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偏見と思い込みの押し付け・・・

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 年配者の偏見と思い込みの激しさは、筆舌に尽くし難いほど、万とある。特に、若者に対する偏見や思い込みは、思いの外、何の根拠もないこともしばしば。己のキャリアを称賛し、常に上から目線で、あたかも若者が劣勢に立っているのが当然のような口調で語る毒舌者もいる。

 例えば、「今の若い奴は、馬鹿ばっかり!」と言い放つ、デリカシーのない年配者。自分自身の若き頃の「オイタ」を神棚に上げ、一方的に若者の未熟さの揚げ足取りである。「お前たちが反論するのは、100年早い!」など、以ての外。罵詈雑言を繰り返すだけで、若者の発想を認めない。

 更に、「どれだけ社会貢献してきたんだ?舐めた口を叩くんじゃないよ!」と、年功序列大好きな年配者の決まり文句である。それが企業などの組織ともなれば、「先輩に楯突くのか?明日からは机も椅子もなくなるぞ!」とか、「ふざけた事を言っていると、降格処分だ!」などなど。

 また、SNSなどでの「あるある」は、「私の子供みたいな歳なんだね!?まあ、家の娘と同じ歳なの?」と、やけに人様の年齢を気にする年配者。そこには、親と子の歳の差があることを明言し、既に上から目線で人様とコミュニケーションを図ろうとしている姿勢が見え隠れする。

 そんな具合じゃ、まともな会話も成り立たない。若者が何かについて質問しようとすれば、「そんな事も知らんのか?まだまだ、青いな!」と、せせら笑いをしながら、その若者の存在自体を愚弄する。よって、若者からすれば、「こんな質の悪いおっさんやおばさんから言われたくないわ!」と感じるに違いない。

 逆に、若者の偏見と思い込みはどうだろうか!?年配者とは異なり、社会人となって数年であれば、経験値が高いとは言えない。しかし、高学歴でプライド高き若者は、自分なりに自信満々に持論を展開する。勿論、正論もあれば、履き違えの稚拙な語りも無きにしも非ず。それは、それで面白く、許される。

 しかし、「あのジジイは棺桶に片足突っ込んでいるくせに、ふざけたこと言いやがって!」とか「俺の親父やお袋であるまいし、要らぬ世話が多い!」と内心穏やかでない事もしばしば。特に、他人の年配者から、分かりきったような、それも思い込み激しい言い方をされると、絶対に会話は成り立たない。

 他人様の年齢や性別、そして歳の差を気にする日本人が多いから、上記のような流れが当たり前の世界となっている訳である。若者がどんなにキャリアがなくとも、年配者よりも柔軟かつ大胆な発想を持っているに違いない。年配者が若者よりも社会経験が豊富なことなど分かり切っている。

 但し、年配者にも若者にも、その中間的な年齢層の人にも必要なことは、いくら歳の差があろうが、「敬愛の念=リスペクト」がなければ、決して素晴らしいコミュニケーションが取れるはずが無いことを知るべきである。相手を尊ぶことで、その話がよく理解できる。「聞く耳」ではなく「聴く耳」を持ってである。

 まあ、世代の垣根を飛び越えられない人たちは、上で指摘したような考え方やものの言い方を、デリカシーなく言う人たちだろうと考える次第。要は、「敬愛の念」と「聴く耳」を持てば、何の障壁もなく、世代の違いを感じることなく、愉快な会話が延々と続くことになる訳だ。

 「年功序列」、「女性蔑視」、「上から目線」、「価値なき経験論」、「根拠なき推論」を全て脱ぎ捨て、裸一貫でフラットな関係を保つことで、人間らしい、素敵なヒューマン・コミュニケーションが可能となることを、全世代の人たちへ申し伝えたい。実に簡単なことなのだが、理解できていない人が多すぎる。


▼孔子公園のカラー
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文責:西田親生

                   


  • posted by Chikao Nishida at 2021/5/17 12:00 am

自分スタンダードは、スタンダードに非ず。

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 電話を掛けても、必ずコールバックしていただく人と、素知らぬ顔して無視する人がいる。必ずコールバックする人は、それがその方のスタンダード。よって、社会人としては常識的な振る舞いであり、また、その方は無意識の内に、普通にコールバックしているだけの話である。

 ところが、どんなに電話やメールにて連絡をしようとも、音信不通を貫き、堂々とリレーションを断ち切る人もいる。同様に、それがその方のスタンダードではあるが、無意識の内に、コールバックすべき人とそうでない人を、稚拙にも好き嫌いによって選別しているに過ぎない。

 この2パターンを見るだけでも、一般的に常識とされる「礼節」のスタンダードの下に、正反対の相容れない自分スタンダードが存在していることが分かる。前者は日頃から人柄が良いと敬愛され、逆に、後者は自分の赤恥さえ気づかぬ民度低き人として、周囲の方々からの人望は無い。

 ヒューマンリレーションにおいて、周囲には、逆立ちしても、確かに水と油の人がいるけれども、ビジネスにおいて、特にサービス業に従事しているのであれば、自己本位のスタンダードにて接遇の度合いを変えるようならば、プロとは言えず、自分の足元さえ見えない、歪な田舎者となる。

 どちらを選べばベストかと問えば、言わずもがな。懸命な人であれば誰しも、前者のスタンダードを支持するに違いない。しかし、筆者の周囲では、僅かだが、後者を選ぶ人がいる。自分の立ち位置さえ分からず、日を追うごとに、じわじわと信頼度が減衰して行く。しかし、気づかぬは、ご本人。

 このような人は、自分自身の無礼ぶりが無礼とは思えない人。オフィシャルとプライベートが入り乱れ、常に、プライベート重視で、損得だけで動く、仕事が捌けぬ人。論理思考を解析しても、軸がブレるので、何事も真偽の程が判断できない。結局は、「後の祭り」という流れとなる。

 コロナ禍の中、特に、後者のような人が急増してきた。コロナ鬱になっているのかも知れないが、胸筋開いて一歩、二歩前に足を踏み出す勇気があれば、心のモヤモヤも無くなり、すこぶる爽快な人生を歩むのだろうと。人生、間に合う内に、己の論理思考の検証を行って欲しいものである。

▼熊本地震に遭遇した野良猫
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文責:西田親生

         

  • posted by Chikao Nishida at 2021/1/24 12:00 am

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