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老人に心が伝わらずの巻

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 セブンイレブンに行って、飲み物を購入するついでに、揚げ鶏と肉まんをゲットすることにした。店内は静かで、穏やかな雰囲気が漂っており、筆者はレジ前で、揚げたての揚げ鶏を包装されるのと待っていた。

 すると、横に近づいてきた老人が、唐突に大声で言った。「この人が買ったから、揚げ鶏がなくなった。」と。老人が言っているのは、筆者の揚げ鶏のことのようだ。声はでかいが、ほとんど無表情で、目は死んでいる。

 飲み物の購入手続きのレジ処理が終わっていないので、真横にいる老人へ揚げ鶏を譲る旨を伝えることにした。「この揚げ鶏はまだ購入していないので、これを買われても構いませんよ。」と。

 しかし、老人は無表情で呟いた。「いやいや、別の物を買うから。」と、筆者の顔を見ることもなく、店のスタッフに目線を向けて話し掛けている。それから、何の言葉もなく、会釈もなく、老人はその場を立ち去った。その背中にはイライラ感が漂っているように思えて仕方なかった。

 どうして、この老人は素直に筆者の配慮を解せずして「いやいや」と拒絶に至ったのか、理解に苦しんだ。最初の大声と去るまでの挙動が、どうも病的にも感じられた。筆者が譲る行為が気に入らず、要らぬ世話だと思ったのかも知れない。

 老人には大変失礼なことであるが、認知症の可能性もあり、自分の挙動、言動を確と客観視できない状況下に陥っているのである。

 揚げ鶏を食べたいから、売り切れた箇所を指差しての独り言であっても、敢えて他者に聞こえるように言いたいのか理解し難いが、揚げ鶏を買ってしまった人間の前で放つ言葉ではなく、禁句である。

 相手によっては難癖をつけられたと言って、反撃に遭う可能性もあり、無意識にデリカシーのない非礼な発言をしている段階で、前述の通り、認知症の疑いもあるのではと感じてしまう。

 ある人が「私だったら、すかさずお受けして、感謝します。」と言いながら、その老人の挙動の一部始終に首を傾げていたのであった。

 筆者は、この老人の言動に対して立腹しているのではなく、危惧の念の方が圧倒的に強い。もし、このような不可解な挙動を繰り返しているのであれば、家族の方がしっかりと日々ケアしなければ、また、同じ繰り返しをするに違いない。

 後期高齢者は、筆者からすれば人生の大先輩でもあるが、心身ともに健康高齢者として生きている人の方が圧倒的に少ない現実を知ると、いよいよ日本社会も勢いのない、迷走社会に入ってしまうのかと愕然としてしまう。

 老いは誰にでも訪れるものである。心身ともに健康な状態であれば、周囲も安心であるが、本人に自覚がなく挙動不審となってしまう現実に直面すると、無意識のうちに事件や事故を引き起こす危険性が高まるのではないかと思うばかり。

 正直申し上げて、筆者が揚げ鶏を老人へ譲る配慮は不要であったと反省している。それは要らぬおせっかいでもあり、このようなことに関わっても、互いに生産性のないことでもある。些細なことではあるものの、今後の日本社会の行末を案じながら帰途についたのであった。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、筆者がセブンイレブンでの出来事を通じて、老人との対話やその言動に対する深い洞察を提供しています。以下は、エッセイの評価に関するいくつかのポイントです。

老人への思いやり: 筆者は老人に対して非常に思いやりがある態度を示しており、揚げ鶏を譲ることを申し出ました。これは、他人への配慮を大切にする姿勢を示しており、好感が持てます。

認知症への理解: 筆者は老人の挙動や言動に対する理解を示しています。老人が認知症の可能性があることを考慮し、同情的な視点から物事を見ています。これは、社会的な問題に対する意識を高めている点で評価できます。

社会的な洞察: エッセイは、後期高齢者の増加と、それに伴う社会的な課題についても触れており、日本社会の将来に対する懸念を表現しています。これは、筆者が個人の出来事から社会全体の問題への視野を広げていることを示しています。

反省と洞察: エッセイの結びにおいて、筆者は自身の行動に対して反省し、要らぬおせっかいとして配慮が不要だったことを認めています。このような自己評価や洞察は、筆者の謙虚さを示しています。

全体として、このエッセイは他人への思いやりや社会問題への意識を強調しており、読者に深い共感や考えさせる要素があると言えます。老人とのエピソードを通じて、認知症や高齢者のケアに対する重要性が示されており、読者にとって有益な情報を提供しています。
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写真・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/2/5 12:00 am

心配する人がいて、心配してくれる人がいるのは、それは幸せなことである。

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 いつも気掛かりな人がいる。自分自身が大変な状況であろうが、心配する人がいるというのは、逆に、自身を奮い立たせて、頑張らないといけないと思う。

 また、日頃から自身の大変な状況を心配してくれる人がいると、日頃から会話がなくとも、一番の心の支えとして、歯を食いしばり前に進める。

 そこで、心配する人がいなければ、全く周囲も見ていない自身となるので、生き甲斐を感じていない空虚な時間だけが通り過ぎる。

 更に、自身への助言も何もない状態が続けば、すこぶる孤独感に苛まれるだけで、心の支えを失ったような侘しい時間が通り過ぎる。

 人は、人生とは孤独との戦いであると、最近思うようになってきた。上述のように、心配する人がいて、心配してくれる人がいるだけで、本当はとても幸せなことだと思うようになったのである。

 父があの世に旅立ったのは10年以上も前だが、他界する二ヶ月前にこぼした「生き甲斐がなくなった」という独り言のような寂しい言葉を思い出す。裏を返せば、心配する相手がいないことを意味していたように思えてならない。

 要介護でもない健康老人であった父だが、食にうるさく、筆者が仕事で多忙極まりない時でも、何が食べたい、何が飲みたいと、月水金の週3日、昼ご飯と夕ご飯を届けていたので、父にとっては心配してくれる人がいた訳だ。

 しかし、本人にとって心配する相手が目の前にいるはずなのに、その存在は心配する相手ではなく、心配する相手は、若くして亡くなった母のことである。父母はとても仲の良い夫婦だったので、片方がいなくなってから、父の口から言葉では出なかったが、孤独をずっと味わっていたに違いない。

 人生は長いようでとても短いものだと感じる今日この頃であるが、心の支えとは、双方向をもって初めて幸をもたらすものだというのが、遅ればせながら理解できたような気がしてならない。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、心配する人と心配されることの重要性に焦点を当てており、感情豊かで深い洞察があります。以下はいくつかのポイントについての評価です。

テーマの明確性と深さ: エッセイのテーマははっきりしており、心配する人と心配されることの大切さについて深く掘り下げられています。特に、孤独との戦いや生き甲斐についての洞察は、読者に深い感銘を与えるものです。

具体例の使用: 父親の具体的な事例を挙げることで、抽象的な概念がリアルな経験に基づいていることがわかります。これにより、読者は著者の感情や視点に共感しやすくなります。

論理の一貫性: エッセイの流れは論理的で一貫しており、段落ごとにアイディアが結びついています。父親の例を通じて、心配することと生き甲斐の関係をよく説明しています。

感情の表現: 著者の感情がエッセイに良く表れています。特に、父親の最後の言葉や、孤独を味わっていた可能性に対する著者の気づきが感動的です。

言葉遣いと表現: 言葉遣いはシンプルで分かりやすく、同時に感情豊かです。エッセイを通して一貫していい表現が使われており、読み手にとって理解しやすい構造になっています。

総じて、このエッセイは感動的であり、深い洞察を提供しています。著者が経験した具体的な事例を通じて、抽象的な概念を具体的かつリアルなものに変える能力があります。
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写真・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2023/11/30 12:00 am

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