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弱者を救けずして、誰を救ける!?

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 サービス業の企業総合コンサルタントをしていると、どうしても経営側が強く、従業員は弱者の立場にある。構造的に仕方がないと思いつつも、弱者の立場の人間の苦悩なりをしっかりと把握しなければ、企業総合コンサルタント業務は全うできない。

 企業とは表と裏の顔があるところが多い。いくら煌びやかに見える企業イメージであろうが、蓋を開けてみると、予想外に、男尊女卑など昔ながらの悪しき慣習が残っている企業が存在する。それを何とか払拭しながらも、コンサルタントとしては、経営側と従業員側に対して、公正中立な立場にて、判断を下す必要がある。

 時には、経営側へ苦言を呈すると、激昂する経営者も出てくる。また、従業員の不平不満ばかりに耳を傾け鵜呑みすると、実際は経営側に全ての原因はなく、互いにコミュニケーション不足による「誤解」により溝が深まっているという結論に行き着くこともある。

 そこで、筆者としては、社内改革の事始めとして、全員が感情的なもの(恨み、辛み、妬み)を捨て去り、企業発展のために、冷静沈着にて胸筋開き、情報を共有する環境を早期に構築するのが、最良の解決策だと考える。

 されど、感情的に不安定な経営者であれば、好き嫌いで人事を動かしたり、給与の増減をしたりで、従業員へ恫喝的な振る舞いにて、畏怖の念を根付かせ、有無を言わさぬ環境を作り出しているところもある。

 また、裸の王様となってしまった独裁的な経営者となれば、従業員からの信頼は微塵もなく、その指示に対して非協力的な感覚を持ちつつも、表面的には同調しているかのようなジェスチャーが罷り通っているところもある。

 結局は、経営者も人の子であり、従業員も人の子である。それ故、組織を縦割りにてピラミッド構造に胡座をかいていると、中途半端な職位を持つ中間管理職でさえも、経営者に右へ習いで、職位を悪用したトラブル(いじめ、嫌がらせ、セクハラ)が絶えなくなってしまう。

 ここで、個人的に誰が諍いの元凶であり、誰が悪しき慣習を愛する信者なのかを炙り出したとしても、全てガラス張りにて、皆の合意や納得を得なければ、社内改革は勿論のこと、経営者及び中間管理職、そして従業員の意識改革は絵に描いた餅となる。

 或る経営者はこう言い放つ。「お前たちは俺の言うことを聞かねば、さっさと辞めてもらう!」、「仕事をサボっているのか!?」、「休みでも、社を挙げてのイベントならば、全員出勤するのが当たり前だ!」など、高圧的な命令だけが、統制するためのベストな手法だと思い込んでいる人もいる。

 この時代、上下関係を過度に意識するような地方の社会環境は、今も尚、時代劇に出てくる堅苦しい古典的な時代背景と変わらないと、海外の人々の目に映るに違いない。時代は、日を追うごとに、変化、そして進化している。その時代と逆行する企業があるとなれば、そこで働く従業員は不幸としか言いようがない。

 従業員の個人生活は配慮されず、ただ、馬車馬のように働けと言われるのであれば、それは、労基法違反になってしまい、指導を受けることになりかねない。されど、時の流れを気にせず、自分自身が若き頃の「非常識なる常識」を強いる経営者もいるのだから、なかなか社内改革は上手く動かない。

 何とか一人一人の人権を大切に扱う職場環境ができないものか!?と、自問自答する筆者であるが、「正義正論」と「弱者救済」、「従業員の夢実現」を最優先に考える筆者のようなコンサルタントは、万が一、経営者の考え方に偏りがあれば、当然の如く、従業員を守らざるを得なくなってしまう。

 経営者も従業員も皆が幸せになるベクトルとは、何ぞや!?・・・人事も適材適所にて、皆が楽しみながら仕事に専念できる社内環境を構築し、社業が右肩上がりになるのが一番であることは分かっているものの、そこまで足を踏み入れるべきか、契約書通りのビジネスライクな境界線の手前で留まるべきか、それが問題となってくる。

 To be or not to be, that is a question.と独り言を呟きながら、日々頭を傷める筆者がここにいる。
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書・文責:西田親生


                         

  • posted by Chikao Nishida at 2023/4/2 12:00 am

職業差別の悪しき文化が根付く、日本。

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 幼い頃の心無い大人の会話を思い起こすと、嫌な言葉を耳にした記憶が今も尚沢山残っている。所謂、他人への常態化する誹謗中傷の前座でもあり、「職業差別」の悪しき文化の象徴的なものであった。

 例えば、「あの人は、ゴミ拾いをしてるんだよ!」、「あの一家は、血筋が良くないって噂だよ!」、「あんな仕事してて、よく生きていられるな!」、「子供の服はボロボロだし、風呂にも入ってないんじゃないか!」など、差別用語満載の誹謗中傷の汚い現場を思い出す。

 そんな汚い差別用語を常日頃から聞かされていると、その子供たちも真似をして、弱者に対して攻撃的な言葉や暴力を是として、「いじめ」がアメーバーのように拡大して行くことになる。弱者(被害者)の心を引き裂く、汚い差別用語の数々。聞いていて、戦慄が走った。

 当時の小学校のクラス内に、一人の女の子がいた。妙なあだ名を付けられ、普段からクラスメートも教員も無視の状態にて、彼女の日頃の辛さを理解しようとする者は皆無に近かったように記憶する。確かに、彼女一人のみ清潔さに欠け、表情も暗い。所作も挙動も尋常ではなかった。

 ただ、その時、我々子供たちは何もできる力もないが、そこに立つ教職の一人でも旗を振り、彼女の生活環境改善なり、アドバイスなり、ボランティアにてサポートするような教職は皆無であった。教職が一丸となって行政へ強力なるサポート要請や心のケアに尽力すべきだったのではないか。

 富や社会的地位を「美」として捉えがちな、歪んだ価値観。そこには道徳、弱者救済など一切ない世界である。貧困を誰しも目指しているものではない。誰しも、人並みに人らしく生きる権利を有している。それを心無い差別定規で測り、毎日のように誹謗する者こそ、非国民であるとしか言えない。

 海外では、耳掃除でもプロフェッショナルがいて、立派な職業として認められている。靴磨きや修理も、物を大切に扱うSDGsのお手本として、高い技術を持った職人技である。それを、「戦後間もない頃は、貧乏人が駅前に集まり、靴磨きをする人間がわんさと居たよ!」と罵る人がいる。

 こんな世界を、誰が民主主義、平和主義、人道主義と言えようか。明治の鹿鳴館時代を紐解けば、既得権益者がわんさと集まり、金のなる木を追い求めて、踊り狂い、美酒に酔っていた。欧米文化に酔いしれることが、果たして、日本国らしい民主化に役立ったかどうか、首を傾げてしまう。

 日を追うごとに差別化を是として、権力者とその周辺の近親者が、自らの都合の良いシステムを構築していったに過ぎない。時には政治家が既得権益者を利用し、また、逆に既得権益者が政治家を悪用するという、偽善的悪魔のサイクルが繰り広げられ、現在に至っている訳だ。

 「ゴミ拾い」と見下げられ、鼻つまみされてきた人たちが、社会貢献に一番近い業種として、今や、正統派の職業として存在する。元々差別すること自体が狂っているが、特にアジア圏の人間は、外見を気にするが余りに、否定と冒涜のみの思考回路が働き、正確な価値判断ができない。実に、哀れなことである。

 或る人物が、「あの人は、水呑み百姓だからね!」と愚弄したことがあった。時代錯誤どころか、そんな目で第三者を見下すのかと、「あなたこそ、何様だ!?」と言いたかった。答えは、愚弄している人間こそ「イカ様」なのである。そういった暴言を吐く人間は、逆立しても、立派だとは言い難い。

 明治維新から欧米の近代文明に目覚め始めた日本だが、僅か150年しか経っていない。猛烈なる欧米化により、列強の仲間入りを目指したのは理解できるが、社会的地位と富のみを価値基準とする悪しき文化は全面否定すべきであり、今こそが、平和平等なる国づくりに切り替える時期ではなかろうか。


shokugyousabetsu2022


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写真・文責:西田親生

                   

  • posted by Chikao Nishida at 2022/4/20 12:00 am

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