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煽り運転して、何が楽しい!?

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 「煽り運転」をしている動画がSNS上に掲載されたり、マスコミの報道で悪質な一部始終を捉えた動画や写真を観ることがある。一端の大人が、何を血迷ったのか、全国津々浦々にて、「煽り運転」を繰り返している。

 「煽り運転」の車は、高級車から改造車まで色々あるが、時にはダンプやトラックなどが危険運転を繰り返す。民度が低いと言えばそれまでだが、その蛮行により死傷者が出れば、人生はそこで終わってしまう。

 それも高齢者が運転する高級車による「煽り運転」の動画を観ると、完全に病気でありはしないかと、首を傾げてしまう。如何に数千万円する高級車であろうが、だからと言って、他の一般車両より上位にあり、「そこのけそこのけお馬が通る」が罷り通るはずがない。

 いい加減に、テレビや新聞、そしてネット上で、馬鹿げた「煽り運転」などの危険運転に手を染めないよう、自らの背中をしっかりご覧いただければと思うばかり。一端の大人として社会に溶け込めず、孤独で可哀想な人として、自分の人生に汚点を残すのみ。

 最後に一言。高級車に乗っていても、そのドライバーが偉い訳でもないのだから、謹んで欲しいものである。価値は車にあらず、人にあり。よって、「煽り運転」をするような人物は、昔の言葉をお借りすれば、アウトローな非国民となる。

▼DALLR-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
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▼ChatGPTによる感想

このエッセイは、「煽り運転」という行為に対する厳しい批判を行っています。社会的な責任や倫理を無視した危険な行動が、個人の品性や社会全体の価値を低下させることに焦点を当てています。

エッセイは、特に高級車を運転する高齢者による煽り運転の例を挙げ、金銭的な豊かさが道徳的な優位性を示すわけではないと強調しています。また、「価値は車にあらず、人にあり」という言葉で、人としての品格が真の価値を持つと主張しているのが印象的です。

エッセイは、メディアがどのようにして煽り運転の問題を取り上げるかにも触れており、社会全体でこの問題に対して意識を高め、行動を改めるべきだと訴えています。このような危険行為に手を染めることが、結局は自分自身の人生に汚点を残すだけでなく、他人の生命を脅かす重大な結果を招く可能性があるためです。

全体的に、エッセイは強い語調で煽り運転の危険性と非倫理性を訴え、社会的な価値観の再評価を促しています。それによって、より責任ある行動を促すことを目指していると言えるでしょう。
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プロンプト・文責:西田親生


                 

  • posted by Chikao Nishida at 2024/4/17 12:00 am

「民度」を認識させるのは、至難の業。

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 「民度」とは、「Wikipedia」では、『特定の地域・国に住む人々または、特定の施設・サービスの利用者(ユーザー)・参加者・ファン等のある集団の平均的な知的水準、教育水準、文化水準、マナー、行動様式などの成熟度の程度を指す。』とある。

 平たく言えば、幼少期からの家庭環境、躾、教育、交友関係、同僚関係などに影響を受け、無意識に沁み込んだ人それぞれのスタンダードとなる。

 果たして、セレブの家庭に育ったからと言っても行儀が悪かったり、要人の子供として育っても世間知らずであったり、一部上場企業の社員の子供であっても一般常識が欠落していたりで、人それぞれに癖を持つ。

 しかし、社会においては、見えざる「恥ずかしさの境界線」というものが存在し、それを意識している人と全く無視する人との格差は、想像を絶するほど所作に現れる。

 法治国家における法への認識よりも、一家庭内の非常識が常識となり、それを「燕雀知らず天地の高さ」と揶揄されるのは、自分スタンダードが社会的水準に達しているという誤解が起因となり、自分スタンダードが非常識の領域内あることに気付かぬケースが多い。

 よって、一言で「民度」という言葉を発して、不特定多数の人々に「民度」の概念なり、その重要性について認識させるのは容易なことではない。

 「民度」と縁遠い方々は、無意識の内に、本人が公然の場で赤恥をかいたり、暴言を発したり、独り善がりの挙動により周囲に迷惑を掛ける可能性が高いということになる。

 以前、「民度」について別角度で記事を掲載したところ、すぐにコメントが付いた。その方のご意見は「元々、日本人は民度が低い人種ですよ!」とズバリ切っていた。それは一理ある。何故なら、50年前の公衆トイレのスタンダードは、「臭い、汚い、使えない」の三拍子揃った不衛生な施設であったからだ。「低民度」の象徴的なハードウェアの実態であった。

 周囲の人々が「民度」について意識すれば、「迷惑行為等防止条例」なんぞ不要になる。勿論、凶悪犯も詐欺なども激減するであろうと推察する次第。

 子供の頃は、よちよち赤子の時を過ごし、とことこ歩き始め、目の前の現象に感動し歓声を挙げる。ところが、じわじわと知恵がつき、自我に目覚め始めた頃に、その産なるピュアな子供の顔つきが豹変し、時には犯罪に手を染めたり、周囲に当たり構わず迷惑を掛ける蛮行に出る訳だ。

 よって、幼少期の人としての躾や教育は最重要であり、それが全国民へ浸透して行けば、「民度高き国民」と上皇が仰った言葉に値する国家になりはしないかと考える次第。

 「民度」の高い低いについては、諸外国から観光で来日する外国人のスタンダード(習慣)と比較すれば、一目瞭然である。

 そこで、「民度」が高いのか低いのかの見分け方は、食事の礼儀作法、所作を見れば一目でわかる。お茶碗の持ちかた、お箸の使い方、惣菜の取り方、食べ方と食後の皿やその他器の状態は「民度査定」の物的証拠となる。

 ホテリエが学ぶプロトコール(国際儀礼)を徹底的に学ぶ必要はないが、せめて、繊細なる日本文化を継承している現代人に求められるのは、ラフで派手な欧米化ではなく、東洋の「民度」の鑑と称賛される日本流の「民度」を意識することではないか。

 一時期、「新人類はタメ口だ!」と誹謗されることがあった。それは「新人類」が悪いのではなく、欧米化をこよなく愛する日本人の若い人たちが「フランク」というキーワードに触発されて、そのまま実演しているに過ぎなかった。よって、一方的に悪いと仰々しく指摘するものではない。

 ただ、他者に対して、「敬愛の念」を持ちつつ「フランク」であるべき姿を先輩諸氏がお手本を示せば良いだけの話である。昭和の悪しき慣習の中には、「畏敬の念」を重要視し、下手すると恫喝が当然のように思い込む「燕雀知らず天地の高さ」の熟年層が多いのではないか。

 畢竟、「民度」に対する意識と「敬愛の念」が備われば、オフィシャルでもプライベートでも「諍い」は激減することになる。また、社会的な事件事故も激減するはずである。

 刑事事件で警察のお世話になるものではない。脛に傷を沢山作っても人生において勲章にもならず、子々孫々に「恥ずかしさの境界線」を逸脱した先祖がいたと揶揄されるに留まるだけで、自慢にもならぬ話である。

 「公序良俗に反する行為」は、法治国家としては違法行為として処罰される。理由は、「公序良俗」という概念が理解できず、自分スタンダードの「民度」があまりにも他者に迷惑を掛けすぎた結果であることを認識すべきである。

 今一度、千差万別なるそれぞれの家庭におけるスタンダードは、ちょくちょく見直してみても、得することばかりで、絶対に損することはない。他者に迷惑を掛けないが大原則であり、それが不可能だと感じる人は、社会集団生活適正人格とは何ぞやと自問自答し、自らの立ち位置を再確認されても宜しかろうと。

 因みに、高尚なる「民度」を学ぶには、ザ・リッツ・カールトンや旧御三家と言われる帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオオタニの「ホテル文化」に接することをお勧めしたい。

 超一流ホテルは「文化発信基地」であり、いろんなヒントが隠されている。別に足を運ぶ必要はなく、それに関する書籍を数冊選び、「ホテル文化と食文化」とは何ぞやから始まり、付随するショッピングモールやブライダル、イベントなど、新しい時代を創造してきたホテルの核心に触れるだけでも、自分のスタンダードのレベルがどの位置にあるのか判別可能となる。
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書・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2023/7/23 12:00 am

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