好条件だけを取捨選択できる権利権限もない。気付けば、いつの間にか自分が現実世界に存在し、脈を打ちはじめているのだ。

 同じ幼児教育、義務教育、高等教育を受けて、世間という荒波に船出をしても、日々平穏無事な生活を営む人も居れば、日々波風ばかりが強い生活に立ち向かっている人の姿もある。所謂、「十人十色」である。

 社会人となり、責任と義務を果さねばならぬ大人になったとしても、その人の生き方、考え方で、将来の方向性が大きく変わってしまう。例えば、視野狭く、思慮浅ければ、不惑の歳を過ぎたとしても、学生時代からほとんど進化することもなく、闘う必要のないところで、肩に力を入れすぎて闘っている人も居れば、視野広く、思慮深く、人様の為にゆとりを持って社会貢献している人も居る。

 個人的な経験学を通してもの申せば、先ず、学生時代の自分の取り巻きにより、善きにつけ悪しきにつけ、その友人から感化されることが多々ある。それを安易に「運」、「育ち」、「神の思し召し」と言って良いのだろうか?・・・その偶発性を強調するが余り(単純に他力本願でしかない)、自分自身の判断や行動を是認するが為に、都合良く「神」という存在に掏り替えているに過ぎない。

 「神」が存在しているとしても、その存在は、森羅万象に対する自然の摂理であり、個々人のあーでもない、こーでもないを、一つ一つチェック、コントロールするのは「神」の業ではなく、そう思い込むのは単純馬鹿過ぎる。だから、「神」に対して懺悔や感謝の気持ちを告げるのは構わないが、そこで「神頼み」のようにお願いしては罰があたるという気がしてならない。

 眼前に起こる、予期もしない経緯や結果。それを「神の思し召し」による当然の経緯や結果であるとこじつけるのは、狡賢い人間の、都合の良い解釈の仕方である。よって、予期もしない経緯や結果については、第三者への責任追及ばかりに傾注するのではなく、自己分析と自己反省をしなければ、幾度も同じ繰り返しをしてしまうことになる。それが、中途半端に知恵を授かった人間の浅はかさなのだ。

 「念ずれば叶う」・・・確かに心に希望や目標を高く持てば、自分が描いた何らかの形にはなって行く。それは「神」の存在ではなく、刻み込まれた「潜在意識」による初動、経緯、結果である訳だ。そこで、森羅万象を司る「神」に対して確と報告を行い、深い感謝の意を表せば良いのである。

 何かトラブルが生じると、「神への冒涜だ!」を青筋立てて喚く人も居るが、如何なものかと。それは「神への冒涜」ではなく、自分のプライドが傷ついた瞬間の、軽々しい言葉なのだ。

 人生、雨のち曇り、時々晴れ。・・・まあ想定外に浮き沈みはあるものの、自然体で過ごす事が、精神衛生上すこぶる良い事であり、妙な輩から感化されずに、筋を通して波風立てずに、見識高く人生歩めば、きっと素敵なものになるに違いない。

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  • posted by Chikao Nishida at 2014/8/5 10:35 am

現実と妄想の狭間で・・・

▼イメージ写真:バランスの良い料理は配置も彩りも美しい

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 色んな事を夢見て、妄想を過度に巡らす人々が居る。しかし、それが如何に現実と懸け離れていたとしても、思い込みや自己過信により、何でもかんでも可能であるかのような錯覚に陥ってしまうのである。更に、そのプロセスの中で、時には冷静さを欠いたり、時には強い欲望が絡んでいたりすると、結果的に取り返しがつかず、厄介な事となってしまうのだ。

 筆者は常に冷静沈着を軸とし、根っから現実主義を貫く類いの人間なので、この妄想からは縁遠く、正直申し上げて、かなり抵抗もある。よって、実感として理解不能なところが多々ある訳だが・・・ふと最近、気になることがあったので調べてみることにした。

 ものの本によれば、妄想が異常なまでに酷くなると、これは間違いなく病的なものであり、本人はその妄想に対する病識は全くないと記述してある。また、妄想は内容によっては、誇大妄想、被害妄想、宗教妄想など多種多様なものが存在していると言う。

 普段からよく耳にする誇大妄想とは、現実逃避を行い、自分に対する過大評価に繋がって行くが、その原因としては自己評価と他者評価のバランスの悪さが起因していると言われているようだ。対人関係において、社会的に立派な方々を見下したり、常に上から目線で人を見るという悪癖を持っているように思えてならない。

 被害妄想は、神経過敏な人に多いが、他者からの好意的な注意やアドバイスであったはずのものが、その意に反して、極めて犯罪的な叱責、干渉を受けていると思い込んでしまうようだ。

 宗教妄想とは、自分自身に何か超次元的で特殊な能力があると信じ込んだり、霊界から特別な暗示を受けあらゆる病気を癒す力や物を変えられる力を授けられたなど、内容が極めて非日常的且つ訂正不能な強固な確信があることが特徴となっているとある。

 筆者自身は、どちらかと言えば超ポジティブに生まれ育って来た人間だ。・・・人並みに夢や希望は有るとしても、妄想癖は皆無に等しい。勿論、精神医療の専門家では無いけれども、五十数年生きてきた中での経験学的な見地でその妄想を分析してみると、過去における不慮の事故、挫折、劣等感、恨み、辛み、妬みなどが輻湊し、いつの間にか見えない非現実世界の殻に閉じ込められてしまった状態なのではないかと推察する。

 人は心に傷を持ち、心の拠り所を失うと、現実逃避したり、妄想に駆られるのは理解できない訳ではない。よって、不安に満ちた生活環境から脱却するために、先ず、心の拠り所を見い出し、平穏無事な環境下に切り替え、じっくりと自らの挙動、言動などを冷静に振り返る事も大切なのだろうと考える次第。

 私事で大変申し訳ないけれども、この超ポジティブな人間が、今年3月の父の急死に直面し、生まれて初めて強烈に凹んでしまった時期があった。食欲も失せ、周囲の心無い一部の人間の言動により、我が人生観が揺らぐような経験をしたのだった。その時、温かい心をもって接してくれた方々のお陰で、鉛のように重くなっていた全ての臓器が、完全復活できたのだった。・・・実に有り難かった。・・・感謝に堪えない。

 心の拠り所・・・それが有る、無しでは、人生が全く異なるベクトルへと導かれて行くのだろうと・・・万病に効く、心の拠り所。・・・その重要性を深く深く認識した筆者であった。


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  • posted by Chikao Nishida at 2013/10/30 03:10 am

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