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「悪代官」にも、啓蟄(けいちつ)あり。

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 某企業における代表取締役をはじめとする役員ぐるみのパワハラ、セクハラ、機密情報漏洩、契約不履行などの隠蔽工作絶頂期から2年ほどが経つ。

 被害者たちは、全てが公となり解決しなければ、一生心の傷として残るものの、加害者たちは、時が経てば、何食わぬ顔して、再犯に至る可能性が高い。季節柄、非常に危険な時期であると・・・。

 パワハラ絶好調の時期は、2019年7月から2020年1月。居た堪れなくなった被害者の一人が、社内で被害届を出したのだが、結局は、役員らに押さえ込まれて、何もなかったように片付けられてしまった。

 それを外部から厳しく突かれると、瞬く間に、隠蔽工作へと走り、外部遮断を敢行し、これもまた、何もなかったかのように装ったのである。

 プロパガンダを社内で行い、「敵は外にあり」と社員の目を逸らし、自らのパワハラ、セクハラ、機密情報漏洩などの蛮行を、「知らぬ存ぜぬ」で切り抜けようとした悪代官たち。しかし、その偽装工作は完全に失敗に終わった。

 主犯格は、上述の通り、代表者である。そこで、虚言を発し、欺罔をもって、周囲の役員たちに虚偽情報を吹聴し、保身に走った代表者。因みに、過去にも二度もパワハラにて訴えられたという経歴があり、元々危険人物であることは間違いない。

 それから、この1年半ほどは、土の中に潜った状態にて、静かなる素振りをしているようだが、そろそろ季節も啓蟄。この悪代官も土中から這い上がって、再び、パワハラの助走を開始するのではないかと、危惧しているところだ。

 明智光秀の「ときは今 あめが下しる 五月かな」という有名な詩があるが、その悪代官は「ときは今 われが下突く 弥生かな」と、じわじわと、小さな難癖から始まり、部下に対する「責任転嫁」の悪巧みなど、危険な臭いが漂ってくる。

 被害者を含め、少しでも異変が生じれば、堂々とパワハラやセクハラ、嫌がらせを告発しなければならない。その悪代官は、上述の通り、過去において三度パワハラ事件を起こしているので、四度目に手を染めれば、問答無用、解任となるに違いない。勿論、悪代官を庇った役員も厳しい処遇となるはずだ。

 本来ならば、生まれ育ちや性格もさることながら、病的なものからのパワハラ、セクハラなので、明日にでも、精神科医の診断にて治療を受けた方が賢明であるのだが・・・。本人は、酒による脳内麻痺をすこぶる愛しているので、常に、精神的に危険な状態ではないかと思われる。


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写真・文責:西田親生

                         

  • posted by Chikao Nishida at 2022/2/21 12:00 am

自己満足ばかりを求め、墓穴を掘る。

▼記事と写真は関係ありません

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 最近は、刃物を使った殺傷事件が横行し、それも、一度そのような事件が発生すると「これだ!」と思って、連鎖的に犯罪が急増する傾向があるようだ。何かに対する苛立ちや、自暴自棄となり孤立した挙句の脳内爆発。我々常人としては、理解に苦しむところである。

 このような蛮行に至る要因は様々であるとは思いつつ、極論であるけれども、幼少期の育ちや躾、教育、更には両親や祖父母からの愛情の欠落ではないかと推察する次第。筆者自身も幼少期を思い起こせば、現在でも理解に苦しむような周囲の言動が記憶に刻まれている。

 ただ、家庭的には「悪さをすれば、厳罰に処す!」ような厳しい家庭であったために、社会悪への一線を越えることを考えたこともなく、実際行動に移したこともなかった。しかし、自分の心の中では何度か水爆級の憤りを覚えたこともあり、社会人となり、当時の是非を考えるに至っている。

 現代社会は「いじめ」のオンパレードのような醜い社会。しかしながら、「いじめ」も昔から存在しているもので、それを社会悪として取り上げるようになったのは、この三十数年ほど前だったと記憶する。筆者は「いじめ」の対象者になりにくい性格だったけれども、一度だけその対象になったことがあった。

 それは、同級生や幼友達との歪な関係ではなく、担任教師Kからのダイレクト、且つ、公然とした「いじめ」に遭遇したのであった。その教師Kが、「君の1歳年下の従兄弟は勤勉家で人の言うことを良く聞くが、君は根性も皮肉れ腐っているし、どうしようもない!」が口癖だった。

 授業中に筆者の後ろに近づき、「これは三年苔というんだよ。首周りが汚れまくっている!」と、クラス中に聞こえるような声で、筆者の襟を指差して嘲笑していた教師K。今でも、その人物の言動を許すことはないが、逆に、「可哀想な人物」の一人として記憶の箱に封印している。

 このように「いじめ」の最先端にて暴言を放っている教師Kもいたのだから、子供の筆者としては対抗策を講じることは、我慢以外できなかった。当時は、手のひらビンタや細い棒(ネブチと言っていた)の愛の鞭など日常茶飯事の時代。或る高校の柔道教師が2度も生徒の鼓膜を破ったという事件も起きた。勿論、その柔道教師は左遷であるが辞職には至らなかった。

 また、最近「私は負けると泣きじゃくるほど悔しいんです!」というコメントを頂いたことがあった。これは、近年で話題にもなっている「アンガーマネジメント」に通ずるものであり、自分の心をコントロールできない不器用さが、そのまま激昂となって現れるものではないかと思われる。

 プライドの高い人ほど、この激昂はエベレスト山のブリザードのように激しい。「負けて泣くより、勝って泣け!」または「負けて泣きじゃくるより、超えて泣け!」と物申したい。人生は終焉まで「学習」である。発展途上の若き成人は、これから幾重ものエベレストのような、気が遠くなるような山々を縦走しなければならない。

 一昨年だったか、「私は瞬間湯沸かし器のようにキレるタイプです!」と言い放った某企業の社長がいた。このタイプは、負けず嫌いもさることながら、根幹の部分は、自信喪失(社内降格を2度経験)及び父親からのDV、そして家庭内離婚が全てを物語っているように思えてならない。つまり、自ら信頼できる対象者がいないのである。

 自信過剰の人間は、或る時、とんでもない失態を曝け出し、想定外の降格処分なり解雇なりに直面する。自分以外の人々を全て否定し、我こそがお山の大将と思い込んでいるのである。我が身勝手持論が理想であり、他のサジェッションなどには耳を傾けず、誤ったベクトルにて暴走、爆走を繰り返す。

 更には、視野狭窄という資質も要因の一つであり、実務書ばかりに傾倒しているあまり、「私は文豪なるものの本を読んだことがありません!」と豪語する。だったら、ハリセンボンのような毎日を送るのは当然だが、時折、石坂洋次郎の純愛小説でも読んでみれば、凡人の心の動きが分かるというものだ。

 何についても「偏り過ぎ」は、人生をネガティブな方向へと引き摺り降ろす危険性が無きにしも非ず。世の中の鳥瞰図をしっかりとマクロで捉え、更に、自分に欠落している分野なりジャンルなりを、勇気を持ってこっそりミクロ的に垣間見るのも、視野狭窄解消の秘策であると考えられる。

 テレビの向こう側では「◯○評論家」という人物が、滑舌良くバルカン砲のように喋っている。自分では妙な人物であるとは思っていないだろうが、論旨を分析すると、どこかに「稚拙」さが沢山転がっている。以前、公金を無駄遣いした知事さんあたりも、同様であると受け止めている次第。

 何はともあれ、自分自身の背中を客観視できない人たちは、知らぬところで、数知れずの「赤恥」をかいている。今回の日本大学の大騒動も然り。2歩も、3歩も引いてみれば、「稚拙な子供集団」であると、世の中に映っているに違いない。関わっている人間は全てが「守銭奴」であり、教育分野には不似合いな人物であった訳だ。

 欲目で見れば、処世術に長けており、差別化の軍師であったのかも知れないが、自分自身と近しい周囲のみの「幸」を追求しては、そのまた周囲は迷惑千万であるばかり。誰しもその環境下において「幸」を感じることはない。ただ「惰性」で現在に至っているだけの話である。よって、「惰性」を黙認してきたところが、お山の大将への忖度重視の「稚拙な子供集団」である証となる。

 前述の「瞬間湯沸かし器のような人間」は、自信過剰ではあるが、その以前の「忖度主義」の社内構造にもあたふたしていた。自分が世話になった人物を表では忖度し、裏では凌駕のために「○○ボンクラ」の集団を指揮してきた暴君だと、毎日のように誹謗中傷を繰り返し投げ掛けた。

 以前、「猿の惑星のような社内」と記事にて書き込んだことがあったが、まさしく、現代社会の見えざる会社の裏側。ほとんどと言っても過言ではないほど、「猿の惑星のような企業」がわんさと存在している。勿論、先日の自民党総裁選の経緯を振り返れば「猿の惑星のような人物」も数人暗躍していたのも記憶に新しいところである。

 畢竟、自分の心を如何にコントロールできるかが「鍵」となるが、筆者も含めて、そのコントロールは容易いものではない。だから、失態もあり、失言もある訳だ。まあ、ポジティブに捉えれば、「人間らしくていいんじゃない!?」と言いたいけれども、世の中の人たちを不幸のどん底に貶める行為だけは、絶対に無縁な人生であるべき。

 自己満足ばかりを求め、他人を巻き込み、あちこちでヘドロを撒き散らかしては、世のため人のためになりはしない。


▼美しい花を愛でて、心に安寧を!
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写真・文責:西田親生

                           

  • posted by Chikao Nishida at 2021/12/13 12:00 am

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