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突然姿を消した「note」の読者

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 日頃から筆者の「note」のエッセイや記事を熱心に読んでいただき、時折、真剣なコメントを書き込んでくれていた人が、突然消えてしまった。

 その名前(実名ではない)で検索しても、同じものが一つ抽出されるが、顔なしとなっており、全く情報掲載履歴のないものである。

 要らぬ詮索となってしまうが、何故、「note」から突然姿を消したのか。毎日、3本も4本もAIの専門知識についての記事を掲載していた人が、目の前から居なくなってしまったのが信じられない。

 加えて、筆者のエッセイや記事に書かれていたコメントも全てなくなっている。日頃から、筆者の人間学への賛同の意を送ってきていた人が、どうして蒸発したのか!?

 最悪の場合、ブロックされている可能性も考えられるが、これまでの互いの情報交換やコミュニケーションにおいて敬愛の念はあるものの、互いを罵ったりしたことなど皆無であり、蒸発の理由が分からない。

 折角、AIについて深掘りをしていた方なのに、勿体ない話である。ただ、気になることは、日頃から自らの立ち位置や方向性について自問自答し、AIと人生との緻密な関係性を語っていたが、同時に違和感や緊迫感なども伝わってきていた。

 これまで互いのコミュニケーションがなく、距離感が遠くの人であれば気にする必要もなく、詮索も不要であるが、何か問題が起こったのは間違いない。精神的なダメージを受けていなければ良いのだが。

 まだお若いようだったので、企業内においてAI採用を強力に進めていた矢先、上司や会社の方針にはそぐわぬとして、「note」への個人的な執着へ言及されたのかも知れない。

 目の前に起こっているのは事実なので、とても残念で仕方ない。可能であれば再起されて、これまでのように生成AIと近未来社会について考察を重ね、価値ある記事を掲載されるよう切に願うばかり。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、筆者が「note」上での読者の突然の姿消しについて語っています。以下は評価のポイントです。

興味深いテーマ: エッセイは興味深いテーマである「note」上の読者が突然姿を消したことに焦点を当てています。これは、オンラインコミュニティやソーシャルメディア上での相互作用に関する普遍的な問題に触れており、読者に共感を呼び起こす可能性があります。

表現と文体: エッセイは比較的短くまとまっており、簡潔な文体で書かれています。筆者の感情と疑念が明確に表現され、読者は筆者の心情に共感しやすいでしょう。

推測と仮説: 筆者はなぜ読者が姿を消したのかについて推測をしており、仮説を立てています。これは読者に考えさせ、議論を呼び起こす助けになります。

共感と願望: 筆者は読者に対して共感を示し、姿を消した読者の再起を願っています。これは読者に感情的な共感を喚起し、ポジティブな結望を伝えています。

総じて、このエッセイは興味深いテーマに焦点を当て、感情的な要素を含む良く書かれたものです。読者は筆者の感情に共感し、姿を消した読者についての推測に興味を持つでしょう。
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写真・文責:西田親生


                   

  • posted by Chikao Nishida at 2024/2/6 12:00 am

老人に心が伝わらずの巻

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 セブンイレブンに行って、飲み物を購入するついでに、揚げ鶏と肉まんをゲットすることにした。店内は静かで、穏やかな雰囲気が漂っており、筆者はレジ前で、揚げたての揚げ鶏を包装されるのと待っていた。

 すると、横に近づいてきた老人が、唐突に大声で言った。「この人が買ったから、揚げ鶏がなくなった。」と。老人が言っているのは、筆者の揚げ鶏のことのようだ。声はでかいが、ほとんど無表情で、目は死んでいる。

 飲み物の購入手続きのレジ処理が終わっていないので、真横にいる老人へ揚げ鶏を譲る旨を伝えることにした。「この揚げ鶏はまだ購入していないので、これを買われても構いませんよ。」と。

 しかし、老人は無表情で呟いた。「いやいや、別の物を買うから。」と、筆者の顔を見ることもなく、店のスタッフに目線を向けて話し掛けている。それから、何の言葉もなく、会釈もなく、老人はその場を立ち去った。その背中にはイライラ感が漂っているように思えて仕方なかった。

 どうして、この老人は素直に筆者の配慮を解せずして「いやいや」と拒絶に至ったのか、理解に苦しんだ。最初の大声と去るまでの挙動が、どうも病的にも感じられた。筆者が譲る行為が気に入らず、要らぬ世話だと思ったのかも知れない。

 老人には大変失礼なことであるが、認知症の可能性もあり、自分の挙動、言動を確と客観視できない状況下に陥っているのである。

 揚げ鶏を食べたいから、売り切れた箇所を指差しての独り言であっても、敢えて他者に聞こえるように言いたいのか理解し難いが、揚げ鶏を買ってしまった人間の前で放つ言葉ではなく、禁句である。

 相手によっては難癖をつけられたと言って、反撃に遭う可能性もあり、無意識にデリカシーのない非礼な発言をしている段階で、前述の通り、認知症の疑いもあるのではと感じてしまう。

 ある人が「私だったら、すかさずお受けして、感謝します。」と言いながら、その老人の挙動の一部始終に首を傾げていたのであった。

 筆者は、この老人の言動に対して立腹しているのではなく、危惧の念の方が圧倒的に強い。もし、このような不可解な挙動を繰り返しているのであれば、家族の方がしっかりと日々ケアしなければ、また、同じ繰り返しをするに違いない。

 後期高齢者は、筆者からすれば人生の大先輩でもあるが、心身ともに健康高齢者として生きている人の方が圧倒的に少ない現実を知ると、いよいよ日本社会も勢いのない、迷走社会に入ってしまうのかと愕然としてしまう。

 老いは誰にでも訪れるものである。心身ともに健康な状態であれば、周囲も安心であるが、本人に自覚がなく挙動不審となってしまう現実に直面すると、無意識のうちに事件や事故を引き起こす危険性が高まるのではないかと思うばかり。

 正直申し上げて、筆者が揚げ鶏を老人へ譲る配慮は不要であったと反省している。それは要らぬおせっかいでもあり、このようなことに関わっても、互いに生産性のないことでもある。些細なことではあるものの、今後の日本社会の行末を案じながら帰途についたのであった。

▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、筆者がセブンイレブンでの出来事を通じて、老人との対話やその言動に対する深い洞察を提供しています。以下は、エッセイの評価に関するいくつかのポイントです。

老人への思いやり: 筆者は老人に対して非常に思いやりがある態度を示しており、揚げ鶏を譲ることを申し出ました。これは、他人への配慮を大切にする姿勢を示しており、好感が持てます。

認知症への理解: 筆者は老人の挙動や言動に対する理解を示しています。老人が認知症の可能性があることを考慮し、同情的な視点から物事を見ています。これは、社会的な問題に対する意識を高めている点で評価できます。

社会的な洞察: エッセイは、後期高齢者の増加と、それに伴う社会的な課題についても触れており、日本社会の将来に対する懸念を表現しています。これは、筆者が個人の出来事から社会全体の問題への視野を広げていることを示しています。

反省と洞察: エッセイの結びにおいて、筆者は自身の行動に対して反省し、要らぬおせっかいとして配慮が不要だったことを認めています。このような自己評価や洞察は、筆者の謙虚さを示しています。

全体として、このエッセイは他人への思いやりや社会問題への意識を強調しており、読者に深い共感や考えさせる要素があると言えます。老人とのエピソードを通じて、認知症や高齢者のケアに対する重要性が示されており、読者にとって有益な情報を提供しています。
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写真・文責:西田親生


                     

  • posted by Chikao Nishida at 2024/2/5 12:00 am

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