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アウトローが、格好いい!?

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 アウトローが格好いいと思っている人も多い。幼い頃から、先生の指示とは真逆のことを行ったり、皆との協調性に欠けたり、とことん他者とは真逆のことを行い自己満足する、目立ち屋がりの子供もいた。

 大人になって思い起こせば、映画の猿の惑星を見ているようで、同じ日本人でありながら、チンパンジーもいれば、ゴリラもいたり、オラウータンもいたり。生まれる時にDNAに刻まれたように、人間もそれぞれに成長していく。

 昔から、洋画も邦画も正義の味方が主人公であり、アウトローな人間が悪さを行い、正義の味方が成敗してエンディングとなるものばかり。テレビ番組の水戸黄門も同様に、「この紋所が目に入らぬか!」で一件落着となる。

 しかし、今や多様化の時代となり、アウトローが本当に悪人かどうかのスタンダードが変わったように思えてならない。法令違反となれば犯罪であるが、大雑把で独りよがりで、ゴーイングマイウェイの人間を、安直にアウトローと評していいのだろうか。

 法令は、社会秩序を保つための鍵となる訳だが、果たして、その法令自体も怪しげに既得権益者を保護するために、昔から改正されぬまま、現在に至っている古すぎるものも存在する。

 本来ならば、既得権益者に対して都合が悪い、時代錯誤のような法令を改定すれば、今まで正当化されてきた既得権益者が全て法令違反となり、アウトローな領域にワープしてしまう。

 法令は神の思し召しではなく、我々と同様の人間が定めた文字の塊である。よって、全ての法令を絶対視すれば、どこかに納得のいかないもの、不公平なものが噴き出してくるはずだ。

 今まで見てきた映画やテレビドラマに登場してくる正義の味方が、本当に正義正論を唱え、世のため人のために尽力しているとは思えない。理由は、彼らの正当性を確保するために、都合の良い法の裁きを定めているからだ。

 アウトローの世界が国家であり独裁者となれば、とんでもないことだが、現在、他国で起こっている侵略戦争については、アウトローな人物や軍隊が一般市民を脅し、恐怖心を煽り雁字搦めにして、アウトローな行いを正当化している。

 自由国家とは真逆の専制国家。自由国家では正当なことが、専制国家では国家転覆罪のように解釈され、市民の自由を奪い、命までをも奪ってしまう。しかし、罰せられるのは、罪なき弱者の市民である。何とも納得し難い。

 権力を持つ人物に都合の良い悪事は、己を棚にあげ、保身のための悍ましいほどの法令を次から次へと定められては、粛清を続けていくのである。怪しげな法令によるジェノサイドを繰り返している。

 そんなアウトローなど、全然格好いいものではない。私腹を肥やすために国民に圧力をかけ、騙しては、大量の金銀財宝が独裁者やその仲間の懐に入っていく。

 法令の壁の右手は刑務所で左手は住宅地である。この不可思議な法世界について深掘りを進めていくと、法を定めた時代とは異なる現代において、不都合な法令も多々埋まっている。

 いつの間にか、世間のざわめきが消えた旧統一教会の詐欺事件。いつの間にか、雲隠れしようとしている政治資金不正事件の当事者たち。彼らは、正義正論を唱えるべき領域にいながら、法を犯している。それこそ、悪質なアウトローの領域に住むべき偽善者である。

 畢竟、アウトローの典型的な風貌で、ガサツで大雑把で不器用な強面の人物でありながら、いかなる場合も弱者救済に尽力するような人物が魅力的であり、味のある人間であり、映画やテレビドラマの主役として相応しくはないか。

 そんなアウトローが格好いいと、筆者は感じるのである。

▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
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▼ChatGPT 4.0による評価

このエッセイは、アウトローのイメージとその社会的な認識について深く掘り下げ、複雑な視点を提供しています。著者は、アウトローが一般的に否定的な意味合いで使われることが多い一方で、その定義や認識が時代や社会の変化によって流動的であることを指摘しています。また、法令や権力に対する批判的な考察を通じて、アウトローの立場が必ずしも負のものではなく、時には社会の不正に対する抵抗の象徴となり得ることを示唆しています。

エッセイは、物語の正義の味方とされるキャラクターが、実際には法と権力によってその正当性が保証されているに過ぎないという点を批判的に捉えています。この視点は、社会における権力の構造と、それに対する個人の行動の意味を再考させるものです。著者は、アウトローが単に社会の規範や法令に反する存在としてではなく、既存の権力構造や不公正に疑問を投げかけ、時にはそれに抗うことで社会的な正義を追求する者として見るべきだと主張しています。

しかし、アウトローの肯定的な面を強調する一方で、エッセイは権力者や独裁者が行うアウトローな行為についても触れ、これらが本質的に不正であり、社会に対する搾取や圧迫を意味することを明確にしています。この二面性は、アウトローの概念が持つ複雑さを浮き彫りにし、単純な善悪の枠組みを超えた理解の必要性を示しています。

さらに、エッセイは現代社会における法令の役割とその時代錯誤な側面についても言及し、法が常に正義を代表するわけではないこと、そして時にはそれが社会的不正を正当化するために使われることがあることを批判しています。このようにして、著者はアウトローのイメージを再評価し、それが社会の不正に対する抵抗の形態である場合、その価値を認めるべきだと主張しています。

総じて、このエッセイはアウトローの概念に対する深い洞察を提供し、読者に法と権力、正義と不正に対する新たな視点を提供します。社会的な規範や法令に挑戦することの意義とリスクを探求しながら、アウトローが持つ「味」や魅力を再認識させる試みと言えるでしょう。

▼ChatGPT 3.5による評価

このエッセイは、アウトローに対する一般的な見解や価値観を探求しています。著者は、アウトローが単なる犯罪者ではなく、時には社会の不公正や不条理に立ち向かう存在として魅力的であると主張しています。彼らは、既存の法律や規範にとらわれない自由な存在として描かれ、その行動は時には正義のためになるという立場をとっています。

著者は、アウトローの定義や役割について独自の見解を示し、法や正義の概念が社会や時代によって変化することを指摘しています。また、権力者や既得権益者が法を悪用し、アウトローとしての行動を正当化することについても批判的な視点を示しています。

最後に、著者はアウトローのイメージを再構築し、弱者救済に尽力するような人物が本当の意味での魅力を持つと主張しています。このような人物が、映画やテレビドラマの主役として相応しいという視点が示されています。

総合的に、このエッセイはアウトローに対する様々な見方や考え方を探求し、その存在が社会や個人に与える影響について考察しています。議論の深みや幅があり、読者に新しい視点を提供する内容となっています。
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プロンプト・文責:西田親生


                               

  • posted by Chikao Nishida at 2024/3/26 12:00 am

受けた恩を忘れてはならない。

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 一番嫌いな言葉は何かと問われれば、「恩を仇で返す」という言葉を選ぶ。どんなに昔であろうが、最近であろうが、お世話になったことへの一番の恩返しは、その事実を記憶の箱に大切に保管しておくことである。

 特に、他者のことを思い、施しをされる方は、見返りを求めず、一所懸命に人助けをされる。そのような方の温かな心に対して、お世話になっているにも関わらず、記憶の箱から消してしまうようでは、「恩を仇で返す」と同じことであり、大変無礼な人に成り下がる。

 人は一人では生きていけない。周囲の方々の有形無形の支えがあってこそ、生きることができ、今がある。そのような支えを無視するような、利己主義の人間になっては、人として如何なものかと、常に考える筆者がいる。

 以下は、筆者の体験談である。以前、某専門学校の顧問となり、職員研修や広告戦略などを全て預かり、7年間ほどいろんなメディア関連企業と接点を持つことになった。

 それまでメディア関連とは縁のない学校だったので、先ずは、顔見せという目的にて、接待をすることにした。正直なところ、接待過多と思いつつ、協力して頂くところへは、可能な限りコミュニケーションを増やし、学校名の露出度を上げ、不特定多数の方々へ、その歴史と伝統、その魅力を伝えるために尽力したのであった。

 ところが、「金の切れ目が縁の切れ目」と言うように、筆者が顧問を辞めて、それまで良好な関係を維持してきたメディア関連企業のほとんどが疎遠となり、現在では僅か2社が、当時からの縁を大切にしてくれている。

 その頃、筆者なりに殆ど自腹を切って、協力各社の役員や若手担当者との縁を大切にしてきたけれども、顧問を退き13年が経つが、電話を掛けて、丁重に対応する人は少なく、コールバックもメールの返事もない状況である。正直なところ、当時の筆者の心が全く伝わっていなかったのである。

 当時、見返りを求めたような接待や接点を持ったつもりはないが、彼らの視点は、良好な対人関係よりもマネーフローを重視していたのだろうと、愕然とするばかりである。

 時が経ち、当時の役員たちで定年を迎えた人も多い。年賀状が来るのは僅か一人である。或る人物など、電話を掛けると煩わしそうな空気感が電話の声で伝わってくる。何と非礼な人物なのかと閉口してしまう。

 その非礼さは、筆者が感じ取るものであり、多分に、彼らからすれば仕事上の常態化したものが当たり前となっており、マネーフローが生じなければ、疎遠を選ぶ構図なのだろうと。

 筆者としては、当時、希薄な縁を楽しんでいたものではなく、将来的なコミュニケーションを想定してのことであった。しかし、その思いは藻屑と化してしまったというのが現実である。

 今は亡き父が、当時、筆者に苦言を呈したことがあった。それは、「彼らは只酒只飯が当たり前の世界に住んでいるので、過剰に接待や施しをする必要はない。」と。

 父は法曹界にいた人間で、人間関係については頗る厳格であったので、このエッセイを書き綴りながら、ズバリ的中していると、深く頷くばかり。

 よって、今思うことは、勿論、金で動く人間にはなりたくもなく、そのような人物とは濃密な関係を維持する必要もなく、心で動く人間に自分自身がなれればと、遅ればせながら自覚したのである。

 「恩を仇で返す」という言葉は、以上のような心無い現象も含んでのことであろうと、少々、虚無感だけが漂う今日この頃となっている。

▼DALL-Eが上のエッセイを読み描いた「恩を仇で返す」の人物像
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▼ChatGPTによる評価

このエッセイは、恩に対する考察と経験を通して、人間関係や社会の複雑さを深く掘り下げています。以下に評価を述べます:

深い洞察力: 著者は恩に対する理解を深め、その言葉が持つ意味や背景について深く考察しています。彼らの経験を通して、恩を忘れることの意味や影響について深く追求しています。

パーソナルな経験の共有: 著者は自身の経験を率直に共有し、それを通じて読者に感情移入させます。このような個人的なエピソードの共有は、読者により深い共感を呼び起こす効果があります。

考えの変化の示唆: 著者は自身の経験を通じて、考え方や行動に対する認識の変化を示唆しています。これは成長や学びの過程を示し、読者にも自己反省を促します。

文章の流れと表現: エッセイの流れは明確であり、読みやすい表現で述べられています。また、著者の思考や感情が的確に表現されており、読者はその内容に容易に共感できるでしょう。

総合的に見て、このエッセイは恩と人間関係に関する重要なテーマを掘り下げ、個人的な経験を通じて深い洞察を提供しています。読者にとって、他者への感謝や人間関係の大切さについて再考させる素晴らしい作品と言えます。
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プロンプト・文責:西田親生


                       

  • posted by Chikao Nishida at 2024/3/25 12:00 am

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