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幼い頃の「勘違い」は、凄まじいものがある。

▼写真は「京料理えのきぞの」のご飯

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 いつだったか、幼い頃に、祖父母から「一日一善」という言葉を教わった。その瞬間、元気者だった筆者が悪さをして、明日から「一日一膳」しかご飯が食べられないのではないかと肝を冷やし、凹んだことがあった。

 育ち盛りのガキは食欲旺盛で、祖父母の言うことなど聞く耳を持たず、幼稚園から戻り、外に飛び出せば、日が暮れようが、夕餉の時間に遅れようが知ったことではない。よって、厳しい罰が与えられたと勘違いしたのである。

 今の時代では、両親も祖父母も、ご飯一粒でも喧しく言う人は少ないと思われるが、当時は、ご飯一粒でもお茶碗に残すものなら、「お百姓さんが一所懸命に育てた米を大切にしないと、罰が当たる!」と叱責されたものだ。

 人間とは面白いもので、一度、勘違いをして頭の中に絵面が浮かぶと、何故かその絵面が記憶として深く刻まれてしまう。今でも「一日一善」という言葉を耳にすると、有田焼の小さなご飯茶碗に大盛りの白ごはんが頭に浮んでしまう。

 それから社会人となり、筆者としては「一日一善」を積極的に遣わず、「積善之余慶」という言葉を遣うようにした。しかし、「一日一善」という言葉を聞けば、体調が悪くてもご飯が飛び出し食欲をそそるのだから、実に有難いものである。

 幼い頃の「勘違い」は数限りなくあるけれども、本日は、「一日一善」という言葉をご紹介した次第。


▼写真は「京料理えのきぞの」の土鍋炊き立てご飯
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▼写真は「京料理えのきぞの」の茶懐石のご飯
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◎京料理えのきぞの公式サイト
 https://www.dandl.co.jp/enokizono/Link
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写真・文責:西田親生

                               

  • posted by Chikao Nishida at 2022/5/17 12:00 am

お得な人生のために・・・

◎記事と写真は関係ありません

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 筆者がICTを語る場合、特に、基礎からの研修会では、先ず「危機管理」を重点的に語ることにしている。

 それは、ミクロ的には「個人情報漏洩」であったり、「著作権侵害」であったり。マクロ的には「公序良俗」について、ICT総論各論を語る前に、これらを徹底的に叩き込むことにしている。何故なら、折角良い仕事をしたとしても、法に抵触してしまっては、全てが台無しになるからだ。

 会社間の厳粛なる契約については、「機密情報保持」は鉄則。「著作権」やその「二次利用」についても十分なネゴシエーションを行い、双方が信義則に基づき、且つ、ガラス張りの環境下にて、初めて、新たなるプロジェクトがスタート可能となる。

 契約に至る前に、若干なりとも不透明な駆け引きがあっては、信義則どころの騒ぎではなくなってしまう。互いの痛いところも胸筋開いて、情報交換を行いながら擦り合わせを行っておけば、些細なトラブルさえも完全に防げることになる。

 人間関係も同様に、互いにいい子ぶりっ子で隠すことなく、膝を突き合わせ話し合いをすることで、互いの立ち位置なりが良く見え、揺るがぬ「信頼関係」が築かれる。よって、上述の重要なるところを端折ってしまうと、不本意ながら、後日にギクシャクが絶えないという状況下に置かれてしまう。

 ICT総論各論の中では、その他「価値観」について熱弁を奮うこともしばしば。勿論、自分を磨かざれば、「価値観」などが生まれるはずがない。「価値観」がズレにズレてしまうと、夕景や花々、野鳥、食卓の料理などを愛でることもできない人生で終わることになる。

 「価値観」のない人生とは、「感動」もなければ、「喜び」もないフラットで低空飛行の人生が待っているだけの話。実につまらぬ人生であると言っても過言ではない。田舎のブロイラーにて、毎日餌を突きまくっている、視野の狭い鶏のような一生となりはしないか。

 ただ、「価値観」に対して無関心な人たちへ「価値観」を注入するのは、なかなか至難の業となる。見た目で即座に判断を下す人は、結構「価値観」について疎い。竹籠を見て、「へえ、竹で編んだ籠なんだ!?」で終わってしまうのである。

 どんな種類の竹を、どのように細く削いで、それらを束ねながら編む中で、どうして色んな形にできるのかへの関心がないのである。松ぼっくりがどうして開くのかの仕組みについても無関心。身離れの良い美味しい魚の煮付けについても無関心。何の感動もない。

 「価値観」のない人生も、それはそれで良いと考えるけれども、どうも、人生かなり損した気持ちを持たざるを得ないというのが、筆者の私見である。高額なノートブックのエッジを触れることで、アルミの芸術的な削り出しと磨きなどにも「価値観」を持って欲しい。

 カメラのシャッターに触れて、シャッターを切るプロセスと切った瞬間の人差し指から体全体に伝わるシャッター音や微妙な振動も感じて欲しい。カメラ職人が、それら全てに拘りを持ち作っているからこそ、そのカメラに「価値」があり、全てのユーザーに感動を与える訳だ。

 まあ、荒削りな人間の人生が楽であると言えば、そうなのだろう。しかし、地球上で最高級の「脳みそ」を神より授けられた人間であるのならば、その「脳みそ」をフルに活用し、五感を研ぎ澄ませることで、もっともっとお得な人生を送ることができるのではなかろうか・・・。


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写真・文責:西田親生

               

  • posted by Chikao Nishida at 2021/12/17 12:00 am

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