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山鹿、そして八千代座。

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 筆者の故郷でもある熊本県山鹿市は、800年以上の歴史を誇る温泉町。また、チブサン古墳やオブサン古墳、弁慶ケ穴古墳、鍋田横穴群など、装飾古墳のメッカでもある。・・・欲目で見ても、この悠久の歴史の流れを紐解けば、山鹿独特の異質な文化が育まれた、大変魅力ある地域であると言っても過言ではない。

 八千代座は、明治44年にこけら落としされた、全国でも珍しい現役の芝居小屋。それは、同市の中心部に位置しているが、その歴史については、下記の解説をご参照頂くとして、今回、同芝居小屋にやその他、筆者なりに瞬間的に思い出したものをランダムに書き綴ってみたいと思う。

 八千代座の記憶として、筆者が山鹿小学生低学年の頃に、色んな映画を上映していたことがあった。時には、演劇もあった。・・・先生たちに引率され、「どろかぶら」や「肥後の石工」などの演劇を、この芝居小屋で鑑賞したことをおぼろげながら記憶に留めている。

 また、筆者の幼い頃から世話になっていた女流プロカメラマン 古閑直子女史の尽力により、坂東玉三郎定期公演に漕ぎ着けた事は、筆者の記憶に新しい。ちなみに、同女史が女流プロカメラマンとして脚光を浴びたのは、「トラック野郎」の個展だったと記憶する。実は、山鹿市(1954年4月1日市制施行)初代市長 古閑一夫氏(故人/当時全国市長会会長)の長女でもあり、家族ぐるみの付き合いをしていた。

 同女史が高校2年生、筆者が小学校5年生だった頃の話。・・・同女史は大の沢田研二ファンで、当時、沢田研二の妹さん(京都在住)に手編みマフラーを作ってプレゼントした事を覚えている。・・・これは飽くまでも筆者の推測の域を脱し得ないが、現在、同女史が「織り姫伝承塾」を主宰しているのは、当時から「手作り」が大好きだったのかと・・・ふと、思った次第。

 何はともあれ、故郷に足を運ぶと、昔の事が走馬燈のように頭に浮かんでくる。近場の山々でシイの実や竹の子を採りに行ったり、菊池川中流域で鯉や鮒を釣ったり、古墳の周辺に埋まっている埴輪の欠片を拾ったりと・・・自然と一緒に、思う存分遊び回っていた。

 今回、八千代座、さくら湯などを撮影しながら、遠い昔を思い起こし、ノスタルジックにふけた一日だった。・・・日々、血走った目をして「仕事、仕事!」と言い放つ、殺伐とした生活環境から脱して、ゆったりとファインダーを覗き込むのも、実に素敵な時空の流れだと感じだ次第。

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▼八千代座の歴史(山鹿市教育委員会資料より/1996年に許諾を得て掲載しているもの)

 熊本県北部の山鹿市。いで湯と灯籠祭り、装飾古墳などで知られる歴史の街。そこには江戸時代の参勤交代にも利用された豊前街道が通り、その街道沿いに「八千代座」は今も尚歴史を語り続けている。

 明治43年当時商工業で栄えた山鹿の旦那衆が八千代座組合を創設、一株参拾円の株を購入し建てた芝居小屋である。こけら落としは同44年1月で、歌舞伎の松嶋屋総勢91人による興業であった。当時の記録を紐解くと、松井須磨子、岡田嘉子、長谷川一夫、片岡千恵蔵らの名前を見ることが出来る。八千代座は大正から昭和初期にかけて、当代一流といわれる芸能人の熱演を多くの人々の心に深く刻み込んできたのである。

 国指定の重要文化財である八千代座であるが、昭和40年代に老朽化し朽ち果てる寸前であった。山鹿の老人会が「瓦一枚運動」で募金を行い、5万枚の屋根瓦を修復。現在では若者も活動を始め、平成2年から「坂東玉三郎舞踊公演」が定期的に開催されている。「い・ろ・は」から始まる桟敷席、廻り舞台やスッポンなどすべてが健在である。ちなみに、奈落で廻り舞台(人力式)を支え続けるレールには、1910年のドイツ・クルップ社の刻印が刻まれているのである。

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  • posted by Chikao Nishida at 2014/5/25 02:19 am

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